第13話
柚原が運転する車は意外にも安全すぎるほど安全運転だった。ゆっくりと法定速度で走る車の窓から見える景色は穏やかだ。
「で? どこまで送る?」
「次のバス停」
「駅でいいか」
「人の話聞いてる?」
「本当は用なんてないってことはわかった」
三奈は眉を寄せて柚原を睨む。どうしてこの人はこうも察しがいいのだろうか。
――ムカつく。
「わたしを睨んだって苛つきは治まらないでしょ」
「は?」
「めちゃくちゃイライラしてんじゃん」
「誰のせいだと?」
「まあ一割はわたしかなと思ってるけど」
柚原は笑って「でも」と続ける。
「前に水族館で話した後の方が吹っ切れた顔してたよ、あんた」
「……うるさい」
たしかにあのとき、自分は思ったのだ。美桜の親友として彼女の隣に居続けようと。彼女が許してくれるのなら、それでいいと。
しかし時間が経てば経つほど彼女への気持ちは吹っ切れるどころか拗らせていくばかり。それが自分でも分かっているからこそイライラしてしまう。
「美桜は真っ直ぐで優しいからなぁ」
「なにわかったようなこと言ってんの」
「しかも最近、ちょっと綺麗になったよな」
「ちょっとじゃない。すごく綺麗になった」
三奈の言葉に柚原は声を出して笑った。
「相変わらず美桜のこと大好きだね、三奈は」
「当然でしょ」
「――だからこそしんどいね」
柚原は急に真面目な口調になり、三奈は彼女を見つめる。
「一緒にいればいるほど好きになるのに絶対にその気持ちは報われないこともわかってる。だけど隣にいるって決めたから離れられない。しんどいよね、今の状況」
「あんたに何が……」
言いかけて三奈はハッと口を閉じた。柚原は薄く微笑んでいた。懐かしそうに、しかし悲しそうに。
「似たような状況だった奴、知ってるからさ。まあ、そいつは逃げちゃったんだけどね。しんどい状況に耐えきれなくなって……」
そのときふいに脳裏に蘇ったのは水族館で聞いた彼女の話だった。
三奈は前方に視線を向ける。休日の田舎道、当然のように交通量は少ない。前を走る車が一台もいないのにこの車はゆっくりと進んでいく。まるで三奈の気持ちを落ち着けようとしているかのように車の揺れが優しく感じられる。
「――わたしは逃げない。その誰かみたいになりたくないし」
すると柚原は軽く笑った。
「じゃあ、どうするべきかそろそろちゃんと考えるべきじゃない?」
「わかってる。わかってるよ、そんなこと」
「でもわからないんでしょ?」
そうだ。わからない。美桜の親友でいたいのに、ただの親友でいる方法がわからない。
「ま、人の気持ちなんてそう簡単に割り切れるものじゃないからさ。ゆっくりでいいんじゃない? 三奈はちゃんと美桜の親友をやれてると思うよ、わたしは」
「わたしたちの何を見てそう思うわけ」
「まあ、美桜からよく三奈の話聞くしさ。それにさっきも優しかったじゃん」
「は?」
「修学旅行の自由時間。まあ、言い方は下手だったけど」
柚原は笑う。そして「でも、ちゃんと美桜のことを考えてて偉いなって思ったよ」と優しい口調で言った。
「……あんたに褒められる筋合いはない。わたしはわたしが思ったことをやってるだけ」
「うん。だから偉いよ、三奈は。あとはもう少し自分にも優しくするべきだと思うけど」
「なにそれ」
「そこはわかんないか」
柚原は優しく笑う。
「やっぱりまだお子ちゃまだな。三奈は」
「はあ?」
「美桜が心配してるよ」
その言葉に三奈はさらに眉を寄せた。
「なんで」
「なんでって……」
柚原は運転しながら一瞬、三奈の方へ視線を向けた。
「三奈、忘れてるだろ?」
「なにを」
「三奈が美桜のことを大好きなように、美桜も三奈のこと大好きだってこと」
「忘れてないけど?」
「だったらわかるでしょ。三奈は美桜が何か悩んでるなぁって気づくだろ? その逆もそうだってことだよ」
車がゆっくりと停車した。赤信号だ。柚原は視線を三奈に向けると「三奈の表情の変化に気づかないほど美桜は鈍感じゃないって話」と続けた。
「……どうしろって言うの」
「どうにもしようがないけどさ」
「うざ」
「はいはい。でも色々と自覚するだけでも違うんじゃないかって思うよ。わたしは」
青信号になって柚原はゆっくりとアクセルを踏み込む。気づけばもうかなり街に戻ってきたようだ。車の通りが多くなってきた。
「結局、答えを出すのは三奈自身だからこれ以上はわたしも何も言えないけど」
それもわかっている。誰かに何かを聞いたところで答えを出すのは自分なのだ。だから他人なんて頼りにしない。松池のようにこの女を頼りになんてしない。
「……あの人はなんで平気なんだろ」
「ん、誰? 明宮?」
「違う。松池先生。あの人もわたしと同じはずなのに、しんどそうには見えない」
すると柚原は「それはどうかな」と呟くように言った。しかしそれ以上は何も言わない。
静かになった車内ではエンジン音だけが響いている。その音がなぜか心地良くて三奈は揺れに身を任せてぼんやりと窓の外に視線を向ける。
流れる街並みはどこか色がないように見える。空は快晴で良い天気のはず。それなのに景色は鈍く灰色だ。
いつからだろう。何を見ても、何をしても何も感じなくなってしまったのは。
いや、違う。感じてはいるのだ。ただひたすらに息苦しさを。
きっと美桜の隣に立って彼女の見ている景色を見ても、同じ景色を見ることはできないだろう。いつまでもこんな気持ちを抱えていては……。
「本当に駅でいいの?」
再び車が赤信号で停車する。視線を前方に向けると駅のロータリー手前の交差点だった。
「うん。駅でいい」
三奈は頷いたが、交差点の横断歩道を渡る少女の姿を見て「え……?」と呟いた。そこを歩いていたのは金瀬だ。私服姿の彼女は初めて見るが、どうにも制服のときと印象が違う。化粧をしているせいだろうか。それとも服がイメージと違うからだろうか。彼女の私服は学校での地味な彼女のイメージとは違い、スポーティな雰囲気だった。
「なに、知り合い?」
「……別に」
「ふうん?」
柚原は怪訝そうな表情を浮かべたが、信号が青になったのでそれ以上は何も言わずに車を駅のロータリーへと走らせた。
「じゃ、気をつけて」
「……送ってくれてありがとうございました」
「え、なにいきなり。素直すぎて怖いんだけど。美桜の風邪もらっちゃった?」
「うざ」
「そうそう。それでこそ三奈だ」
柚原はピッと三奈を指差して笑う。三奈は「あー、はいはい」とため息を吐いて車を降りた。そしてそのまま走り去って行く柚原の車を見送りながら三奈はもう一度深くため息を吐く。
「疲れた……」
悪い人ではない。それはわかっているのだが、やはり苦手だ。あまり関わりたくない。そう思うのはきっとこれ以上、心の中を見られるのが怖いから。
あの人に嘘は通じない。なぜかはわからないがすべて見透かされてしまう。
――ほんとに変な人。
そんなことを思いながら駅舎に向かって歩き出したとき「高知さん?」と声がした。反射的に振り返った先にはさっき横断歩道を渡っていた彼女が立っていた。
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