2-5 兄妹みたいな
ここスイヤールにおいて自分が世話になるのがどういった場所なのか、ピーノはイザークからほとんど何も知らされていなかった。
まさか男が一人もいない娼館だとは思いもよらない。
彼が口にしていたのは仕事の内容のみ、しかも「おまえはそこにいる者を全員守ってやりゃあいい」という、たったそれだけだったからだ。
初日はまだよかった。コレットに手引きされ、ぎこちないながらも全員と挨拶を交わしているうちに一日が終わっていった。
この館の主だというマダム・ジゼルなる女性も、肩肘張らない様子で「君がピーノかあ。これからよろしくね」と話しかけてくる気さくな人であり、身構えていたピーノとしても安堵したものだ。
しかし二日目以降、彼は早くも浮いてしまうことになる。
「よほどの用事がないかぎり昼食はみんなで一緒にとること、いいわねピーノ」
案内の最中にコレットからそう言い含められていたにもかかわらず、軽く考えていた彼は周辺地域の警戒を優先し、ここマダム・ジゼルの館における初めての昼食をすっぽかしたのだ。
帰館したすぐ後でそのことを詰ってきたソフィアという金髪の女に対して、ピーノは短くこう答えた。
「それはぼくの仕事じゃない」
するとどういうわけか烈火のごとく憤ったソフィアが彼へと罵声を浴びせてきたのだ。普段話しているはずのスイヤール語ではなく、レイランド王国でも訛りがきついとされる地方の言葉で。
ピーノにもどうにか聞き取れたのは、「家族になるつもりがないなら出ていけ」という最後の部分だけだった。
「危惧はしていたけれど、やっぱりソフィアと揉めてしまったのね……」
事の顛末を知ったコレットはそうぼやいたが、意外にもマダム・ジゼルは楽観的な見通しを持っていたようだ。
「相変わらずコレットは心配性だね。大丈夫、きっかけさえあれば上手くいくよ」
「そうかしら。でも、ジゼルが言うならきっとそうなんでしょうね」
こんなに早く追いだされてしまうとさすがにイザークへ合わせる顔がないな、とぼんやり考えていたピーノの横で話しこむ大人の女性二人には、どうやらそのつもりなどまったくなさそうだった。
風向きが変わったのは五日目である。
この日の昼前に、幼い少女を連れた銀細工師の女性がマダム・ジゼルの館へと訪れた。
サラ・トゥルナードルと名乗った彼女は、注文を受けていたいくつかの品物を納入するため娘のレベッカとともにやってきたのだそうだ。
以前から馴染みの職人らしい。
トゥルナードルという姓にはピーノも聞き覚えがあった。
スイヤールへと到着した際、イザークやチェスターが口にしていた市警隊長ドミニク・トゥルナードル。もしかしたら同じ家系なのかもしれない。
マダム・ジゼルやコレット、それに他の年長の女性たちと談笑しているサラの姿を遠巻きに視界へ入れながら、ピーノは「噂通りの高潔な男だったらいいな」とまだ面識のないドミニクへと思いを馳せる。
そんな彼の袖を何度か無遠慮に引っ張る者がいた。幼い少女、レベッカだ。
年の頃はまだ四、五歳といったところだろうか。
「どうしたの?」
膝を折ってピーノは彼女と目線の高さを合わせる。
「レベッカ!」
自分の顔を指差しながら、勢いこんで少女が言った。
これはどうやら自己紹介をしなきゃいけない流れみたいだぞ、と珍しく空気を読んだピーノも「ぼくはピーノ、簡単で覚えやすいでしょ」と笑顔で名乗る。
「うん、覚えた!」
元気いっぱいに返事をする彼女の頭を「よくできました」と撫でてあげたピーノだったが、気づけば周囲の視線が彼ら二人に集まっていた。
「え、なに?」
少し慌てたピーノへ、先ほどまでの談笑の輪からソフィアが一人近づいてくる。
ピーノとレベッカ、二人を交互に眺めて彼女は断言した。
「あんたたち、似てんね。まるで兄妹みたい」
彼女が言っているのは髪の毛のことだろう、とすぐに見当がついた。
実際、強く赤みを帯びた二人の髪の色はほとんどそっくりであり、見知らぬ他人が見れば兄妹と信じこんでもおかしくはない。
「まあ、たしかに」
同意しながら今度は柔らかそうなレベッカの頬を優しく
言葉の意味がわかっているのかどうなのか、彼女は「似てる似てるー」と楽しげにはしゃいでいる。
それを見ていたマダム・ジゼルが、芝居がかった調子で口元を手で押さえた。
「サラさん……実はこんなに大きな息子さんがっ!」
「あらあら。隠し子がいらっしゃったとなれば、これは由々しき問題ですね。あのドミニクさんの表情が曇るところなんて私は見たくありませんのに」
一見固そうなコレットまで追随して悪ふざけをする。
他の女たちも「サラさんやるぅ」と大盛り上がりだが、当の本人は平然としたものだ。
「ばれたか。たぶんあと三人くらいはいると思うんだけど、ドミニクには内緒にしておいてちょうだいね。あの人、きっと新しい川が街中にできちゃうくらい泣くだろうから」
そして悪戯っぽい笑みとともにピーノへと片目を瞑ってみせた。
ちょうどいい、と彼はこの機を逃さず訊ねてみることにした。
「ドミニクって、スイヤール市警隊長の?」
「へえ、よく知ってたね。君はまだ会ってはないでしょ」
答えてくれたのはマダム・ジゼルだ。
ドミニクとサラが夫婦であり、その娘がレベッカだとこれではっきりしたわけだ。
「イザークやチェスターから評判を聞いてたから。そりゃもうすごい褒めっぷりだったからね、あのイザークが」
ピーノの言葉に、マダム・ジゼルとコレットがそれぞれの反応を見せる。
「ドミニクさんはこの街の期待を一身に背負っているような人だもの」
「そこが少し心配ではあるんですけど。敵も多いわけだし」
悪徳の都などと称される街で自身の正義を貫こうとすれば、それを快く思わない者たちだって大勢いるはずだ。コレットの憂いは至極当然のものだった。
しかしサラ・トゥルナードルは首を横に振る。
「あの人なら大丈夫ですよ。だって私が選んだ人なんですから」
「はいはいご馳走さま。もうお腹いっぱい」
肩を竦めたマダム・ジゼルに呼応して、レベッカが「おなかすいたー」と母であるサラの足へと突進していく。
その微笑ましさにみんなの笑い声が上がった。思わずピーノの目尻も下がる。
「でもサラさん、本当に何かあったらすぐに知らせてね。これは冗談抜きよ。いつでもうちの頼もしい用心棒がすぐに駆けつけるから」
真剣な眼差しのマダム・ジゼルが「ね」とピーノに確認してきた。
黙って頷く彼の様子に満足したのか、この話はここまでとばかりに両手を二度打ち鳴らして大きな音を出す。
「じゃあ、そろそろみんなでお昼の準備をしましょうか。もちろんサラさんとレベッカも食べていくよね?」
また随分と賑やかな昼食になりそうだ、とピーノは密かに心中で嘆息するが、じっと睨んでくるソフィアの視線にも気づいていた。
わかってるよ。表面上だけでも家族として振る舞えば彼女も文句はないだろう。
そう考えていたピーノに、弾んだ声で「いっしょに食べよ」とレベッカが屈託なくじゃれついてきた。
◇
だがこの夜、どれほど嘆いても取り返しのつかない事件が起こる。
ドミニクとサラのトゥルナードル夫妻が自宅で惨殺されたのだ。一人生き残ったレベッカは、血だまりの中で微睡むようにして気を失っていたという。
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