第47話 自覚する恋心

「アンドリューが心配している」

「……はい?」


 急に呼び出されたかと思いきや、実の兄上をアンドリューなどと呼び捨てにするトラヴィス殿下。

 廊下の片隅。授業と授業の合間の短い休憩時間、何人もの生徒が慌ただしくそばを通り過ぎていくけれど、私たちの会話を気にする人は誰もいない。


「……最近、あの女がやたらと君に近付いてきているんだろう。どうなんだ?何か妙なことを言ってきたりはしていないのか。あの馬鹿兄貴でさえ気になっているようだが」


 今度は馬鹿兄貴。アンドリュー様は随分な言われようだ。


「ウィンズレット侯爵令嬢のことでしたら、ええ、たしかに最近やけに愛想良くご挨拶してくださるようにはなりましたが、特に何か変なことを言ってきたりはしません。大丈夫ですわ」


 今のところね。

 私の返事を聞いてもトラヴィス殿下は眉間に皺を寄せ難しい顔をしている。……心配してくれてるのかな。

 少し嬉しいと思ってしまっている自分がいる。


「……それならいいが。あの間抜けでさえもわざわざ気にかけるなど、よほど女の様子がおかしいのは間違いない。絶対に二人きりにならないでくれ、メレディア嬢。年度末のダンスパーティーの準備が忙しいのだろう?最近は君も帰りが遅くなる日が多いし、俺は俺でいつもずっと君の隣についていてやれるわけじゃないからな。……心配だよ」


(……やっぱり心配してくれてる……)


 じわりと頬に熱が集まり、私は照れ隠しに殿下から視線を逸らして小さく笑った。


「心得ておりますわ。あの方に隙を見せるような真似はいたしません。……ご心配ありがとうございます、殿下」

「何かあったらすぐに俺のところにおいで。どんな些細なことでも、相談してくれよ。必ず」

「……はい」


 見上げると殿下の黄金色の瞳と視線がぶつかる。優しいその眼差しに安心し、それと同時に、胸が甘く締めつけられるような疼きを感じる。


(……ときめいちゃってるなぁ、私ったら……)


 自覚せざるを得ない。アンドリュー様に突然婚約を解消されたあの時からずっと私を気遣ってくださって、何度も楽しい時間を一緒に過ごしてくれた。忘れられない海辺の思い出と素敵な贈り物ももらったし、待ち伏せしていたジェセル様からも助けてくれた。そのたびに嬉しくて、胸が高鳴って、……今ではこんなに、この方を特別な人として意識するようになってしまった。


「今日は?放課後また残るのか?」

「いえ……、今日は生徒会の集まりがないので。すぐ帰ります」

「じゃあ、馬車のところまで俺に送らせてくれ」

「……はい」


 漂う甘い空気を心地よく感じながら、私は素直に頷いた。




 アンドリュー様からもトラヴィス殿下からも忠告されたとおり、私は日々なれなれしくなってくるエルシー嬢の挨拶を適当に交わしながら毎日をやり過ごしていた。もうすぐ年度末を迎え、長い休暇に入る。学年が上がり、アンドリュー様は卒業されるわけだ。


(そうなったらまた今の状況も何か変わるのかしらね……)


 あの二人は大丈夫なのだろうか。話を聞く限りでは、エルシー嬢の王太子妃教育はまだまるっきり進んでいないようだけれど。そろそろ国王陛下も黙ってはいないだろう。アンドリュー様の卒業を機に、何かしらの通達があるのかもしれない。当のアンドリュー様の方は、最近ようやく自覚がでてきたのか、以前に比べればだいぶしっかりなさってきたような気はするけれど……。


(ま、私には関係のないことではあるけどね。やっぱりこのセレゼラント王国の貴族の一員として気にはなるわよ。誰が王太子妃になるのか、それによってこちらにも大きく影響が出るかもしれないわけだし)


 そんなことを考えていた、その日の放課後。

 私はまたしても彼女、エルシー嬢から声をかけられたのだった。


 帰り支度を整え、マーゴット嬢たちに挨拶をしてからトラヴィス殿下のクラスに向かおうとしていた時のことだった。教室の外に出ると、暗い顔をしたエルシー嬢が立っていて、私の姿を認めるとトボトボとこちらに寄ってきた。反射的に体が強張る。


「……メレディア様……。あの……、すみません、少しお時間よろしいですか……?」

「……何ですの?ウィンズレット侯爵令嬢」


 トラヴィス殿下……は、まだいないみたい。瞬時に辺りを見渡してみたけれど、彼の姿は見当たらなかった。

 エルシー嬢は暗い顔をしたまま、小さな声で私に言う。


「実は、その……、折り入ってご相談したいことがございますの。もしよければ、聞いていただけませんか……?」


(……え?私に相談?……なぜ)


「……どうなさったんですの?突然。失礼ですが、私たちは相談事をするような親しい間柄ではございませんでしょう。どなたかもっと、あなたの近しい方にお話しされる方がいいのではなくて?」


 冷たいようだけれど、私は毅然として言い放った。実際これまでのこともあるし、私がこの人の相談事に乗ってあげる義理はない。そもそもその相談事というのが本当にあるのかも分からない。一気に警戒心が高まった。

 ところがエルシー嬢は悲しげな顔で食い下がってくる。


「……むしろ、他の誰かではなくメレディア様にしかお話することはできませんの。ですからこうしてお願いにあがったのです。どうか、ほんの少しでも構いませんから、二人きりで話を聞いてくださいませんか……?」


 二人きり。

 その言葉に私の神経が張りつめた。その時だった。


「無駄だよ、ウィンズレット侯爵令嬢。メレディア嬢は君の話なんか聞かない」


(っ!……トラヴィス殿下……。いつもいつも、ありがたいタイミングで……)


 絶妙なタイミングで現れ助け舟を出してくださったトラヴィス殿下が、普段よりさらに輝いてみえる。彼は私の肩を抱いてエルシー嬢から引き離すと、自分の背中の陰になるように私を下がらせた。


「自分がこれまでこの人にしてきたことを忘れたのか。王太子と二人して公の場で愚弄し、失礼な態度をとり続けてきたくせに、今さら虫のいいことを言うのは止めろ。何を企んでいるのか知らないが、メレディア嬢には近づくな。妙なことを考えれば、後悔することになるぞ」





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