俺と過去の落とし物2





家の玄関のドアノブに手をかけ、振り向かずにノブを見たまま尋ねた。周囲に人はいないが、幽霊に聞こえるギリギリのボリュームに気を使う。

「で、お前は今日もうちに泊まるのか?さすがにうちの両親も二日連続で止めてくれるほどお人好しじゃねーぞ」

俺の言葉を聞くと、幽霊はすっとドアをすり抜けて家の中に入って行った。と思ったらすぐに顔だけ外に出す。突然鼻先に現れた生首に、俺は思わず一歩下がった。

「安心しろ!オレは和輝の周りでテキトーに過ごす!」

さらに手首を出しダブルピースを決める幽霊。俺はその満面の笑みに苦々しげな視線を返した。

「それのどこに安心しろっつーんだよ。周りでうろうろされたら目障りだろ」

「じゃあうろうろしない!すっとついてく!すっと!」

どっちでも同じだろ……。俺はドアに生えている生首をひと睨みすると、ドアノブを手前に引いた。首を突き出した妙な格好で立つ幽霊の横を黙ってすり抜ける。

「あ、おい待ってくれよ~」

靴を脱いですぐ左側のドアを少し開け顔を出す。リビングのソファーで雑誌を読んでいた母に「ただいま」と一言告げ、階段を上がった。

自分の部屋に入り間髪入れずにドアを閉める。幽霊は何食わぬ顔でドアをすり抜けてきた。机の上にカバンを置きイスに座る。小学校に入学した時から使っている、どこの子供部屋にもある机とイスだ。俺はイスを回転させると、部屋の真ん中で意味もなく歩き回っている幽霊の方を向いた。

「で、お前はいつ帰るんだ?」

「またそれかよ~。和輝はその話しかできねぇのか?」

「お前が帰ったら他の話題を考えるさ」

「それ意味ねぇじゃん!オレに話せよオレに!」

俺は再びイスを回転させると、カバンの中から教科書販売のプリントを取り出して机の上に置いた。クラス毎に必要な教科書が表になっている。馬鹿でも間違いなく自分が買うべき教科書が買える仕組みだ。俺は二組の欄にチェックを入れ、合計金額を確認した。けっこう高い。三年にもなって辞書を買う必要があるのか?確か一年の時もクソ重たい英和辞典を買わされたが、一度も使った記憶はない。

「そういやお前いっつも地面歩いてるけど空飛んだりとかできねーの?」

ベッドに仰向けになって漫画を読んでいた幽霊は、その間抜け面をこちらに向けた。他人の家に勝手に上がりこんで、遠慮というものが無いのだろうかこいつは。幽霊は漫画を放り投げるように置くと立ち上がった。

「できるに決まってんだろ!オレ神様だぜ?超天才的な素質を持ったすげー存在なんだぜ!?」

「そうか。そうは見えないのは残念だな」

「見てろよ!ほら!」

幽霊は両腕をバッと横に広げると、足を肩幅に開いた直立のまま滑るように左右に動き始めた。足は……床から若干だけ浮いている。まるでベルトコンベアに乗っているような動きだ。

「何か気持ち悪い動きだなそれ」

「もちろん霊体らしくふわふわ浮くこともできる!」

幽霊はそう宣言するや否や、そのままの体勢でふわりと宙に浮いた。

「おお」

「自由自在だぞ!」

俺が想像していた「これぞ幽霊の動き!」という動き方で部屋の中を縦横無尽に飛び回る幽霊。最終的にはあぐらをかいたままぷかぷか浮き始めた。

「幽霊って浮いたりすり抜けたりできて便利だな」

「それは勘違いだぞ和輝。幽霊だって全員浮けるわけじゃない」

「落ちこぼれがいるってことか?」

「向き不向きに個人差があるんだよ」

幽霊はあぐらをかいた体勢をイスに座っているような体勢に変えた。俺からは空気椅子をしているように見えて、腿やふくらはぎがプルプルしてくるのだが。

「和輝からはオレが浮いてるように見えるだろうけど、オレからしたら霊子の上に乗ってるだけ。動く時は自分の乗ってる霊子に流れを作る。この流れを作る能力に個人差がある」

「お前にしてはわかりやすい解説だ。霊子ってのは酸素とか窒素とかと同じ考えでいいのか?」

「いいと思うぞ。いつもその辺にあってオレ達にも見えない。オレ達も酸素みたいなもんだと思ってる」

幽霊は一通り部屋の中を飛び回ると、ベッドの上に着地して先程と同じ体勢になった。俺は一応明日のテスト勉強でもしようかと春休み前に配られたワークを開いた。普段より点が低いと、親が「どうしたんだ、なにか悩みでもあるのか」とうるさいから。まぁ出そうなところだけ目を通しておけば十分だろう。

「つーことはさ、その霊子の操作に向いてない奴はずっと飛べないままなのか?」

俺はワークをペラペラとめくりながら背後に声をかけた。幽霊が再び漫画を横に置いたことが気配でわかる。……幽霊に気配ってあるのか?

「練習次第でマシになるやつも多いぞ。でも素質はほとんど霊力の強さで決まるって聞いたことある。きっと和輝は飛べる幽霊になると思うぜ!」

「おー、それは良かった。飛べる奴に馬鹿にされるのは我慢できないからな」

「あと一応補助器具みたいなものもある。官吏限定だけど」

俺は最後までめくり終えたワークを再び先頭からめくりながら声を返した。

「天国にも国家公務員ってあんのか?」

「神殿で働いてる人とか、銀行とか郵便屋さんとかを官吏って呼んでる。でも若い奴は確かに公務員って呼んでるな。神殿が管理してる仕事はたいてい公務員だと思うぞ」

「お前さっきから曖昧なことばっかだが、そんなんで神って勤まんのか?」

「神って抽選で選ぶみたいなもんだしなー。選挙とかもないし」

「天国ってそんな緩いのか……」

いや、よくよく考えたら抽選でもない限りこんな奴が神なんてならないだろう。だいたい神のくせに仕事が嫌だから地上に逃げてくるってダメだろ。神のサボりって誰が叱れるんだ?こいつは部下に怒られると言っていたが、上司に説教できるもんなのか?

「そんな選定方法なら、もしクソみたいな奴が神に選ばれたらどうなるんだよ。殺人犯とか、自己中心的な奴とか」

「その場合はその期間天国中から悲鳴が上がるな」

「なんでそんな奴神にするんだよ……。候補から外しとけよ」

「仕方ない、そうすると差別になっちゃうからな。天国は平等を目指してるんだ」

俺がワークを閉じて振り返ると、幽霊がこっちを見ていたことがわかった。俺が何も言わないからか、しばらくしてまた口を開く。

「オレの前に神様やってたやつが自分勝手なやつでさ。税金上げて自分は豪遊してたんだ」

「誰も止める奴いないのか?」

「そりゃみんな注意はしたけど、あんまりうるさく言うと反逆だーとか言って牢に入れられちまうからさ。みんなが苦しんでるのはわかってたけど、何にも出来なかったんだ」

「そいつサンドバッグにされて死ねばいいのに」

「ちゃんとボコボコにされてたぞ?代替わりした後で」

なるほど、神という役職ではなくなったら手を挙げてもいいってことか。だが、長年重税に苦しんできたのに、殴ったくらいで気が晴れるものなのか?そいつは自分達の納めた税で散々遊んでたっていうのに。

「それなら真面目に働けってお前に文句言う奴はいないのか?お前の給料だって国民の税から出てるんだろ」

「オレは書類にはんこ押すだけのお飾り神様だから大丈夫だ」

幽霊はそう言って能天気な笑顔を浮かべた。いったい何が大丈夫なのか俺にはさっぱりなのたが。

その後しばらく、幽霊が話しかけそれを俺が適当に流すという作業をしていたが、一時二十四分、俺の部屋のドアがノックされた。他の人間には視えないくせに幽霊がピンと背筋を伸ばす。俺は身体を半分ドアの方に向けて「はい」と返事をした。ドアが開いて母が顔を出す。

「お昼ご飯あるけど、食べる?」

「すぐ行く」

母は「わかったわ」と言うとドアを閉め階段を降りていった。幽霊がホッとしたように身体の力を抜く。

「今日の昼ごはんなんだろうな」

「当たり前だがお前の分はないぞ」

俺が教科書販売のプリントを手にして立ち上がりながら冷ややかに言うと、幽霊は「そんな馬鹿な」とでも言うように目を見開いた。

「え━━!何でだよ!オレ餓死しちまうじゃねぇか!」

「知るかよ。幽霊なんだから餓死なんてしないだろ」

「するよ馬鹿!霊体だから死んだら消えるんだぞ!?転生できないんだぞ!?」

「ならその辺の草でも食っとけよ。タダだから」

俺は部屋の外に出て、容赦なくドアを閉める。すぐに幽霊がドアをすり抜けて飛び出してきた。階段へ向かう俺の足にすがりつく……が、すり抜けるので意味はない。

「なぁ和輝ぃ、お願いだよ。オレにも昼飯恵んでくれよぉ」

「部屋出たら話しかけんな」

「オレが消えたら和輝も困るだろ?友達だもんな!な!?」

「…………」

「和輝の馬鹿!意地悪!人で無し!和輝なんて地獄にぶち込まれちまえ!」

階段を降りる間散々言ってきたが、階段を降りきると、幽霊は「うわ~ん」とか言いながら来た道を戻って行った。俺はその後ろ姿をしばらく眺めていたが、すぐ目の前のドアを開けるとリビングへ入った。

リビングでは母親がテレビを見ながら昼ご飯を食べていた。ついさっき食べ始めたのだろう、昼ご飯であろうチャーハンはほとんど減っていない。母は俺が入って来るのを見ると、スプーンを置いて立ち上がった。

「今用意するわね。さっき作ったばっかりだからまだ温かいの」

俺は適当に礼を言ってイスに座った。母の気になる番組がやっていなかったのか、テレビからはニュース番組が流れている。温め直す必要がなかったからか、母はチャーハンを乗せた皿を持ってすぐに戻ってきた。

「今日ねぇ、番場さんが東京に行ったからってお土産くれて。番場さんってほら、いつも話してる焼き魚を担当してる人ね。わかるでしょ?」

「うん」

「お母さんが東京に住んでるらしいんだけどね。東京ばななのレーズンサンドですって。冷蔵庫に入れてあるから好きに食べてね。あ、でもお父さんの分は残しといてあげて」

「うん」

政治関係のニュースから殺人や強盗のニュースに切り替わった。ニュースキャスターがより真面目くさった表情を作る。

「私達も旅行くらい行きましょうか。夏休みとか……どうかしら?海外とまではいかないけど、二泊三日くらいで」

「うん」

「行くとしたらどこがいいかしら?温泉もいいけど……買い物もしたいわね。でもあんまり買い物ばっかりするとお父さんが嫌がるかしら。ならやっぱり温泉ね。でも真夏に温泉って暑くないのかしら」

「うん」

神奈川の住宅地で大規模な火災が発生したというニュースから、母親が七歳の娘を虐待して殺害したというニュースに移った。ニュースキャスター達が神妙な顔で綺麗事を語っている。

「酷い話よねぇ……まだ七歳で……。何で虐待なんてするのかしら。自分で産んだ子供なのにねぇ」

「うん」

「ほら、和輝も覚えてない?小さい頃仲良くしてた大名さんちの娘さん。もう忘れちゃったかしら。一緒に遊んでたっていっても十年も前の話だもんね」

「うん」

「あの子も可哀想にねぇ。虐待なんてするお母さんには見えなかったんだけど。人って見かけによらないのねぇ……あら、和輝、どうしたの?」

突然立ち上がった俺の顔を、母は不思議そうに見上げた。テレビからはすでに次のニュースが流れていた。ニュースキャスター達は虐待の話なんか忘れたかのように大きな交差点で起きた交通事故について話していた。

「飲み物取ってこようと思って」

「あら、お母さんお茶出すの忘れてたわね。ごめんなさいね、取ってこようか?」

「いいよ。自分で取ってくるから」

俺はすぐそこの台所まで歩き、冷蔵庫を開けた。麦茶のパックを取り、流しの横の棚からコップを一つ手にしてテーブルに戻る。

「そういえば、今日のテストどうだった?和輝のことだから心配はしてないけど……」

「いつも通りだよ」

「あと、進路のことだけど……。本当に就職希望でいいの?和輝なら大学くらい行けるわよ。ちゃんと勉強してるもの」

「いいよ別に。大学行ってやりたい事もないし」

「そう?和輝が言うならそれでいいけど……。でも高卒と大卒では後々年収が変わってくるっていうし……」

「母さん、これ」

俺は少し離して置いておいたプリントを母の前に置いた。

「明日の教科書販売のだから。読んでおいて」

「ああ、そういえば明日って前もらったプリントに書いてあったわね。あら、けっこう高いのねぇ……」

母がプリントを読み始め、ようやく静かになった。そのうちに俺はチャーハンを片付ける。空になった皿とコップを持って立ち上がり、流しに置いた。後ろを振り返ってみる。母はこちらに背を向けているが、台所はテーブルから丸見えだ。

俺がどう誤魔化そうかと悩んでいると、インターホンの音が鳴り響いた。母がスプーンとプリントを置き立ち上がる。

「はーい、今出ます」

宅配便だろうか。グッドタイミングだ。俺は母がリビングを出るとすぐに手頃な皿を手に取り、そこにフライパンに残っていたチャーハンをよそった。次に冷蔵庫からペットボトル入のお茶を取り出す。荷物を受け取った母がリビングに入ってくるのと同時に、俺は台所のドアから廊下に出た。そのままなるべく素早く二階に上がる。

自分の部屋のドアを足で蹴るように開ける。するとベッドの上で団子になっている幽霊が視界に飛び込んできた。足を抱えて丸く小さくなっている。何だあれは、ダンゴムシごっこか?

「おい幽霊、何してんだ」

「……和輝が冷たいからふて腐れてる」

「とりあえず顔上げろ。昼ご飯持って来てやったぞ」

俺の言葉に幽霊はパッと顔を上げた。俺は左手の皿を幽霊に差し出す。

「温めてる暇なかったからちょっと冷めてるかもしれねーけど我慢しろよ」

「和輝ぃ~~!」

差し出された皿を見て顔を輝かせる幽霊。目なんて涙が浮かんている。大袈裟な奴め。

「まぁ……知り合いに死なれたら俺も気分悪いしな」

「和輝愛してるぞ━━!」

「うわ、やめろ!」

幽霊が両手を広げてベッドからダイブしてくる。俺は思わず身構えたが、幽霊は俺の身体をすり抜けて、俺の背中から飛び出した。さらに両腕を広げた体勢のまま床の向こうに消えてゆく。

「…………」

俺は皿の端を叩いて片寄ったチャーハンを中心に戻すと、そっと机の上に置いた。あのテンションについていくの、正直きついな……。俺の口からため息がもれた。




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