第34話 しつこい手紙
「…………。はぁ……」
自室の中で、私はまた一人ため息をつく。
あの日以来、学園にいても屋敷に帰っても、気付けば私は自分の左手首ばかり眺めていた。
(……本当に綺麗……。トラヴィス殿下、私のために……)
殿下の言った通りになった。私はブレスレットを見つめては、まんまとあの海辺の休日のことを思い出している。
そして、トラヴィス殿下のことを……。
アンドリュー様との婚約解消以来、ずっと気にかけてくださっていた殿下。最初は学園を休んでいる私が屋敷で塞ぎ込んでいるのではと、心配してくれているだけだと思っていた。だけど私がものすごく元気でいるということが分かってからも、殿下は私を気にかけ続けてくれた。
一緒にいろいろなところに出かけて、たくさん話をして、気が合って楽しくて。
からかわれているのかと思っても、その直後にすごく優しい気遣いを見せてくれたりして。
その上子どもの頃の一番楽しかった記憶の一日を、一緒に覚えていてくれて、その日の幼い約束を忠実に果たしてくれて……。
(……もう気にするなっていう方が、無理じゃない?)
「……はぁ……」
ドキドキと高鳴る自分の鼓動を聞きながら、私は机の上に顔を伏せた。
……そんなに鈍い方ではないけれど、早とちりしてみっともなく浮かれたくもない。
『思い出すたびに、俺のことを考えてくれ、……メレディア』
(……メレディア、だって)
ああ、どうしよう。
締め付けられるような胸のときめきと、甘いため息が止まらないんですけど。
「メレディア?開けるわね」
「っ!!」
その時。母が突然部屋に入ってきて、心臓が一際大きな音を立てた。ビクッと飛び上がって振り返った私を見て、母が怪訝な顔をする。
「どうしたの?メレディア。今机に伏せていなかった?具合でも悪い?」
「い、いえ、違うわお母様。大丈夫です。ちょっと……、勉強疲れよ」
「あらそう?あまり無理しないで。あなた成績は充分すぎるほど優秀なのだから。ふふ」
そういうと母はふいに神妙な顔つきになり、手に持っていたものを私に差し出してきた。
「また届いているわ」
「え?……、……ああ……」
その手紙を受け取って差出人を確認した途端、高鳴っていた胸の鼓動が一気にしゅんと静まった。
「随分熱心な方ね、ジェセル様は」
「……。そうですわね」
私はげんなりしながら答えた。またか……。ジェセル・ウィンズレット侯爵令息からの執拗なまでのラブレターは、あの日侯爵邸で会って以来ほぼ毎日届いていた。
私の顔を見た母は苦笑しながら言う。
「お返事だけは一応お出ししてね、礼儀として」
「ええ。分かっているわ」
「……とても素敵ね、そのブレスレット」
「ええ。……。……えっ?!」
突然ブレスレットのことに触れられ、動揺した私は弾かれたように母の顔を見る。
「それはどなたから?」
「…………トラヴィス殿下ですわ」
「まぁ、どうして私に言わないのよ。ちゃんとお礼のお手紙は差し上げたの?」
「も、もちろん」
「……そう」
母は何かを確かめるように私の顔をじっと見ている。……もう止めて、お母様。私なぜだか殿下のこととなると平常心を保てないのよ、最近。
じわじわと頬が火照り目が泳ぎだした時、母が静かに言った。
「最近とても親しくしていただいてるのね、トラヴィス殿下には」
「そっ?……そう、かな。そうかしら。……ええ、まぁ」
「していただいてるじゃないの。何度も我が家までお迎えに来てくださって、お出かけして」
「……。そうね。ええ」
それはまぁ、学友として。同級生ですから。護衛たちもたくさんついてきているわ。……などと言うとなんだか言い訳がましく聞こえる気がして、私は何も言えずに黙った。
「……失礼のないようにね」
母は最後にそれだけ言うと少し微笑んで、部屋から出ていった。……はぁ、なんか疲れた……。
「…………。」
一人になった部屋の中で、私は手元の手紙をじっと見つめる。ふぅ、と息をつくと、渋々封を切り、中の紙を開いた。
“ 親愛なるメレディア・ヘイディ公爵令嬢
あなたからのつれないお返事に、涙を飲みながら過ごす日々です。ですがこうして手紙を送り続ければ、いつかきっと凍りついたあなたの心を私の愛が溶かし、二人の逢瀬が叶う時がやって来ると信じております。
この世で最も気高く美しい、大輪の花。私の女神。私の幸い。あなたの笑顔を想うだけで、この胸は切なく千々に乱れるばかりです。どうかこの私に、あなたにこの想いの丈をお伝えする機会を…… ”
「…………はーーー……」
読めば読むほど気分が重くなる。毎日のようにこんな内容の手紙が届き、それに対して私はやんわりとした言葉を選びながらも、はっきりと「お断りします」の意図が伝わる手紙を出している。あまりにもしつこすぎる。あなたの笑顔を想うだけで……って、そもそも私あの人に笑顔を向けたことなんかあったかしら。
ジェセル様のあの垂れ目といやらしさを感じるねっとりとした笑みを思い出してしまい、また新たなため息をつきながら、私は渋々便箋を取り出した。
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