老人と竜
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ある滅びた国の物語
荒れ果てた廃墟の中を、男は駆けていた。頭蓋骨を踏み砕きながら。
そこに街があったのはいつのことだったろう。廃墟と化して幾星霜を経た、半ば風化した瓦礫。それが、荒野に溢れていた。まるで墓所のように。
空は厚い雲に覆われ、しかし恵みの雨は齎さず。砂を巻き上げる空気は、凍えるような冷気を帯びていた。
「ロイス、早く早く!!」
「とっくに全力だ!!」
まるで地獄のようなその場所を、二人の人影が疾走している。
男と少年だった。
男は長身で、長く旅をしてきたのだろう、頑丈だが薄汚れたブーツに、革製の服。黒い長髪の頭には鍔の広い帽子を被る。頬から顎にかけて髭を生やしたその男の眼には疲れが溜まっていたが、鷹の眼のような眼光は衰えてはいなかった。
その男は両手に握った銃の引き金を引き、今にも襲い掛かってくる骸骨を撃ち砕いてゆく。
もう一人は酷く身長の低い少年に見えた。男と同じくボロボロで、シャツの上にオーバーオールを着てブーツを履き、短い赤髪の頭には帽子を被る。帽子から出る耳は長く、その背は男の膝下くらいまでしかない。
荒野を駆ける二人に追いすがるように、夥しい数の骸骨が辺り一面に蠢いていた。
「ちくしょー!死んだらあの爺さんの枕元に化けて出てやるー!!」
「馬鹿な事言ってねぇで走れ!!もうすぐだ!!」
その瞬間、二人の眼前に、石が積まれたような場所が現れる。もうすぐで着きそうな距離だった。
「あった!ぐおっ!!」
「ロイス!!」
ロイスと呼ばれた男の足首を、骸骨の一つが握っている。すぐには外せそうにもなく、間も無く他の骸骨が追いついてきそうだった。
「ミミー!!」
叫ぶと同時に、ロイスは懐から手のひら大の袋を取り出すと、ミミーと呼ばれた、先行している少年に投げた。
ミミーはそれを受け取ると、石が積まれた場所へ向けて投げる。
袋は、石が積まれた場所の中央――深い穴へと落ちて行った。
「これで幾つ目だ!?」
「確か七つ!あと二つだよ!」
「一旦逃げるぞ!!」
言うが早いが、ロイスは足を掴んでいた骸骨を踏み砕くと、一目散に走りだした。ミミーもそれに続く。
二人が行く先は、半壊した城の唯一残った、天高くそびえる塔だった。
尚も追いかけてくる骸骨の群れをかわし、何とか塔の階段を駆け上がると、二人はその先のドアを開けた。
その先は、ロイスの身長よりも高い本棚が幾つもある、図書室のような場所だった。入るが早いがドアを閉め、ロイスとミミーはドアに耳を当てる。
ドアの向こうからは大勢の足音が聞こえるが、すぐにそれは遠ざかって行った。
「やっぱり、ここは大丈夫みたい」
「気を付けろ。安全圏が突然破られたことだって何度もあっただろ」
慎重なロイスは足音が消えてもまだ耳を澄ませていたが、大丈夫だと判断したのか踵を返し、図書室の奥へと進んだ。
奥には暖炉があり、薪を積まれて炎が明るく燃え盛っている。
その傍らの椅子に、一人の老人が座っていた。
老人はゆったりとした衣服を身にまとい、髪は白髪で口元も髭に覆われている。皴の刻まれた顔と眼には、疲労の色が滲んでいた。
「爺さん!!昨日よりスケルトン多くなってんぞ!!」
老人は、ミミーの言葉にただ頷くだけだった。それから暖炉の火の方へ視線を向けると、傍にある火かき棒で燃え盛る薪を崩す。
ロイスは暖炉の傍まで来ると、両手を火に翳した。ミミーも同じように。
「あいつら、流石に気づいたな。俺達が出てくる時間帯を」
「何だか寒さもキツイよ……」
「……明日はもっと準備がいるな」
重々しく口を開いた老人は、疲れたような声でそう呟く。ミミーはロイスの背負う鞄に目を向けつつ、老人に尋ねた。
「なー、あと二箇所で本当にここから出られるのか?」
「それは保証する」
確信するように断言した老人に、ロイスとミミーは顔を見合わせる。
魂を失い、負の感情に汚染された魔力で動き、旅人を襲う白骨化した死体――スケルトンの群れに、この地に来た二人は襲われた。
人間のロイスと
やがて二人は半壊した城を見つけ、その東側の塔だけが無事であることを知り、そこに逃げ込んだのだ。
塔の頂上にあった図書室。その奥で二人を迎えた老人は、この地域一帯にスケルトンの群れは蠢いており、先に進むのは自殺行為だと告げた。
二人は引き返すことを検討したが、もう水も食料も残り少なく、汚染された魔力で覆われたこの地では、それを手に入れるのも難しく思える。
そんな中、老人がこの地を浄化する手伝いを頼んできたのだ。
その方法とは、この城の周囲9カ所の枯れ井戸に、聖水を収めた袋を落とすこと。ただそれだけで、この地は浄化されると老人は断言したのだ。
「なぁ、やっぱ俺達騙されてない?この爺さん狂ってるんじゃ……」
「どっちにしろこのままじゃ俺達は死ぬ。この方法に賭けるしかない」
そう言いつつも苦い顔をするロイス。彼自身も老人の言うことが半ば信じられないのだった。
ふと、ミミーは老人に声をかける。
「なぁ、爺さん」
「何だ」
「アンタ、なんでこんな所に一人でいるんだ?というか食事とかどうしてんの?」
ミミーの問いに、しばし老人は黙り込む。ミミーが返答を諦めそうになった時、老人は語り始めた。図書室の天井に設けられた窓。その一つを指差して。
「昔話をしてやろう」
再び、ロイスとミミーが顔を見合わせる。やがて二人の視線は老人へと戻った。
「ここにはかつて国があった。もう何世紀も前だがな。あそこの窓から山が見えるだろう?」
「山?」
老人の指差す窓を二人が見る。確かに窓の外にはかすかに、雲間から山頂を覗かせた、山の姿が見えていた。
「テッラ山じゃん。この塔からなら見えるんだな」
「……晴れてさえいれば世界中から見える、世界一の標高を誇る山。登頂に成功した人間はいないって話だ」
窓から見える山を見つめて、呟くようにロイスが言う。妙な言い方に、思わずミミーが彼を見つめた。
「どしたの急に?」
「いや……俺の故郷からも見えたからな、思い出したんだ」
「あの山の頂上には、かつて一匹の竜がいた」
突然紡がれた老人の言葉に、二人の視線が彼の方を向く。彼は話し続ける。
「あの山の頂上を覆うほど巨大な体躯と、広大な翼を持つ竜だった。かつてここにあった国は、その竜の怒りに触れて滅亡したのだ」
二人は顔を見合わせる。これで何度目になるだろう。信じられないというように、ミミーが声を上げた。
「あの山の頂上を覆うって……本当にそんなのが?」
「聞いたことないが……あのスケルトンの数、ここに国があったってのは信じるけどな」
ミミーは確かめるように、ロイスに声をかける
「ねぇ、ロイスは竜って見たことある?」
「竜ねぇ……昔は竜の血を飲めば不老不死になるだなんて話があったそうだ。そのせいで乱獲され、今や絶滅したも同然らしい。俺も見たことは無いな」
そう言って一拍を置き、彼は続けた。
「ちなみに、竜の血なんか飲んでも精々滋養に良いだけらしい」
「えぇー……殺され損じゃん」
ロイスの話の結末に呆れた様子のミミー。そんな二人を眺めながら、老人が静かに呟く。
「……悔やんでも悔やみ切れんよ」
その言葉を、ミミーだけは聞き取ることができた。
翌日。
「はぁ、はぁ……糞、奴ら昨日より速くなってねぇか」
「逆だよロイス!僕らが遅いんだ」
追いすがるスケルトンの群れから逃げながら、ロイスは舌打ちした。
少ない食料と水を分け合って一夜を過ごしたのだ。ある程度体力を回復できたとは言え、それもたかが知れている。
「見えた!」
ミミーの言葉通り、視界の先に老人の指定した枯れ井戸が見えた。投げれば届きそうな距離まで来て、ロイスはバックパックに入った袋へ手を伸ばす。
「ロイス伏せて!!」
「っ!!?」
ミミーの勘の良さを信頼しているロイスは、咄嗟にその場に突っ伏した。直後に、何かが頭上を通り過ぎていくのを感じる。即座に顔を上げた。
鋭い鉤爪を手足に備え、翼の生えた人型の魔物が空を飛んでいた。頭には角と嘴を持ち、その身体全体がくすんだ灰色をしている。
「な……何だありゃ」
「ガーゴイルだ!!汚染された魔力が宿った石像だよ!!」
魔物に詳しいミミーが叫ぶようにそう話す。そのガーゴイルは奇襲をかわされたのが予想外だったのか、空中から睨むように二人を見ている。
ロイスは即座に枯れ井戸に向けて走った。ガーゴイルへの警戒は必要だが、周囲のスケルトンにも追いつかれそうだったのだ。
そしてそれを予想していたのだろう、ガーゴイルはロイスへ向けて再度空を駆け、その爪を振り下ろす。
「ぐあっ!!」
「ロイス!!」
肩口を切り裂かれ、鮮血が飛ぶ。しかしロイスは、その勢いを利用して腕を振った。いつのまにか、聖水の入った袋を手にしていたのだ。
しかし、勢いを利用したのは良いものの、狙いが狂った。井戸の穴から大きく逸れて、袋が地面に落ちようとしている。
「糞!!」
「うりゃっ!!」
その瞬間、いつのまにかロイスより先行していたミミーが袋を蹴り、軌道を変えた。そのまま枯れ井戸の中へと、袋が消えていく。
それを見届けて、二人が城へ戻ろうと踵を返したのだが。
「えっ……」
「マジか……」
今まで二人を追っていたスケルトンの群れ。それが、城への帰り道を妨害するかのように、重点的に立ち塞がっていた。
「学習されやがったな……俺達の拠点があの塔なのを」
「ど、どうするロイス!?」
城とは別方向に視線を走らせて、ロイスは即座に決断する。元々、この事態を想定して準備もしていたからだ。
「あと一箇所だ。このまま最後の井戸に向かうぞ!」
「え、でも聖水は……」
「もう一個持ってる!」
その時、空中にいたガーゴイルがけたたましい鳴き声を上げた。
走りながら、ミミーが空を見上げる。
「ロイス、悪い知らせ!」
「とっとと言え!」
「ガーゴイルが三体に増えた!!」
走りながら、ロイスは手元の銃を見る。ガーゴイルの大きさからして、彼の持っている銃では仕留めるのは難しそうだった。
「ミミー、走れ!アイツらには太刀打ちできん!!」
「うわーん死にたくないー!!」
二人は一目散に走り続けた。
足の速さ自体は、二人のうちミミーの方が上だ。しかし、持久力はロイスの方が上だった。そもそも背の低いミミーでは歩幅がロイスより小さいためだ。そして、ここ数日を少ない食料で持ちこたえていた二人の体力は、じりじりと減り続けていた。
それがいけなかったのか、ミミーが遂に足をくじき、倒れてしまう。
「痛っ……!」
「ミミー!!」
ロイスが振り返る。ミミーが身を起こし、ロイスに向かって手を伸ばす。だが、それより先に急降下してきたガーゴイルの爪が、ミミーに突き刺さろうとしていた。
「そこだ!!」
瞬間、ロイスの銃口が火を吹く。
発射された弾丸がガーゴイルの額に突き刺さり、周囲に僅かなヒビを入れる。しかし、それではガーゴイルは倒せない。
それを把握していたロイスは、その瞬間に銃を連射していた。寸分の狂い無く、一発目が突き刺さったガーゴイルの額に二発目が突き刺さり、頭部が爆散する。
破片が降り注ぐ中、立ち上がってロイスに追いつくミミー。そして自分達の向かう先を指差した。
「見えたよ、最後の井戸!!」
「そうか……」
言いながらロイスが膝をつく。先程ガーゴイルの爪を受けてから、かなりの時間走り続けたのだ。肩口から流れる血が多くなっていた。
「……ミミー、後は任せた」
「え、ちょ……!!」
その瞬間、ロイスがミミーの肩を掴み、その身を投げる。いつのまにかその手に聖水の入った袋を持たせて。
空中に投げ上げられたミミーが驚愕するが、ロイスの様子を一瞥した瞬間、彼もまた覚悟を決めていた。
「行っけえぇ!!」
空中を飛ぶミミーが、更に聖水を投げる。殺到してくるガーゴイルの爪を掻い潜りながら。
果たして聖水の袋は枯れ井戸へと到達し、その底へと消えて行った。
だが、二人にはそれが限界だった。
座り込んだロイスと、着地し損ねて地面に突っ伏したミミーの下へ、大勢のスケルトンとガーゴイルが殺到してくる。その手が、爪が届く刹那。
老人の居た塔のある城。そこを中心として、その周囲の井戸と、それに連なる荒れ果てた道路が輝き始めた。
光の奔流が、井戸を繋いでいく。
城を中心として構築された光の輪が、そのまま一気に外側まで広がっていく。
ロイスの気が付いた時には、周囲を取り囲んでいたスケルトンはただの骨の残骸へ、ガーゴイルも石像へと変わり、落ちていた。
ミミーが立ち上がり、ロイスの傍へと駆け寄る。
「凄い……」
「あの爺さん……これを準備してたのか」
ロイスはよろけながら立ち上がった。被っていた帽子を手に取り。
そして雲の消え去った、太陽に照らされた平原を見つめる。
「これで旅を続けられそうだ」
「明日、出発するよ」
「あぁ、寂しくなるな」
その夜、ロイスが狩ってきた小鳥の肉でシチューを作り、夕食にした。
老人が行った浄化の儀式により、もう平原に魔物の姿は無く、代わりに動物たちの姿が戻りつつあったのだ。
傷を手当てし、シチューを平らげてロイスとミミーは一息つく。
「ねぇ、昔僕のじいちゃんが言ってたんだけどさ」
「何だ?」
「長く生きた竜は、他の動物に変化できたんだってさ」
「……それで?」
「この国を滅ぼした竜ってさ……あなたのこと?」
そう言って、老人に視線を向けるミミー。
「あんな大規模な魔法儀式、幾ら時間をかけたって言っても、普通の人間ができると思えなくて」
そこまで言うと、ミミーは自分の推理を話しだした。
「昨日のあなたの言葉が引っかかってたんだ。それで思った。国が滅んだあと、この地が魔物の住処になったことを竜は悔いたんじゃないかって。だから、土地を浄化する魔法儀式を準備してた……とか」
ミミーの言葉に、老人は眉根を寄せる。そして視線を天井近くの窓に、そこから見える、かつて竜の住処だったという山に向けた。
「だったら、どれほど良かったろうな」
言葉と共に、老人は語りだした。一つの国が滅びるまでの寓話を。
かつて、強大な国家が存在した。
周囲の小国を瞬く間に吸収し、遂には大国との戦争にも勝利して、領土を広げていった。
その国は、知識と武力を欲した、一人の覇王が一代で築いた帝国だった。
その覇王は最終的に、世界で最も高い山『テッラ山』の頂上で眠る、巨大な竜に目を付けた。向かうところ敵無し、凄まじき軍隊を持つその国家にとって、世界を睥睨するその巨大な竜の存在は、目障りだったのだ。
しかし、その竜を討伐するにはまだ力が足りない。歳を重ねて覇王から国王と呼ばれるようになった彼は、そう判断していた。
彼が若い頃、冒険の果てに一匹の竜と対峙し、仲間を皆殺しにされた苦い経験がトラウマとなって躊躇させたのだ。
年月を重ね、それに従ってますます強大になった王国は、巨大な軍事国家となっていた。
屈強な兵士達で構成された軍隊。歳月をかけて蓄えられた知識により、科学と魔法の力は日々新たな兵器を生み、軍を頑強にしていった。
敵対する国家を滅ぼし、その武力さえも呑み込んで。その軍は、世界最強を自負して憚らない力さえ持つようになる。
しかし。
やがて王の息子が難病を患った。
日に日に衰弱していくその病は、国内のどんな医者も、どんな科学者も、どんな魔術師でさえも治療することは叶わなかった。
王は何としても世継ぎとなる息子を救わんと奔走していた。東西南北、あらゆる地域の医者に診せ、様々な薬や治療を試した。
だが、それでも息子の病は治らず、それどころか年月を経て強大になっていく国家と対照的に、どんどん衰弱していく。
まるで、国に栄養を吸い取られていくかのよう。王の臣下達は陰でそう囁き合った。
やがて、ある噂が王の耳に入る。
竜の血。それを飲めば不老不死になれる。そんな噂が。
まだあの竜を相手にすべき時ではない。頭にまだ冷静さを残していた王は、テッラ山の竜ではなく、世界中に生息する他の竜へ向け、討伐を命じた。
各地へ送り込まれた強大な軍は、竜にも臆せずに立ち向かい、死体の数は数匹から数十匹に、やがて数百、数千にもなっていった。
だが、どんな竜の血を飲もうが、息子の病は治らなかった。
ただし、例外が一つ。
死ぬまで成長する竜は、その身体の大きさがそのまま生きた歳月を意味する。
その国の一個師団とほぼ相打ちになった、巨大な老竜。その血を口にすると、王の息子は目に見えて元気になったのだ。
まるでこれまでの衰弱が嘘であったかのように、王の息子は息を吹き返した。
王は安堵し、やがてこれまでの時間を取り返すかのように、王は息子との触れ合いを楽しみ、勉学を教え、身体を鍛えた。
臣下達は王の息子を王子と呼び称え、やがては彼に王位が継承される。そう信じて疑わなかった。
やがてひと月が過ぎ、王子は血を吐いた。
まるで魔法が切れたかのように、王子は再び病に臥せる。
もう立つこともままならず、日に日に身体は弱っていく。竜の血の効力が切れたのだと、人々は囁き合った。
王は絶望した。あの老竜と同じくらい巨大な竜を探し求め、世界各地に兵を送ったが、朗報は終ぞ訪れなかった。
それでも、竜の討伐と並行して軍は強大になっていた。軍に力を貸す科学者達や、魔術師達、彼らの力もまた他の国家の追随を許さぬくらいの能力を誇っていた。
最早、取れる選択肢は一つだけ。王は、テッラ山の竜の討伐を決断した。
世界一の高さを誇る山。山頂まで登頂に成功した者すらおらず、そこに軍を送るなど正気の沙汰ではない。
王は、強力な大砲の開発を指示していた。行軍で疲弊するのなら、そもそも行軍しなければいいのだ。そうして山の麓に大規模な砦を作り上げる。
更に数年が過ぎ、王子の命も風前の灯火となった頃。遂に強力な大砲が完成し、それを量産した軍は万全の準備を整えた。
最早、竜との対峙の障害となるものは何もない。
王の号令と同時に、強力な轟音が山の麓に響き渡る。強力な砲弾は易々と山の頂上に届き、竜のもとへ降り注いだ。
ゆっくりと、竜がその頭を上げる。その動作すら、人々は初めて目の当たりにしていた。
砲弾が命中した筈の竜の翼は無傷だった。一発で都市一つを滅ぼせる威力だと、科学者が請け合っていた筈の砲弾だった。
王は諦めなかった。その脳裏には苦しむ息子の顔が浮かんでいた。再度号令を発し、数十、数百発の砲弾の雨が、竜を襲う。
竜はその眼を開き、翼を広げた。その咆哮は、世界全土に響くのではないかというほどの轟音で、前線の兵士達は全員鼓膜をやられる。
翼の羽ばたきで、誰も体験したことの無い突風が吹き荒れた。山の周囲の雲が吹き散らされた。
山から飛翔したことで、竜の全貌が露になる。その巨躯は、その威容は、王にも想像もできぬほどのものだった。
竜が吐く炎に、しかし砦は耐えた。最新の科学と魔法を駆使して建設された砦だったのだ。
だが、風と炎に耐えても、そこが限界だった。
尻尾の一振りで最新設備の砦は半壊した。爪の一薙ぎで、一個大隊が易々と全滅した。自爆覚悟で至近距離から放たれた砲弾でさえ、竜の鱗には傷一つ付かなかった。
砦が破壊し尽くされ、そこに居た人間は全て息絶えた。王を除いて。
茫然とする王を、竜は一瞥したが殺しはしなかった。再びその翼を広げ、飛翔する。テッラ山には戻らず、どこかへと消えて行った。
王はしばし放心状態のままだった。やがて自分の数年の努力が無駄であったと絶望し、これで息子は救えないと悲嘆にくれた。
やがて、気づいた。竜が飛翔した方角には、自分が築き上げた国が、その首都があると。
もう動く馬車も、生きている馬もいない。科学者が得意げに作り上げた蒸気機関で動く車も無い。王は、自分の足で走り出した。それは、国を築き上げるために他国へ攻め入った、覇王と呼ばれた頃以来のことだった。
昼夜を問わず、王は駆け続けた。ボロボロの衣服で、周りも見えず。魔物からも人間からも逃げ、ただただ自分の国へ向かった。それも全ては、息子のためだった。
首都は廃墟と化していた。
地上最高の都市は、もうそこには無かった。世界中の知識を集めた研究所も、栄華を誇ったカジノも、その他あらゆる施設は破壊し尽くされていた。
その破壊の跡は、王城も例外ではなかった。
王城は半壊し。自らが座していた玉座は跡形も無く。王子が臥せっていた離れの小城も崩壊している。
王は崩壊したその小城を必死で探した。瓦礫をかき分け、息子の姿を。
やがて、血に濡れた、千切れた息子の右腕だけが見つかった。
王は、崩れるように座り込んだ。何もかもを失った王は、もう考える余力も無かった。
その王の眼前に、いつのまにかあの竜が居た。
王は最後の力を振り絞って叫ぶ。俺を殺せと。
しかし竜は、小さく喉を鳴らすと、再び飛翔した。
まるで王の姿など目に入らぬかのように、空高く飛翔し、そしてその姿を消した。
「見てきたように話すな。まるであんたがその王様本人みたいだ」
今度はミミーではなくロイスの指摘だった。老人は溜め息を吐く。その物語と、自分の過去の記憶を照らし合わせながら、ロイスは口を開いた。
「話に聞く限り、竜に滅ぼされたその国は余程の強国だったんだろう。俺の故郷はここより遥か西だが、東にそんな軍事国家が存在していたなんて話は聞いたことが無かった」
老人は目を瞑ると、思い切ったようにある事実を口にした。
「もう500年以上は前の話だ。いや、その何倍も古いかもしれん。もう時を数えるのも疲れてしまったよ」
「500年って……エルフみたいな長命種には見えないけど……」
ミミーの言葉に、老人は薄くその眼を開ける。
そうして静かに、先程の物語で抜け落ちていた、最後のピースを語りだした。
その国の王だった男は、滅びた国の中で茫然とくず折れていた。
最早彼を慕う民も、付き従う臣下も、身を守る騎士もいない。竜は去ったが、それがなんだというのか。
自分はここで死ぬのだと、男は俯こうとした。
その瞬間、遠くで遥か空の彼方より、竜の咆哮が彼の耳を打った。
身震いし、顔を上げた彼を目掛けて。
バシャリと、大量の液体がその全身を洗った。
茫然とする男の眼前に、夜の闇に溶け込むように彼を見つめる竜の双眸が映る。
その瞬間、確かにその耳に、声が聞こえた。
『いずれ、ヒトが世界を滅ぼすだろう』
気が付いた時、もう竜は姿を消していた。
男は自分の両手を見下ろす。そして全身にかかった、ネバついた液体の正体を見た。
真っ赤な、血。
「その時は、竜が滅ぼした、民の血を私に振り撒いたのだと思ったのだ」
「けれど、それから何日を経ても腹は減らず、喉も乾かなかった。餓死しなかったのだ」
「その間に、誰一人生き残らなかったこの国は朽ちて行った。埋葬もされず、死に絶えた国民はその無念から魔物へと変じ、やがて黒雲が太陽を遮って、この平野は死の土地となった」
「そうなっても尚、私は死ねなかった。城の屋根から飛び降りようと、魔物となった民に肉を食われても」
「やがて、気づいたのだ。あの時、竜が私に振り撒いた血は……竜自身の血だったのだと」
淡々とそう話す老人。ロイスとミミーは老人の語った真実に、ただただ絶句するしかなかった。
「世話になった」
「行くのだな」
翌朝、支度を整えてロイスは言った。
昨日まで平野を覆っていた黒雲は無い。陽光が降り注ぎ、スケルトンやガーゴイルが彷徨っていた都市の跡は廃墟が残るだけとなっている。
そんな光景を窓から眺めて、ミミーは老人に言った。
「ねぇ、これからどうするの?」
「……弔うさ、死者達を」
そうだろうな。ロイスはそう胸中で肯定する。
老人はきっと、自分の過去の行いと、それにより犠牲になった自分の国の民を想いながら、ここでずっと悔いていくのだろう。魔物が消滅した以上、いずれ墓場を作るのかもしれない。
そうして、ロイスとミミーは塔を出た。塔の入り口から、老人は見送りに来てくれていた。
「一つ、聞いてもいいかな」
「何?」
「君達は、私の話を聞いてどう思った。竜は何故、私に血を与えたと思う」
老人の問いに、ロイスとミミーは顔を見合わせ、暫し考える。やがて二人は答えを返した。
「多分、理解してもらいたかったんだと思う」
「理解?」
「苦しみのことだ」
「……どういうことかな」
この回答は、きっと老人を傷つけるだろう。そう思い、それでもあえてロイスは口を開いた。
「今のあんただよ。その苦しみを、息子に与えるとこだったんだ」
その言葉に、しばし老人は立ち尽くす。眼を見開いて茫然としてから、やがて目を伏せた。
「そうだ……そう、だな……」
「言っていいのか分からないけど……元気でね」
その言葉と共に、ロイスとミミーは歩き出す。
照り付ける陽光を浴びながら。無人と化した都市の跡の中を。
歩きながら、寿命を失った老人が、この先どう生きるのか、どうなるのか、二人は考えずにはいられなかった。
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