俺と出会いの季節2
俺には幽霊が視える。物心ついた時にはもう視えていた。おそらく生まれた時から視えていたのだろう。昔両親は、幼少期の俺が何も無い所を指差していた事があると言っていた。ちなみに、幽霊が視えるということは友人はおろか親にも言っていない。たった一人だけ教えた人間もいるが、そいつが誰かにばらしてしまうことは絶対にない。
幽霊と人間を見分けるのは簡単だ。幽霊は頭の上に光る輪が浮いている。これのおかげで俺は「何も無い空間に話しかけるちょっとおかしな子」から卒業することが出来た。ちなみに、その輪は結構明るくて、暗闇では蝋燭を持つより使えるだろう。
そういえば、映画や漫画では幽霊は顔色が悪かったり血まみれだったりするが、現実はそうではない。幽霊達は割ときれいな、人間と変わらない姿をしている。だからこそ子供の頃の俺は話しかけてしまったのだが。せめて血まみれでいてくれたなら、俺は「おかしな子」にはならなかっただろうに。更に言うと、幽霊達は話し掛けると割と愛想よく答えてくれるから尚更たちが悪い。
さて、新学期早々登校中に幽霊に腕を掴まれた俺はどうしたかというと。簡単に説明すると、あのあと思い切り手を振り払い全速力で学校まで走った。汗だくで息を切らす俺を見て、たいして仲良くないクラスメイトが「どうしたんだそんなに慌てて」と尋ねてきたが、「遅刻しそうだったから」と答えておいた。だがこの答えはかなり苦しかっただろう。何せ、新学期だからと早めに家を出た俺は始業十分前に教室に着いてしまったのだから。
新しいクラスの新しい席に座る。鞄を机の横にかけ、脱力して目を閉じた。周りから見たらぼーっとしているようにしか見えないだろう。
二年生の時は相田という人が同じクラスにいたので出席番号は二番だった。しかしどうやら今年は俺が一番らしい。今は教室の左前の角が俺の席だ。が、どうせ明日か明後日になったら席替えをするのだろう。
俺の横を一人の女子生徒が通り抜けて、二つ後ろの席に座った。他の通路はがら空きなのに、何だってわざわざ横を通るんだ。
「……くん、朝波君!」
俺はハッと顔を上げ、よそ行き用の小さな笑みを貼り付けた。
「どうした?」
「もー、何回呼んだと思ってんの?」
「悪い、ちょっと眠くて」
俺を呼んだ女子生徒は、新学期に合わせて気合を入れて染めた茶髪を揺らして、わざとらしく唇を尖らせた。正直彼女の声に全く気が付かなかった。何せ背後の幽霊がさっきからうるさいのだ。聴覚をシャットダウンしている俺に周りを気にする余裕はない。
そうなのだ。あの幽霊は俺の後をついてきやがったのだ。しかも幽霊らしく壁をすり抜けるでもなく、全力疾走する俺を全力疾走して追ったのだ。奴はやたらにびらびらしている着物を着ている。身軽な服装で勝負したらこいつの方が速いだろう。
「これ、さっき担任から貰ってきたの。出席番号一番の人が黒板に書いといてだって」
そう言って茶髪の彼女は俺にメモ用紙を差し出した。今日の一連の流れが汚い字で殴り書きされている。たしかこのクラスの担任は数学の三宅先生だったか。あのオッサン、数字も汚いが文字も汚いようだ。
「じゃ、ちゃんと渡したからね」
「おー、サンキュー」
茶髪の彼女は用が済むとさっさと友人達のところへ戻って行った。どうやら同じクラスになれたことでテンションが上がっているらしい。甲高い声で喧しく話している。俺はメモにさっと目を通すと、イスから立ち上がった。
教壇に上がり、手頃なチョークを持つ。俺が黒板に文字を書き始めると何人かがこちらに注目したが、すぐに視線を戻し雑談やスマホの操作に勤しみ始めた。俺が全文を書き終えてから読むつもりだろう。中には読むつもりもない奴もいるだろうが。
メモに書いてある時間と文を注意して写してゆく。斜め後ろの幽霊が気になって集中できない。こいつはさっきからずっと「何で無視するんだよ」「お前朝波っていうんだな!なー朝波!あーさーなーみー!」「今日って入学式なんだな!わくわくするな!」などとうるさいのだ。そんなに喋り通しで喉が乾かないのか。乾かないのか?幽霊は。
あまりにうるさいので、俺は自分の身体で隠しながら小さな字で幽霊にメッセージを書いた。【俺がいいと言うまで黙ってろ】と書いてチョークでトントンと叩く。メッセージを見た幽霊は素直に口を閉じた。こいつ案外馬鹿かもしれない。
俺はメッセージを素早く黒板消しで拭って、残りの文字を書いてゆく。こいつが悪霊でなかったことに内心安堵していた。人間に触れる幽霊なんて脅威だ。俺だってこんな奴初めて見る。幽霊が人間に触れるということは、早い話人を殺したって見つからないのだ。怖すぎるだろ。
だがこの幽霊は話が通じそうだ。何より能天気そうな性格をしている。二人きりになった時にちゃんとお話をして、いるべき場所に帰ってもらおう。独り言キャラになるのは御免だから、場所はしっかり選んで。こいつがどこに行けばいいのかは知らないが、何か天国とかそういう所があるんだろ。
幽霊を静かにできたおかげであっさりと仕事が終わる。チョークを置き自分の席に戻った。と同時にチャイムが鳴る。ほとんどの生徒が席についたが、まだ数人がその場で談笑をしていた。頭の良い奴らが通う高校って、やはりこういう奴はいないのだろうか。
チャイムが鳴っても教師が来ないので、教室はまた騒がしくなった。前後左右の席の者同士でお喋りが始まる。あまり仲良くない相手とも仲良くなれるチャンスなのかもしれない。と言っても俺が振り返っても「待て」状態の幽霊がいるだけだし、こいつがいなくても俺はお喋りをしたりしないだろう。気を使って他人と話すなんて面倒臭い。
教室が一段と騒がしくなった時、前方のドアが音を立てて開いた。教室中が一瞬にして静かになる。てっきり教師が来たのかと思ったが、入ってきたのはこのクラスの男子生徒だった。その生徒は教師がいないことに少し不思議そうな顔をしていたが、俺が黒板に書いた文字を一瞥すると席についた。教師がいると思って入ったのにあの態度、見かけによらず堂々とした奴だな。
再び、今度は勢い良くドアが開き、今日からこのクラスの担任の三宅教諭が飛び込んで来た。年は四十代半ば。そろそろ後頭部が危ない。突き出した腹はベルトがちょっとキツそう。ちなみに担当教科は数学だ。
三宅は俺が黒板に書いた文字をチェックするように眺め、生徒達に遅れたことを詫びた。どうやら始業式の準備が手間取ったらしい。入学式の準備は生徒の仕事だが、始業式のパイプ椅子並べは教師の仕事なのだ。朝早くからご苦労様である。
三宅は、これからすぐに体育館へ向かうので出席番号順で廊下に並ぶよう言った。その際口から唾が飛んで、数人の女子生徒から悲鳴が上がった。
焦り気味の三宅を尻目に、生徒達が怠そうに廊下に並ぶ。隣の一組もダラダラと並び始めたところだった。だが三組と四組はすでに体育館へと歩き出している。さすが進学クラスは幾分か真面目な奴が多いらしい。
俺の背後の幽霊はというと、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見ていた。顔を輝かせている。てっきり俺と同い年か少し年上くらいに思っていたが、こういう場面を経験したことはないのか?着物を着ているとはいえ、死んで間もないはずだ。なぜなら、子供の頃に話しかけた幽霊は皆死んだばかりだと言っていたからだ。
まぁこいつのことなんてどうでもいいか。とりあえず昼休みにでも話をしてお帰り願おう。それまで静かにしていてくれれば良いのだが。
目の前の三宅が歩き出したので、俺はその後について行った。俺の後をクラス全員がぞろぞろとついてくる。何の気無しに振り返ると、出席番号三番の女子生徒と目が合った。俺は視線をそっと三宅の背中に戻すと、何も考えずに足を進めた。
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