第3話 完璧な私でいなくては

「おはようございます、メレディア様」

「ごきげんよう、メレディア様」

「……ごきげんよう」


 翌日。学園に行けば朝から皆が挨拶をしてくる。通りすがりに私を上から下まで見る人たち。昨夜眠れなかったことをごまかすために、目の下にはしっかりとお粉をはたいてきた。制服には皺一つないし、金色に輝く髪にもほつれはないはずだ。

 大丈夫。私の心が乱れていることは誰にもバレない。

 食欲は湧かないけれど、これ以上痩せすぎてもいけない。スラリと細く美しく、それでいて決して不健康に窶れてはいけない。常に程よく美しい細身を保っている必要がある。

 いつも通りの、完璧な私でいなくては。完璧な王太子殿下の婚約者で……。


(…だけど、それって一体何のために…?)


 モチベーションが上がらない。今まではただひとえに、アンドリュー様のことだけを思い自分を高め続けてきた。さすがはセレゼラント王国王太子殿下の妃となる女性だ、あのような人が妻となるのだから、王太子殿下も安心だろう。……アンドリュー様が周囲の貴族や重鎮たちからそう思ってもらえるために、頑張って頑張って、ひたすら勉強に打ち込んできた。けれど。


 アンドリュー様には、私の思いはまるっきり通じていなかったらしい。いつからあの人と、…エルシー・グリーヴ男爵令嬢と恋仲になっていたのだろう。


(……虚しい)


 睡眠不足と気疲れもあって、気を抜くと姿勢が崩れため息が出てしまいそうだ。……ダメダメ。アンドリュー様が他の女性に心を移していたからといって、私たちの婚約が白紙に戻るわけじゃないのだから。

 結局私は、あの人の元に嫁ぐしかない。私を愛してくれないのなら別の人と結婚します、なんて、気軽に言える立場だったらどんなによかっただろう。

 だけど私にそんな選択肢はないのだ。生まれた時から。


 背中にズン、と覆いかぶさってくるようなどす黒い重みに心が潰されそうになっていると、


「よう、おはよう」

「っ!……ト、トラヴィス殿下。おはようございます」


ものすごくフランクに声をかけられ思わず飛び跳ねる。学園で私にこんな風に声をかけてきてくれるのはこの方だけだ。まぁ、それもごくたまにだけど。


「大丈夫か?」

「……何がです?……はい。私はいつも通り、体調も万全、授業の予習にも抜かりはございません」

「いや、そうじゃなくて。……まぁいいや」


 何か言いたげなトラヴィス殿下だったが、それ以上私に問い質すこともなく、ただ並んで歩きはじめた。…何だか落ち着かない。なぜ一緒に歩いてくるのかしら。いつも周りにいるご友人方はどうしたのだろう。


「トラヴィス殿下、おはようございます!…メレディア様、ごきげんよう」

「おう、おはよう」


 通りすがりの女子生徒たちが、露骨に目を輝かせてトラヴィス殿下に挨拶をし、その後緊張気味に私にも挨拶をする。…不思議だ。殿下は王族。私よりはるかに立場は上。なのになぜだか皆殿下に挨拶をする時の方が気楽そうなのだ。きっとこの方の持つ独特の人懐っこいオーラのせいだろうな。

 通り過ぎていった女子生徒たちを何気なく振り返ると、皆まだ目を輝かせてトラヴィス殿下のことを見送っていた。だけど私と視線が合うと慌てて去っていく。


「……。」


 改めて隣を歩くトラヴィス殿下を見上げる。たしかに、この方はものすごく格好いい。顔立ちはどことなくアンドリュー様と似ているけれど、トラヴィス殿下は彼の栗色よりも濃く深い髪色をしている。その髪と同じ色の瞳には、アンドリュー様にはない黄金色の輝きが混じり妖艶な色気さえある。そして身長はアンドリュー様よりもだいぶ高い。歳は私と同じ16なのに、どちらかといえばトラヴィス殿下の方が兄君に見えなくもない。見た目も中身の頼りなさも、アンドリュー様の方が幼く思える。


「眠れなかったんだろう?」

「……えっ?な、なぜです」

「そんな顔をしてる」

「……。」


 ほ、ほんとに?顔に出てる…?

 しまった、と思いひそかに動揺していると、トラヴィス殿下は可笑しそうにクックッと笑った。


「嘘だよ。見た目じゃ全然分からない。安心しろ。いつも通りの完璧な美しさだ」

「……殿下。またそんなことを……」


 ひどい。からかったのね。

 どう返そうかと思案していると、トラヴィス殿下は急に神妙な声で囁く。


「…あんなろくでもない兄ですまないな。自重しろと再三言ってきたんだが」


(……やっぱり)


「…ご存知でしたのね」

「あの男爵令嬢は学園内で有名だからな。誑かされる馬鹿な男は何人もいるようだが、一国の王太子である我が兄までもがあっさり籠絡されるなど。情けなくて殴り飛ばしたくなるよ。…何より、君を傷付けたことが許せない」


 …優しい方だな。

 幼い頃からアンドリュー様のことばかり考えていたから気付かなかった。あの方よりも言動が粗野で、少し庶民的な雰囲気で、アンドリュー様とは真逆だな、なんて思っていたぐらい。だけどこうして少し話しただけで、トラヴィス殿下の私への心遣いが伝わってくる。


 ありがとうございます殿下、そう言おうと思い顔を上げると、殿下が怖い顔をして前方を睨みつけている。


(……あ)


 視線の先から、アンドリュー様が歩いてきているのが見えた。近くまで来て私たちの存在に気付いたアンドリュー様は、トラヴィス殿下の顔を見てビクッ!と飛び跳ね露骨に怯える。そしてちらりと私を見ると、そのままあちこちに視線を泳がせながらすーっと向こうへ行ってしまった。明らかに挙動不審だ。


(……情けない……)





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