わたしの可愛い腹
やなぎらっこ
第1話
3年前の夏、もんどりうつ腹痛と血便で苦しんでいた。
尻から血が出るのは私の生活では割と普通なのだが、まじの血便が出るのは10年ぶりくらいである。朝からシモの話で申し訳ない。でも、世の中の人は他人が苦しむ話わりと好きだと思う。だから24時間テレビとか、アンビリーバブル的な番組が続いているのだろう。話は戻り、自分は20代と30代の時に、虚血性腸炎で2度ほど入院した経緯があるので、またそれかな?と思った。元来、腸が弱いのだ。
腹痛が訪れたのはお盆の日曜日で、その日は実家で法事だった。次女は夏休みなので、気分を味わうため自宅には帰らず、そのまま実家に泊まることとなった。夕方、夫と2人で王将に行き大好きな餃子を食べた。死ぬ前の最後の晩餐も餃子と決めている。私の熱い視線に応えて夫が自分の満腹炒飯セットについていた餃子もくれた。私はミニ天津飯を夫にあげた。緊急事態のアレでビールは飲めなかったが、私はささやかな幸せを感じていた。腹が膨らめば満たされる、そんな単純な庶民で本当によかった。帰宅して台所でビールを飲んだ。その時、ふと実家で貰った鳥刺しが目に入った。鳥刺しは兄嫁の故郷である鹿児島の土産であった。母親が「2日前貰ったから、生じゃ厳しいかも。火通して食べてね」と言いながら鳥刺し(生の鶏肉)のパックを冷蔵庫から出して持たせてくれたのだった。私はそれを聞きながら「いや、生でいけるっしょ」と心の中で呟いた。そういうギリギリのものにこそ挑戦していきたい。新世界のカエルの串揚げやアワビの踊り食い(これは普通にご馳走)にも果敢に挑んでいきたい。カエルは意外と高かったが頼んでみたら「品切れです」と言われ、結局食べることはできなかったのだった。受注生産的な仕入れの仕方なのかもしれない。
とにかく、今、目の前にある、鳥刺しとして看板をあげているこの品物を焼いたり煮たりするのは失礼じゃなかですか!?そんなことじゃ成仏させてやれんよ!と思った訳である。で、若干、色艶がよくないようには見えたが、あらかじめスライスされていた鳥刺しに醤油を垂らし、口に入れてみた。コリコリしておる。そして…生臭い。味はわからないが、多分食感を楽しむ的なオツな奴のヤツね、と思う。ビールを飲む。続けて2、3個口に放り込む。ビールを飲む。コレは絶対、甘辛く焼いた方が美味いよ!と気づき、鳥刺しと私の真剣生勝負はあっけなく幕を閉じた。甘辛く焼いた鳥刺しは夫の明日の弁当に入れた。
しかし、本当の勝負は終わってはいなかったのだ。その後、暢気に夫と2人自宅で過ごしていたらそこまでの悲劇にはならなかったかもしれないが、私は長女から咳が酷くて声も出ないとのSOSのラインを夕方に受け取っていた為、危険な己の腹具合を抱えたまま(その時はまだ胃腸は平穏無事であった)、21時過ぎに1人暮らしの長女宅へと向かった。日曜の夜、梅田方面に向かう電車は空いていた。長女は調子は悪そうだったが機嫌はよかった。いつものように、洗い物をしたり無駄話をしながら部屋の片付けをしていると急に胃がムカムカしてきた。私は眠いせいだと思った。今日も朝から働き過ぎたんや、と時計を見ると、もう23時を回っていた。
「終電、何時やっけ?」と尋ねると、お菓子を食べていた長女が「え?お母さん帰るの?大丈夫?」と言った。
「わいは明日仕事やし、頭も洗っていないんや。ごめんやけど、帰るで」と返したが、既にその時吐きそうで腹も痛かった。しかし、長女の家に泊まってしまえば明日の朝に起きれない自信があった。不眠の為生活が乱れ遅刻してしまったのは、つい先日の話である。
「しんどかったら、また連絡して」と告げて私は長女の家を後にした。腹が痛すぎて真っ直ぐ道を歩けなかったが、なんとか駅まで辿り着くことができた。終電まで7分時間があることを確認してから、私はトイレに駆け込んだ。しかし、時間が気になって大した成果は得られなかった。終電を逃すと家に帰ることができない。歩いて帰るには遠すぎるし若くもない、何より体調が悪過ぎる。
腹に刺激を与えないように、ソロソロと階段を降りてホームで電車を待つ。じっとしていると腹から変な音が鳴り腸が蠕動しているのがわかる。人生に苦悩している人のように数歩ヨロヨロと歩き、壁に寄りかかり、空中で考える人のポーズをとり、尻のあたりを片手で押さえ、これは試練だ、適当に生きてきた罰だ、いや、単なるゲームだ、とか考えてみる。終電には乗ることができたが、電車に乗ってからの方が酷かった。ガラガラの電車でポールダンスの人のように銀色の棒にしがみつき、波うつ腹の痛みに苦悩する。数歩進んで座席に座ってみる。尻がシートにつかないよう斜めに座っていると脂汗がダラダラと流れ落ち、息が獣のように荒くなる。出産の時に「まだ、イキんじゃダメ!我慢して。呼吸を整えて。フー、フー、そう。いきみを逃して」と言われたことを思い出す。向かいの席の20代の男の子がびっくりしたような顔で私を何度も見てくる。「私を見んなー!惚れんなやー!」と心の中で叫ぶ。もちろんそういうことじゃなく、多分「この人、大丈夫かな。めちゃくちゃ汗かいてる。めっちゃ苦しそうやねんけど…どうしよう」という戸惑いの眼差しであった。しかし、そんな優しさなど迷惑なのだ。無関心でいてくれ、私はいま人間と獣の瀬戸際に立っているのだ、見るなー!と、私はまたヨロヨロと立ち上がって隣の車輌に移った。なんとしても電車の中で脱糞だけはしてはいけない。人としての誇りが砕け散る、嗚呼、これが最終電車でさえなければ、すぐ降りて駅のトイレに行くことができるのに。いや、もうトイレさえ行ければ、後は歩いて家まで帰ればいいじゃないか、でも、もう1駅頑張ってみろ、いや、無理、降りる。汗で髪の毛がびっしょり、もう駄目、だめ、ダメやー!、で、とうとう私は崩壊した。
以上のような悲劇が起こり、詳細は割愛するが、糞で汚れたパンツは公衆トイレの汚物入れに捨てて、私はノーパンのまま歩いて帰った。その間、ずっと頭の中で鳴っていたのはカニコーセン(播州スラッジフォーク)のある歌のフレーズ「君が生きるのに疲れて死にそうな気分なら」だった。電車で脱糞しパンツをはかずに夜道を歩く46歳のオバサンには沁みた。ズタボロの心地に毛布をかけられた。
「待ってたよ。遅かったね」と優しく夫は迎えてくれたが、私はトイレに駆け込みゲロゲロのピーピーであった。よくこんな嫁と一緒におるなと思いながら、愛しい便器にしがみついていた。その晩は眠ることもできず、家の廊下で虚空を掴みながら海老になったりヒキガエルになったりして苦しんだ。最終的には下血したので救急車呼ぼうかと思ったが、これで死ぬなら仕方ない気もした。翌、月曜の朝も腹痛がひどいので仕事を休もうかと思ったが、通勤途中に危険な状態になれば降りればよいし、会社にはトイレはあるし、何より己の体調不良を理由に休むことなど許せないので行くことにした。案の定、通勤時は途中下車してトイレに駆け込むことになったが、血に塗れた便器を見ても心は穏やかであった。座り仕事なので腹痛や吐き気もマシで、トイレがある安心感も加わり、なんとか一日をやり過ごした。仕事が終わると、会社の近くで夫が車で待っていた。私は病院嫌いなので、絶対行かないと言ったのだが無理に連れて行かれた。医者に向かって「生の鶏肉との勝負に負けた」とも言えず、「血便はよくあることです」などとほざいていたら、大きな病院で大腸カメラを受けるように言われる。
それから1週間過ぎ、まだ検査は受けていないが私の腹は快調である。3日ほど絶食して、処方された大量の薬をキチンと飲んだので、多分治った。下痢も腹痛も血便もない。ピザも唐揚げも食べたし日本酒もビールも飲めるようになったので、もう大丈夫。しかし、腹はこわれものなので大事に扱わないとダメだ。ご自愛とは、自分の身体を労って優しく接してあげることなのだ。そういうことだったのだ、とつくづく思った。
可愛い私の腹、いつもありがとう。
わたしの可愛い腹 やなぎらっこ @racco-death
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
羽弦クリニック/羽弦トリス
★10 エッセイ・ノンフィクション 完結済 4話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます