神様と死にたい

上原げび太

憂鬱な日曜の朝、目覚めるとそこには神がいた。

べつに、「それ」が自らが神と名乗ったわけでもないし、一見ただの爺にも見えるの

だが、私は直感的に「それ」を神だと認識した。

布団に横になったまま神から目を離せないでいると、突然神は私に、その醜い皺まみれの顔をずい、と近づけ、しゃがれた声でこう言った。

「願いを一つ、叶えてやる。」

一瞬頭には、大金持ちだとか、誰もが振り向くような美貌だとか、そういう馬鹿らしい願いがよぎったが、そんなものより遥かに素敵な願いが、思考から速達で声帯に届く。

「なら、私と心中してください。」


昔は良かった。

中学三年生の冬、精神病を患うまで私は無敵だった。

当時私はサッカー部に所属しており、試合で活躍すると両親は大変喜んでくれたのだが、ある日のミスが原因でスランプになってしまい、私は今まで容易にできていたことがだんだんできなくなって、焦れば焦るほどさらに深く落ちていった。

あのときの、両親が初めて見せた落胆の表情!

精神を病んだ私はすっかり見放されたようで、両親はまるで別人と入れ替わったかのように、私に冷たくなり、会話も少なくなっていった。

もう私にはなんの期待もないことを悟ったときの絶望。


それから今日まで、ずっと死にたかった。

しかし一人で死ぬ度胸はない。意気地なし。

死ぬならやはり心中だと、心に決めた翌日、私の元に神は来たのだ。救い。

では、どうやって死のうか。

電車に飛び込む?どこか高い場所から飛び降りる?それともベターな首つり?

私の提案を、神は黙って聞いていた。

「決めた。今夜、海へ行こう。そこで二人、死にましょう。」

「分かった。」


十八時、両親に「コンビニに行く」と伝えて、家を出た。

私の家から海までは、電車に乗っても一時間ほどかかるので、着いた頃にはすでに日は沈みきっているだろう。

電車に揺られている最中、私と神は一言も喋らなかった。

車内はずいぶん空いており、しかめっ面の老婆と、二十歳くらいの男しかおらず、私は離れた席に神と並んで座っていた。

途中、中々帰ってこない私を心配したのか、母親から電話がかかってきたのでスマホの電源を切った。ごめんなさい。

電車から降りると、もう日は見えず、薄暗かった。

ここいらの町はあまり栄えていないようで、人通りは全くなく、田んぼの向こうに寂れたラブホテルが一軒見える。

十分程歩いただろうか、海に辿り着くともう辺りは真っ暗で、誰もいないビーチには心地よい波音と私たちの砂を踏みしめる音、捨てられたスナック菓子の袋しかなかった。

小学生の時分、夏休みになると毎年家族でこの海に遊びに来たものだが、季節外れの海は当時と比べてひどく廃れて見えて、真っ黒な水面が月光に照らされ、揺れている。

ノスタルジーを振り払い、靴を脱いで、神と手を繋ぎ、一歩づつ黒に飲み込まれていく。

足が海水に触れた瞬間、強烈な痛みが走る。

真冬の海は、冷たいというより、もはや痛いのだ。

膝まで浸かると、体がガタガタ震えだす。

私の息はすでに浅くなり始めていた。

進んで進んで、もう胸まで浸かったとき、なんだか不安になって、横にいる神の方へ顔を向けたのだが、暗くてよく見えない。

なぜだか、涙がぽろぽろ流れ出した。寒い。痛い、痛い。

命が恋しくなり始めた途端、足が着かなくなった。

もうそんな深いところまで進んだのかと思う間もなく、冷たい海水が口から鼻から入ってくる。

苦しい、苦しい、苦しい!

たまらず息を吸おうと口を開けるが、その都度また、海水が喉奥まで入ってくる。

私はもうすっかりパニックになって、いつの間にか繋いでいた手を放し、砂浜へ戻ろうと踠いたがその過程でまた海水を飲んでしまい、沈んでいく。

あぁそうか、もう死ぬしかないのか。

私はもうすっかり諦めてしまって、激痛と不快感の中、迫りくる死を受けいれることにした。

家族や、中学生の頃の友人の顔が浮かんでは消え、全身の感覚が薄れていく。

遠のく命を味わいながら、ふと、私の死を家族が知ったらどうするだろうと考えた。

悲しんでくれるだろうか、泣いてくれるだろうか、それとも、「ああそうか」と思うだけであろうか。

もし、今願いが一つ叶うのだとしたら、家族に、謝りたい。


翌日、ある海で少年の水死体が一体見つかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様と死にたい 上原げび太 @hanabara0309

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ