ジゼルたち、大いに議論する

 どこか改まったような口ぶりでマダム・ジゼルが切りだした。


「こうしてみんなに集まってもらったのは他でもありません」


 マダム・ジゼルの館へとピーノがやってくる、その前夜のことだ。

 夕食を終えたばかりの食堂にはジゼル以下、年齢もばらばらな二十人の女が着席して残ったままだった。

 普段なら食事をすませた後は特に決め事もなく、客をとる予定のある娼婦以外は自室に戻るなり、気の合う同士で談笑するなりといった過ごし方をしている。


 そもそも、夜にこそ輝きを放つ娼館であるがゆえに揃って夕食をとれること自体が非常に珍しい。

 主であるマダム・ジゼルの要請により、この夜ばかりは子供たちも含めた全員での話し合いを行うことになっていたからだ。


 ぐるりと顔を見回した彼女が先を続ける。


「以前から懸案事項となっていた、うち専属の用心棒の件についてです。表にも裏にも顔が利く知り合いに『腕の立つ女性の方を』とお願いしていたのですが、先日ようやく受諾の返事がやってきました。ところが──」


「うちへ寄越してくれるというその相手、男なのよねえ」


 ジゼルの隣で話を引き取ったコレットが、何枚かの紙をひらひらと振った。


「ここにある手紙に書かれていた内容によれば、恐ろしく強いんだけどまだあどけなさの残る少年だって話よ。そして看過できない経歴の持ち主でもある。さすがにジゼルと私だけで決めていい案件ではないと判断せざるを得なかったの」


「そういうこと。なのでその用心棒候補についてきちんと説明し、広くみんなの意見を聞こうと思ってね」


 いつも通りに口調を崩したマダム・ジゼルが椅子の背にもたれかかる。

 するとさっそく「はいはーい」と挙手をする者があった。ソフィアだ。


「まずそのマダムの知り合いってどういう人なんですか? スイヤールの裏社会関係? まさかメルラン一家の内通者とかじゃないですよね」


 途端、苦虫を噛み潰したような表情でジゼルが「そんなわけないでしょ」と彼女の疑念を一蹴する。


「依頼した相手に関して、ねえ……ま、とりあえず信頼はしてあげてもいい男かな。不本意ながら、古い付き合いでもあるわけだし」


「おっ。そのちょっとつれない感じ、もしかしてマダムの元恋人ぉ?」


「三日間食事抜きにするよソフィア」


 ぎろりと睨まれ、ソフィアは「うへえ図星だったか」と声を漏らした。

 だがすぐにコレットが補足する。


「違うわよ。まあジゼルもそういう言い方をしてしまうから誤解されると思うんだけど。あなたたちも知ってるでしょ、陸での輸送を一手に引き受けているスタウフェン商会。その創業者であるイザーク様よ。ソフィア、あなたはこれまで何度か顔を合わせたことがあるでしょう? ジゼルと私がここまで生きてこられたのは、あの方の尽力によるおかげと言っても過言じゃないわ」


「過言よ。充分に過言」


 不機嫌さを隠そうともせず、マダム・ジゼルは短く切って捨てた。


「まったく、そんな話は今どうでもいい。議題とすべきはあくまで用心棒候補の少年についてなんだから。じゃあ、コレット説明よろしく」


 はいはい、と優秀な副長が慣れた様子で本題に入る。


「では件の少年に関して、まず初めに言っておかなければなりません。彼はウルス帝国軍に所属していた人物であり、後に友人たちとともに軍から逃亡、その後運良くイザーク様に保護されました。そして今度は立場を変えて帝国への潜入を果たし、皇帝暗殺に大きく関与しています。友人を失いながらも、ね」


 彼女の言葉はまず場をざわつかせ、それから静まり返らせてしまった。


「そりゃそうなるわよね。あまりにめちゃくちゃな経歴すぎて、私だっていまだに信じがたいんだもの」


 冷静にみんなの反応を観察していたコレットだったが、しばらくして再び手元の紙に目を落とす。


「さて、詳しく続けていきましょうか。イザーク様からの情報によると名前はピーノ、生まれはドミテロ山脈……って、ちょっと待って、ドミテロ? だとしたら、この子の故郷はもう……」


「あのドミテロ、か」と低い声でマダム・ジゼルが相槌を打つ。

 だが辺境の一地域の事情にまで通じているのはさすがにこの二人だけだ。


「ふーん。田舎育ちの少年が軍人に憧れて、ってやつなのかね。おとなしく野良仕事に精を出してりゃよかったものを」


 鼻で笑うようなソフィアに対し、すぐさまコレットが「そういう訳でもなさそうよ」と否定した。


「ウルス帝国は領土全域から子供たちを強制的に集め、ほんの一握りの飛び抜けた才能を選びだし、とある部隊を創設したの。この部隊は戦争が終結するまで対外的にほとんど知られておらず、帝国内では〈名無しの部隊〉とも、皇帝の絵画収集癖になぞらえて〈帝国最高の傑作たち〉とも呼ばれていた」


 そこまで話したコレットは、流れを切るように大きなため息をついた。


「つまり、この子自身が望んだ人生ではないってことでしょうね」


 食堂にはまた静寂が戻る。誰も意見を発しようとはしない。

 そんな沈黙を破ったのはまたしてもソフィアだった。


「なあコレット姉さん、だとしてもさ。そいつはあたしらの手に負えるのかよ」


 彼女からの問いかけに、今度はマダム・ジゼルがコレットの手にある紙を指差しながら応じる。


「その手紙を寄越したイザークという男は、私が知るかぎりでは誰よりも強かった。そしてその強さゆえにいろんな人間の人生を背負い込んでしまった、とんでもなくお人好しな馬鹿野郎さ。そんな彼がだよ、『自分の最盛期であってもピーノにはまるで歯が立たないだろう』と文面に書き添えているんだ。もちろんイザークは無意味な美辞麗句を並べるような人ではない」


 マダム・ジゼルの声は知らず知らずのうちに真剣味を帯びていく。


「強さってのは何なんだろうね。圧倒的な強さがあれば何もかもを思い通りにできるのかと問われれば、それはむしろ逆だよ。強ければ強いほど、重い荷を背負うような生き方にならざるを得ない。少なくとも私はそう考えているんだ」


 話し終えたマダム・ジゼルは、ゆっくりと全員の顔を見回す。

 その隣でまったく表情を変えずにいたコレットがソフィアへと水を向けた。


「理解してくれたかしら、ジゼルとイザーク様の関係」


「あ、うん。一言じゃ言い表せないような結びつきなんだなーって。絆ってやつ?」


 少し頬を赤く染めてソフィアは頷く。


「ちょっとそこ! 誰が今そんな話をしろと!」


 慌てたマダム・ジゼルが、机を乱暴に叩いて立ち上がった。


「私が言いたかったのは! このピーノって子は! 私やあなたたちと一緒なんじゃないかってこと! わかった? わかってみんな!」


 反論とも哀願とも判断がつかない調子で捲し立てている館の主へ、「落ち着きなさい」とばかりにコレットが、手を下へ向ける仕草で着席するように促す。


「イザーク様ってね、本当にびっくりするくらい面倒見のいい方なのよ。そんな人がこの少年を、何の考えもなく自分の手元から放りだすような真似をするなんて到底ありえないの。だから、きっと私たちに望んでいることがあるんだと思う」


「あの親父、大事なことはいっつも省くからねー」


 どうにか伝わるからいいんだけれども、と冷静さを取り戻したらしいマダム・ジゼルが椅子に腰を落とし、だらしなく姿勢を崩してもたれかかる。

 最初の意思表明はその直後だった。


「わたしは受け入れますよ」


 抜けるような白い肌に灰色の瞳、どこにいても一際目立つ美しい銀髪。

 常に白い衣服を着用し、どこか現世離れした雰囲気を漂わせている彼女の名前はナイイェル。この館における唯一のタリヤナ教徒である。

 涼やかな声で彼女が続けた。


「一緒なんじゃないかっていうマダムの言葉、実感としてよくわかります。多かれ少なかれ、この場にいるみんなも同じ気持ちではないでしょうか」


 そう言ってからナイイェルはわずかに目を伏せる。


「かつてわたしは孤児でした。たまたま容姿に恵まれていたがためにタリヤナ教の聖職者に目をつけられ、以来長く愛玩用としての価値しか認められない日々を送ってきました」


「ナイイェル!」


 鋭く叫んだのはマダム・ジゼルだ。

 彼女の凄絶な過去を知っている人間は、この館の中でもほんの一握りしかいない。


「いいんです、マダム。わたしはまだ、今の自分を夢みたいに思う時があります。あれほどこの世界を憎み、跡形もなく燃え落ちろと願い、信じる神さえ呪いかけていたというのに、いつの間にかこんなにたくさんの大切な家族ができたんですから」


 だから、と微笑んでナイイェルが言う。


「もしもできるならば、次は他の誰かへ手を伸ばしてあげたい。わたしがマダムやコレット、そして他の姉さん方にしていただいたように、生きていくのは悪いことばかりじゃないんだって繋ぎとめてあげたいんです」


 我が身を切るような彼女の吐露は話し合いの流れを決めてしまった。

 決然としたナイイェルの言葉にまず賛意を示したのは一歳年上のクロエだ。


「わた、し、も、受け入れ、て、あげ、たいです」


 彼女はよほど心を揺さぶられたらしく、流れる涙を手の甲で拭っていた。

 そこからは次々とピーノ受け入れに賛成の声があがる。その数、マダム・ジゼルとコレットを除く十七人。残るはあと一人、ソフィアだけとなってしまった。

 彼女を気遣ってコレットが語りかける。


「あなたの意見をないがしろにしたりはしないわ、ソフィア。反対であればはっきりそう言ってくれてかまわないのよ」


 マダム・ジゼルは黙って成り行きを見守っている。

 いや、と梁が剥きだしになっている天井へと視線を上げてソフィアが呟いた。


「不覚にも『ナイイェルの言う通りだなあ』って思ってたよ」


「じゃあ……」


「うん、受け入れる。別に嫌々ってわけじゃないから、気は遣わないで」


 そして彼女は人差し指を立てた。


「だけど一つだけ条件を付けさせてほしい。ピーノっていったっけ、そいつがあたしたちの家族になろうって態度をちゃんと見せてくれなければ、その時は誰に何を言われようと反対に回るよ」


 みんないいかい、とソフィアが他の全員に向けて問う。

 誰も彼女の提案に反対はしなかった。

 ここで再びマダム・ジゼルが席を立つ。


「出たね、結論」


 主の言葉を合図に、いつもとはまるで異なる娼館の夜が終わろうとしていた。

 ナイイェルやクロエのように使命感を帯びたかのような表情を浮かべる者もいれば、強張りを隠せないソフィアのような者もいる。

 それはとても自然なことだろう。

 いずれにせよ、この夜にピーノの人生はまた大きく動いたのだ。

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