第43話 長年の習慣

 ウィンズレット侯爵令息が待ち伏せしていたあの日から、私はしばらくビクビクしていた。だけどあれ以来あの人が校門の前で待っていたことは一度もないし、何よりトラヴィス殿下が本当にほとんど毎日、私を馬車までエスコートしてくださるようになった。


「……気を付けて帰ってくれ、メレディア嬢」

「はい。今日もありがとうございました、殿下。あ、明日は生徒会の集まりがあって遅くなりますので、お気になさらず先にお帰りくださいませね」

「……そうか」

「ふふ、そんなにご心配いただかなくても、もう大丈夫ですわ。あの日殿下がきっぱり言ってくださったから、ウィンズレット侯爵令息にはかなり効いたのだと思います」


 言ったというか、痛めつけたというか。


「……そうならいいのだが、君を危険な目には遭わせたくない。充分気を付けてくれよ。俺がそばにいない時でも」

「は、はい」


 そう言ってくれるトラヴィス殿下の瞳は至って真剣で、熱がこもっていて、私の心臓はまたドキドキと大きな音を立てた。




 平和な毎日が続く中で、ある日の放課後資料を取りに生徒会室に行くと、珍しくアンドリュー様がいた。そう、実はアンドリュー様は一応生徒会長。お忙しい身だし、細々した書類仕事は苦手な方だから、あまり顔を出すことはなかったのだけれど。王太子としての仕事や勉強もあることだしと、これまでは私や他の役員たちが生徒会業務をカバーしてきた。婚約解消後も、生徒会に関してはそんな感じだった。


「……ごきげんよう、アンドリュー様」

「っ!!メッ……!……あ、ああ、お疲れ様」


 会議用の長テーブルの一番奥に座って何やら書類にかぶりついていたアンドリュー様は、私が声をかけるとその場でピョーンと飛び上がった。……すごい動揺っぷりだ。


「…………。」

「…………。」

 

 特に話すこともない。私は次の学園行事に関する資料を本棚からいくつかピックアップすると、どうするべきかと逡巡した。


 くるり。

 本棚からアンドリュー様の方へ向き直る。


「っ?!!」


 こっちを見ていたらしいアンドリュー様とバッチリ目が合うと、彼は慌てて机の書類に視線を落とした。


(…………。)


「……何をご覧になっていらっしゃるのですか?」


 なんとなく無視して出ていくことができず、私はアンドリュー様のそばに歩み寄って声をかけた。彼は弾かれたように顔を上げる。


「あ、い、いや……。……過去の議事録を読みながら勉強していたんだ。ぼ、僕は生徒会の仕事をほとんどしてこなかったから……今からでもきちんと理解しようと思って……」

「……まぁ」


 珍しい。どうしたのだろう。これまでずっと「僕には分からないから皆に任せるよ」というスタンスだったはずなのに。


 アンドリュー様は私の視線に若干挙動不審になりつつも、目の前の資料を真剣な眼差しで見つめている。

 ……長年の習慣というのは恐ろしいものだ。助けてあげなくてはという思いが頭をよぎる。では頑張ってくださいませーと部屋を出ていくことができずに、私はアンドリュー様の見ている資料を横から覗き込んだ。


「……そちらは各委員会から提出された活動報告についてまとめたものですわね。予算の見直しを検討してほしいという要望が、ここに、二件ほど届いております」

「う、うん。なるほど」

「……そちらは学校行事の企画に関するものです。来年度の芸術披露会については目安箱を設置して、皆の意見や要望を集めてはどうかとの案が出ております」

「う、うん」


 その後しばらくの間、私はアンドリュー様に書類の内容を説明し、彼が手元に置いてらっしゃるものについてある程度話し終えると、


「では、私は失礼いたしますわね」


と挨拶をして部屋を出ようとした。

 すると、


「メ……ッ!!……へ、ヘイディ公爵令嬢」

「……はい?」

 

 焦った様子のアンドリュー様に呼び止められた。


 彼は眉を下げ、しばらく口をパクパクさせながら何やら逡巡した後、意を決したように言った。


「……もし、まだ時間があるのなら……、座ってくれないかな」


 そう言ってご自分が座っている場所の差し向かいにある椅子を指した。





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