第27話 侯爵家の次男

 振り返ると、エルシー嬢がズカズカと大股でこちらに歩み寄ってきていた。よほど歩きにくいのか、大きく広がったドレスを両手で鷲掴みにしている。

 私のそばまで来ると、エルシー嬢はバサッと扇を広げ、私にだけ聞こえるように耳打ちしてきた。


「……あまり調子に乗らないことね。あなたの不埒な行動を皆にバラしたっていいのよ」

「……。……何のことでしょう」


 訳が分からず問い返すと、エルシー嬢はニヤリと意地悪く笑って言った。


「私が黙っててあげてるのはねぇ、あなたのためじゃないの。あなたとトラヴィス殿下が親しくしているとか、結婚するんじゃないかとか、そういう噂が立ったらものすごく不愉快だから黙ってるだけよ。でもね、それもあなた次第よ。あまりに舐めた態度をとるつもりなら、こっちだって黙ってないから。あなたが王家に嫁ぎたいがためにすぐさま第二王子を狙いにいってるってバラすわよ。王太子に捨てられた女が調子に乗らないで!トラヴィス殿下に近づくのはお止めなさい!」

「……な……」


 言いたいことだけ言うとプイッと盛大に顔を背け、エルシー嬢は席に戻っていった。そして、さぁ楽しみましょう皆さぁん、と、残っているご婦人やご令嬢方にわざとらしく声をかけている。


(……あの日のことを言っているのね)


 トラヴィス殿下と観劇に出かけた日。大通りでブティックから出てきたあの人に出会ってしまったことを思い出す。殿下はいつもの黒いかつらを被って地味めな装いで変装していたけれど、さすがにごまかしきれなかったようだ。私と殿下が二人でいたことがよほど気に入らないのだろう。わざわざ持ち出してきて脅すようなことまで言ってくるとは。

 不愉快でたまらなかったけれど、ここで席まで戻って彼女に言い返すのも大人げない。場の空気をますます悪くするだけだ。


「大丈夫なの?メレディア」

「……ええ。行きましょうお母様」


 心配して声をかけてきた母に微笑み、私は広間を出ようとした。すると、


「……おや、失礼」

「……っ、」


 突然目の前に背の高い男性が立ち塞がり、危うくぶつかってしまいそうになった。反射的に顔を上げ、その人を見る。


(……あ、この人は)


「これはこれは、メレディア・ヘイディ公爵令嬢。それに、ご夫人も。ご無沙汰しております」

「まぁ、ジェセルさん。ごきげんよう。王女殿下の祝賀の晩餐会でお見かけして以来ですわ」


 母が愛想良く挨拶を返すその人は、ジェセル・ウィンズレット侯爵令息。このウィンズレット侯爵家の次男だ。漆黒の波打つ髪に目尻の下がったご令息は、私の顔をじっと見つめて媚びるような満面の笑みを浮かべる。泣きぼくろが目についた。


「出先から早く戻りましたもので、母や皆様にご挨拶でもしようと。……もうお帰りになられるのですか?」

「ええ。私たちはそろそろ。お元気そうなお姿を拝見できてようございましたわ」

「そうですか。……残念だなぁ。せっかくメレディア嬢にここでお会いできたというのに。俺もあなたと話したかった」


 母の言葉にしょんぼりした顔をすると、ジェセル様はまた私の顔をじっと見つめてくる。……正直、その訴えかけるような視線が少し気持ち悪い。


「ありがとうございます、ウィンズレット侯爵令息。……あいにくですが、我が家のタウンハウスは少々遠いので、そろそろ……。また機会がございましたら、ぜひ」


 そう言って母に続き広間を出た途端、


「ね……、待って、メレディア嬢」

「っ!」


 背後からあり得ないほど近い距離で囁かれ、背筋がぞわっとする。


「な、何でしょうか」


 慌てて距離をとりながら振り返り、ジェセル様を見上げる。彼はねっとりとした笑みを浮かべたまま、私にこう言った。


「王太子殿下との婚約解消の件、残念でしたね。ですが、俺は喜んでいる男のうちの一人ですよ。……いかがですか?よろしければ、今度二人きりで、食事でも」


(か……、勘弁して……っ!)


 別にこのジェセル・ウィンズレット侯爵令息が身の毛もよだつ不潔な男とか、とてつもない醜男というわけでは、決してない。むしろ見る人によってはこの垂れ目や泣きぼくろがとても魅力的に映るだろう。それくらいの整った容姿の持ち主ではある。

 だけど、ねっとりとした笑みの裏側にある下心が透けて見えすぎていて、むしろもう丸出しで、全身に鳥肌が立つのを抑えられない。この短い間に、私はすでにこの人に対する生理的な嫌悪感を覚えてしまった。


「……。ま、お上手ですこと、ウィンズレット侯爵令息」

「また一段とお美しくなられた」

「……またそのような……。では、これで……」

「本当ですよ。ずっと見つめていたくなる」

「ま、ふふ。夜になってしまいますわ。……では、」

「神は俺に味方してくださったのだろうか。あなたが未来の王太子妃としてではなく、一人の女性としてこの俺の前に現れてくれただなんて」


 だとしたら私は神を恨むしかない。今日は何なの。もう散々だわ。


「娘を気にかけてくださってありがとうございました、ジェセルさん。……さ、行きましょうメレディア」


 察した母が強引に話を切り上げてくれる。まだじーっと見つめてくるジェセル様に今度こそ最後の挨拶をして、私たちはその場を離れた。


 ようやく馬車にたどり着くと、堪えきれずにため息が漏れた。疲れた……本当に疲れた……。早く帰って、横になりたい……。

 そんなことを思いながら、母に続いて馬車に乗ろうとした、その時。


「メレディア様」

「……あら、マーゴットさん。あなたももうお帰りに?」

「ええ。こちらで失礼いたしますわ。……あの、」


 マリーゴールドのようなデイドレスをまとったマーゴット嬢が、優しく微笑みながら言った。


「今日のメレディア様も、とても素敵でしたわ。あの方に対しては思うところもたくさんおありになるでしょうに、それをおくびにも出さず、お優しく、それでいて毅然とした態度で。淑女としてのあるべき姿を、また勉強させていただきました。……どうぞ、お気を付けてお帰りくださいませ。また来週に」

「……ありがとう、マーゴットさん。ええ、また来週ね」


 品良く優しい彼女の言葉を全身に浴びて、私は頬を緩ませながら馬車に乗り込んだ。準備の整った馬車が、ゆっくりと動き出す。


(ああ……。最後の最後に癒やされた……。ありがとう、マーゴットさん……)





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