第51話 薬
(……この紅茶、口をつけてはいけない)
瞬時に私はそう判断した。人気の少ない時間と場所。信用しきれない人からの飲み物。つい先日、今にも命を投げ出しそうなほどに打ちひしがれていた女性は今、私の目の前でさも安心させようとするかのごとく柔らかく微笑んでいる。
「どうぞ、メレディア様。冷めてしまいますわ」
「……いいから話を聞かせてくれる?申し訳ないのだけれど、今お茶を飲みたい気分ではないのよ」
さらに紅茶を勧めてくるエルシー嬢に向かって、私は少し強い口調で断る。その途端、エルシー嬢は悲しげな顔をして俯いた。
「……ごめんなさい。私の入れた紅茶など、口にしたくはありませんわよね」
「……。」
「分かっています。メレディア様から嫌われていることくらい。だって私って、あまりにもひどいことをしてきましたもの。アンドリュー様と婚約したいからって、あなた様をパーティーの場で愚弄しましたわ。虐められていると、陰でひどいことをされているのだと言い張って……。それからもお顔を合わせるたびに無礼な態度をとり続けました。簡単にはお許しいただけませんわよね」
「……ね、もういいから、そんなことは。先日の相談事を聞きにきたのよ私」
私がそう遮っても、彼女はますます辛そうな顔をして、ハンカチを顔に当てクスンと鼻を鳴らすばかりだ。
「ええ……。そうですわよね。ですが、私が心を入れ替えたことをまずはメレディア様にお伝えしたくて……。アンドリュー様の婚約者となり、日々王太子宮で厳しい教育を受け続けるうちに、こう思うようになったんです。ああ、メレディア様はこれらの難しいお勉強を全てこなしてこられたのだわ、と。それも私よりずっと幼い頃から。どれほど努力なされてきたのかと。そして私とアンドリュー様との恋が、あなた様のその努力の全てを無駄にしてしまったのだと……」
「……。」
「今さらお友達になってほしいなどと、虫のいいことはとても申せません。ですが、今の私があなた様のことを尊敬し、心からお慕いしていることをどうしても伝えたかったのです。……この紅茶は、そんな贖罪の気持ちを込めて入れましたの。どうかメレディア様……、一口だけでも、召し上がってくださいませ」
……しつこすぎる。それに、妙に白々しい。
これは騙されたかな、という思いが頭をよぎる。もういい。あと一度だけ促して話す気がなさそうなら帰ろう。あとは私が関わることじゃない。
「いらないと言っているの、ウィンズレット侯爵令嬢。悪いけれど、私は幼少の頃から飲食物は決められた場所でしか口にしてはいけないと厳しく躾けられてきているの。少しの油断がどんな事態を招くかも分からないからよ。あなたには申し訳ないけれど、お気持ちだけありがたくいただくわ。……そろそろ話してくださる?時間がないの」
「……。……そうですか……。ごめんなさい」
エルシー嬢は今にも泣きそうな顔をしてそう呟くと、立ち上がった。
「では、こちらの紅茶は片付けますわね。余計なことをしてしまって本当に申し訳ございませんでした。……代わりに、これを」
次の瞬間。
カップを片付けるために前かがみになったのかと思った彼女の右手から、私の顔に向かって何かがシュッと吹きかけられた。
「っ!!」
冷たい霧のようなものがもろに顔にかかり、私は咄嗟に顔を背けたけれど……、すでに手遅れだったらしい。
「……あ……っ……、」
ツンとする刺激臭を感じた途端、一気に全身の力が抜ける。
(しまった…………!!)
何かをされた。きっと薬だ。
ダメ。ここで倒れるわけにはいかない。
とにかく、この部屋から出なければ。誰かに助けを…………!
そう思って立ち上がろうとするけれど、膝の力が抜けそのままガクリと崩れ落ち、私の体は意に反してソファーに倒れ込んでしまった。
「う……っ、」
何?これ……。何の薬なの……?!
視線だけを動かしながらエルシー嬢の方を見ると、彼女は楽しくてたまらないという風にニヤニヤ笑いながら、右手に持っている小さな容器を私に見せつけるように振ってみせた。
「やっぱりねぇ。飲まないとは思ってたのよ。よかったぁこっちも準備しておいて。ふふっ。さすがはお父様ね」
(……おとう、さま……ですって……?)
どういうこと?お父様って……エルシー嬢の父親……?
これは、その人の差し金なの?ウィンズレット侯爵……?
……いや、違う……、グリーヴ男爵……?!
パニックになりながら必死で頭を回転させていると、エルシー嬢が裏庭に面した大きな窓を開けた。
「お待たせ。あとはお願いしますわ」
(……え……?)
「やれやれ。随分手間がかかったな。誰か来るんじゃねぇかとヒヤヒヤしたぜ。ったく……」
(─────っ!!)
大きな体をのっそりと曲げながら部屋の中に入ってきた、黒髪の男。
泣きぼくろのある目を三日月の形に歪めながら、その人はソファーに横たわる私を見下ろして下卑た笑いを浮かべた。
「さぁ、お楽しみの始まりだ、メレディア・ヘイディ公爵令嬢」
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