11.答え

 ホールの床は大理石でできていて、足の裏からナオミが久しく感じたことのない、しびれるような冷たさが伝わってきた。天井は高く、壁とのきわの部分には金色で曲線を多用した繊細な装飾があり、その内装はさながら西洋の宮殿のようだった。ホールの中央には、見事な螺旋らせん状の彫刻が施された四本の石の柱が立っており、その内部は天井から垂れ下がる藍色のベルベットのカーテンによって閉ざされていた。普段暮らしているシンプルで機能性を追求した部屋とはあまりに対照的な、華麗で荘厳なこの空間にナオミは圧倒された。


 ナオミはホールをぐるりとまわってみることにした。


 壁には中世の西洋絵画のようなスタイルで描かれた肖像画が所狭しとかけられていて、中には女性のものもあったが、そのモデルの多くは中年の男性だった。肖像画のサイズは大小さまざまで、ホールの四面すべてに飾られている。肖像画の前を通り過ぎるとき、絵の中の人物の目が、自分のあとを追いかけてくるような錯覚にナオミは陥った。


 エントランス以外の三面の壁には、中央のあたりに切れ込みがあり、床からはじまるその切れ込みは、三メートルほどの高さのところで直角に曲がって横向きに変わり、同じだけの距離を進むと今度は下向きになって床まで続いた。

 エントランスの向かい側の壁の切れ込みを調べているとき、ふと振り返ったナオミは、その切れ込みがエントランスの大きさと同じであることに気づいた。そのとき彼女はこの切れ込みが、別の通路につながる入口であることを理解した。しかしこれらの入口にノブはなく、周囲を探したが開閉ボタンも見つからず、ホールの側から手動で開けることはできないようだった。ここに入ってきたときと同じように、通路側から開けなくてはいけないのだろう、とナオミは思った。


 この空間が別の部屋とつながっているという可能性はナオミを驚かせはしたものの、ほかの部屋の存在についてまったく考えなかったわけではなく、別の人間が自分と同じような状況にあるのではないかということは、ナオミの日々のつれづれの想像の中でも割と出てくる思いつきではあった。


 ――ここで待っていれば、あわれな同胞たちに会えるのかしら。


 ナオミはそんな期待をしたが、ここの管理人(調査員とは別にそんな人間がいるのかどうかナオミには知りようがないが)は住民たちの行動を監視して、つねにひとつの入口しか開かないようにしているに違いない、とその期待をすぐに捨て去った。


 ――いや、もしかすると……


 ナオミは思った。


 ――私は最後のひとりなのかもしれない。


 ホールを一周したナオミは、中央にある四本の柱のうちのひとつに向かった。そこに刻まれた彫刻を確かめようと手を触れると、上のほうでモーターが作動する音が響き、ベルベットのカーテンがするすると上がっていった。


 そこに広がる光景に、ナオミは思わず息をのんだ。

 カーテンで隠されたその場所には、彼女が探し求めていた答えがあった。


 ナオミの目に最初に入ったのは輪であり、その次に認識したのはそれが縄でできているということだった。目の高さの位置にある頭の大きさほどの縄の輪は、上の結び目の部分がぐるぐる巻きになっていて、それが天井から垂れ下がっていた。


「なるほど」


 とナオミはつぶやき、こう思った。


 ――私は罪を犯したんだ。


 縄の輪のわきには腰くらいの高さの、やはり装飾が施された台座が据えられていて、その上には真鍮でできた丸いボタンがひとつ鎮座している。縄の真下には二メートル四方の切れ込みがあり、ボタンを押すとそこが開く仕掛けになっていることは容易に想像できた。複雑さを排し、誰もが使い方を理解できる、進歩的な国家にふさわしい万人向け設計である。


 調査員の女が言った、私たちの国家には余裕がある、という言葉の意味とはこのことだったのだとナオミは悟った。


 この国家は罪を犯した者を罰しないほど寛容ではないが、罪を犯した者が自分でかたをつけるのをただ待つことはできるのだ。すべてを自動化し、自らかたをつけるように仕向けることで、多くの人間たちはその実務から解放される。これは国家が生み出した合理的かつ慈悲深きシステムとして、きっと国民から賞賛されているのだろう。


 準備万端、至れり尽くせりの状況を眼前にしたナオミは、首に縄をかけて位置を調節し、ボタンに手をのせた。なぜそのような真似をしたのか自分でもわからなかった。根源的な恐怖を取りのぞくという錠剤の効果が限定的に残っていたから、というのはありそうな話ではあったが、与えられたものをとりあえず受け入れてみるというナオミの受動的な性格によるもの、という見方もできる。


 ナオミは首に縄をかけたまま、しばらくその場に立ちつくした。もしかすると調査員の男が言った“そのとき”がやってくるかもしれないと期待したのだが、一向に訪れる気配はなかった。


 その体勢のままぼんやりと正面の壁を見やると、そこにかかっている肖像画の群れが一斉にナオミを見つめて、なぜボタンを押さないのかと責め立ててくるように感じた。

 そのときナオミは理解した。彼らはかつてここにいた人々なのだと。


 待つことに飽きはじめたナオミがふと天井を見上げた瞬間、驚きのあまり、彼女の心臓は縄で絞められるよりも先に止まりそうになった。


 天井から誰かがナオミをのぞいていたのだ。

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