サングラム
國崎晶
俺と出会いの季節
四月七日、火曜日。入学式には桜が付き物だが、現実的な話をするとこの時期桜はもうほとんど散っている。特に今年の三月は暖かかったから、桜が花びらを失うのはあっという間だった。
今日は滋賀県立野洲高等学校の始業式及び入学式だ。二、三年生は午前中に始業式を終え、午後には一年生を迎えての入学式がある。体育館を始業式仕様から入学式仕様に作り替えるのも二、三年生の仕事だ。
俺の名前は朝波和輝(あさなみかずき)。今日から高校三年生になる。教師達は去年の冬頃から受験受験と口うるさくなったが、野洲高校は底辺高校だ。受験生になった感覚はあまりない。それに俺は就職クラスだ。うちの高校では進学希望者と就職希望者はどっこいどっこいなのである。
中学三年生の俺が進学先に野洲高校を選んだ理由はただ一つ。家が近いからだ。長時間自転車を漕いたり電車に揺られるのは正直怠い。それにこの高校なら推薦で通るので受験勉強はしなくていいと言われた。俺がこの高校を選ばない理由があっただろうか。
さすがに底辺高校だけあってガラの悪い連中もいるが、中には何故この高校を選んだんだという者もいる。無駄に頭の良い奴、無駄に真面目な奴、無駄に家が遠い奴……。
俺のこの高校を選んだ理由の一つ、家が近いこと。この学校で一番家が近い生徒は俺である自信すらある。何せ徒歩五分だ。家の窓から校舎が見える。朝ギリギリまで布団に潜っていられるのだ。男だから化粧もしなくていいし髪をワックスで無駄に造形的にする趣味もない俺は、とりあえず便所に行く時間さえあれば始業十分前に起きても間に合う。
「……!」
家を出て一分のところ。ブロック塀を曲がって二メートル先にそいつがいた。そいつは塀の上の猫に必死にアピールしているが、猫はそれをガン無視して大口を開けて伸びをしている。
曲がり角のすぐ先にいたため、俺は思わずそいつを見すぎてしまった。そいつは俺の登場に気付き、こちらを振り返った。目が合う。内心で舌打ちをした。いきなり現れなきゃ、こんな失敗はしなかったのに。
「…………」
俺はすぐにそいつから目を逸らすと、その脇を早足に歩き出した。関り合いになりたくない。だいたい何だ、あの格好は。やけにびらびらと装飾のついた派手な着物。コスプレか何かか。今までにも何度かああいうのを見たことはあるが、あんな妙ちきりんな格好の奴は初めてだ。
俺はそいつをスルーすることに決め、一切そちらを見ることなく足を動かす。が、そいつは俺をタダでは返してくれなかった。
「なあ!お前見えてるな!?」
最悪だ。喋りかけてきやがった。しかもとんでもなく無邪気な声だ。普通明らかに無視した奴に声かけるか?かけたい気持ちはわかるが。
だが喋りかけて来たからといってどうということはない。俺は無視を続行して足を早める。相手が凶悪面だろうがマッチョだろうが血まみれだろうが、無視したって俺に害はない。何せ奴らは俺に触れないのだ。せいぜい付き纏ったり目の前に立って視界を塞ぐくらいしかできない。
「なあ!無視かよ!なあって!」
そいつは俺を追いかけて来た。足音は聞こえないが、声の距離は変わらない。いや、近付いているかもしれない。だが俺のやることは変わらない。無視だ。とにかく無視。構わなければ相手もいつか諦めるのを知っている。
「なあ、おいって!」
「!?」
その瞬間、俺は雷に打たれたように動けなくなってしまった。ものすごい衝撃だった。ブレザーとワイシャツの下の皮膚にびっしりと鳥肌がたっている。俺はゆっくりと振り向いた。呼吸が乱れているのがわかる。
そいつが、俺の右手首を握っていた。
「やっと止まってくれたな!オレのこと見えてんだろ?」
そいつは目を細めて満面の笑みを浮かべると、真っ直ぐに俺の顔を見てそう言った。
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