2-3 スイヤールへ

 スイヤールまでの旅程は馬を使って七日ほどの道のりだった。

 街道をゆく途中で野盗の集団に襲われたりもしたものの、もとよりピーノとイザークの敵ではない。逆にただで食料の補充をさせてもらったようなものだ。

 天候にも恵まれたおかげで、これといった障害もなく二人は「悪徳の都」スイヤールへとたどり着いた。


 来訪者である彼らをまず迎えるのは華やかな装飾が施された巨大な門である。

 馬から降りて徒歩で門をくぐるとすぐ、ピーノは「ちょっと持ってて」と手綱をイザークへと放り投げた。

 そして門と併せて建てられている高い見張り塔の外壁をあっという間によじ登っていく。

 イザークをはじめとして周囲の人間たちが呆気にとられるなか、当のピーノは涼しい顔で最上階にあたる見張り台へとやってきた。


「こんにちは。すぐ終わるから」


 驚きのあまりなのか声も出せないでいる見張り当番の役人へ挨拶をし、彼はさらに上へと進む。

 とうとう急勾配の屋根まで上り詰めてしまった。


 この見張り塔はスイヤール市において屈指の高さを誇る建物なのだろう。眼下には市街が一望できる。

 初めて訪れた場所だからこそ、ピーノとしては簡単にでもいいからまず頭にこの街の地理を入れておきたかった。ここから先、何が起こるかわからないのだから。


 しばらくぐるりと眺めてみる。中心街と思しきあたりにはイザークの紋章が入った旗を掲げている館が見えた。

 そこがひとまずの目的地である彼の商館に違いない。


 地上へ戻るのは登ってきたときよりもずっと速かった。

 半ばは落下するようにして、あんぐりと口を開けているイザークのところへ颯爽と帰ってくる。


「お待たせ。じゃ、行こうか」


 方角はこっちだよね、と言いながら預けていた馬の手綱を返してもらう。

 ようやく我に返ったらしきイザークが声をかけてきた。


「おい。まさか、見えたのか? ここからうちの商館が?」


「うん」


「結構な距離があるぞ……。相変わらず何ちゅう動きと眼をしとるんだおまえは」


「んー。眼のことなら羊飼いは誰でもこんなもんだよ」


「いやいや、それはない」


 そんな会話の最中さなか、先ほどのピーノの行動のせいで二人は駆けつけてきた市警隊数人に取り囲まれてしまう。だがイザークの顔を見て彼らの態度は一変した。


「なんと、イザーク様のお連れの方でしたか!」


「どうりで素晴らしい身体能力をお持ちのわけですな」


「さすがイザーク様、よい部下を連れていらっしゃる」


 口々に褒めそやしつつ即座に道を空け、おまけに笑顔まで浮かべた彼らに見送られながら、あきれたような口ぶりでピーノは傍らの大商人を称賛する。


「すごいねえ。どこへ行っても大物扱い」


「茶化すのはよせ。おまえは俺の部下扱いになってるんだぞ」


「別にいいよ、どうでも。それより今の人たちの制服、イザークの商館前にもいたんだけど大丈夫かな」


「なに、市警隊の連中が。チェスターのやつめ、何かやらかしやがったのか」


 ここスイヤールにおいて、イザークの商館を任せられているのがチェスター・ライドンという青年なのはすでにピーノも聞かされている。

 イザーク曰く、「能力は高いが一癖も二癖もある男」なのだそうだ。

 そのような曲者ぶりをイザークに気に入られて大都市スイヤールの責任者へと抜擢されたのは、ピーノにも何となく想像がつく。


 二人は少し歩の進みを早めた。整然としながらも活気に満ちている大通り、うって変わって雑然とした顔を見せる裏通り。

 イザークも「ここを通るのは初めてだ」と言うような細い道をピーノの案内によって抜け、ようやく彼らはスイヤールの拠点である商館へと到着した。


 館の玄関前には一人の男が立っていた。そしてイザークとピーノの顔を見つけると、大袈裟なほど深々と礼をしてみせる。


 かと思えばすぐに姿勢を崩し、「ようこそスイヤールへ」と両手を広げた。

 にこやかな表情だが油断のならないその視線はピーノへと向けられている。値踏みするかのように。

 イザークとは親子以上に年の離れたこの男こそ、チェスター・ライドンだった。


「どうも大将、のんびりとしたお着きでしたね」


「いきなりご挨拶だな。概ね予定通りだろうが」


 部下の辛辣な言葉にイザークは顔をしかめつつも、ピーノとチェスターの双方へ互いの簡単な紹介をすませる。

 挨拶はそこそこに、イザークが例の件を切りだした。


「ところでこっちも何かあったのか」


「今日はいたって平和なもんですが。『こっちも』ってのは?」


「気にするな。それより先ほど市警隊の人間がここに来ていたそうじゃないか」


 少しばかり考える素振りを見せたチェスターが、合点がいったように「ああ」と声を出す。


「ドミニクの旦那のことですかね。何てことはない、いつもの見回りですよ。街の隅々にまで目を光らせている仕事熱心な方なもんで」


「なるほど、噂に名高い市警隊長のドミニク・トゥルナードルか。このスイヤールには珍しく、高潔で公正な男だそうだな」


「そりゃあもう。あの御仁にゃ袖の下なんて通用しませんからね。仕事としては金で転ばない人間相手はやりにくいことこの上ないんですが」


 チェスターの乾いた物言いにも一理あるだろう。

 それでもピーノは見知らぬドミニクという男にほのかな好感を持った。悪徳の都と称される街で、多くの敵を作りながらも孤軍奮闘しているに違いないのだから。


 イザークも同様に感じ入ったらしく、目尻を下げて大きく頷いた。


「情にも厚いと聞き及んでいるし、まさしく好漢よな。今回は挨拶をしそびれてしまったが、まあいい。いずれその機会も巡ってくるだろう。ピーノよ、きっとこのチェスターよりも頼りになる男だろうから、ドミニク・トゥルナードルという名を覚えておくといい」


「ひでえや大将」


 雇い主からのぞんざいな扱いに肩を竦めるチェスターだったが、特に抗議する意思はなさそうだ。


「ま、そんなことより。もうコレットさんがお見えになってますぜ」


 親指で玄関の扉を指し示し、ピーノたちを中へと促す。

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