第11話

「え、もう帰るの?」

「美桜、元気そうだし。言いたいことは言ったからもういい」

「えー」


 美桜は苦笑しながら「もう少しゆっくりしていけばいいのに」と言った。


「いいよ。美桜も嫌でしょ? わたしがここにいるの」

「え、なんで?」


 不思議そうな彼女の表情からは本当に疑問しか浮かんでいないようだ。


 ――そっか。


 三奈は思う。彼女にとって三奈がこの部屋に来たことはもう過去のこどで、彼女の中では何の意味も持たない。それどころか傷跡にすらなっていないらしい。いつまでもあの頃の自分に囚われている自分とは違う。

 それを改めて思い知らされてなんだか無性に腹が立つ。三奈は「じゃ、また学校で」と玄関に向かった。


「ちょ、三奈? 今行っても次のバスって一時間後くらいだよ?」

「いいよ。バス停で待ってるから」

「時間までお喋りしてようよ」

「美桜も病み上がりなんだから無理しない方がいいよ」

「三奈ってば」


 ――ここに長くいたくない。


 そう思うのは過去に囚われているからだけではない。どうしても想像してしまう。ここであの人と美桜が楽しく過ごしている姿を。この部屋で三奈と一緒にいた美桜は笑ってなどくれなかったのに。


「ほんとに帰るの?」

「帰るってば」


 三奈がドアノブに手をかけた瞬間、勢いよくそれは誰かによって開かれた。三奈は思わず声を上げ、そのまま前に倒れ込んでしまう。


「三奈! 大丈夫?」

「おっと、ごめん。誰かいたのか。美桜……じゃないな?」


 聞き覚えのある声と共にその何者かに抱き留められて三奈は思わず「最悪」とため息交じりに声を漏らす。


「おいこら。何で最悪なんだよ。ちゃんと転けないように抱き留めてやったのに」


 顔を上げた先では金髪の女が不満そうに眉を寄せていた。


 ――マジで最悪。


 あの人と同じくらい会いたくなかった女に会ってしまった。


「ミナミさん、なんでまたいきなりドア開けるの。いつも言ってるのに。ちゃんとインターホン鳴らしてって」


 美桜が呆れたように言う。しかし柚原ミナミは悪びれた様子もなく肩を竦ませた。


「美桜、寝てるかと思って」

「インターホンで反応なかったら帰ってください。ていうか、鍵がかかってるとは思わなかったんですか?」

「いつもかけてないじゃん。だからわたしみたいなのが不法侵入するんだぞ。ちゃんと用心しないとダメだろ」

「――自覚はあるんですね。不法侵入の」


 そんな会話が繰り広げられている間に三奈はこっそりと柚原の腕から抜け出し、そのまま部屋から出ようとした。しかし柚原の手がすかさず三奈の肩を掴む。


「で、なに。三奈は美桜の見舞い? てか、久しぶりー」

「だるいしウザいし肩痛いから放してくれませんか」

「相変わらず口悪いね」


 ミナミは面白そうに笑いながら、それでも肩の手を離してはくれない。


「やっぱりミナミさんと三奈ってどこかで会ったことあるんだ?」

「まあね。実は――」

「ちょっと!」


 思わず三奈が声を荒げると柚原はニヤリと笑って三奈の肩に腕を回し、頬を寄せてきた。


「内緒ー」

「……美桜、この人どうにかして」

「ごめん。無理」


 美桜は苦笑したが柚原に「三奈、もう帰るところだから」と言ってくれた。


「帰るの? 昼は?」

「は?」

「食べた? 食べてない?」

「まだだけど」

「じゃ、食べていけばいいじゃん。いまから作るし」


 三奈は眉を寄せる。


「誰が?」

「わたしが」

「なんで?」

「そのために来たから」


 柚原は何を言っているのだとでもいうような表情で言った。三奈は眉を寄せたまま彼女を見つめる。


「ミナミさん、わたしが風邪引いてる間によくご飯作ってくれてて。今日も多分その名残」

「名残……?」


 三奈は柚原を見ながら言うと彼女は「まあ、そうかな」と頷いた。


「つい来ちゃった」

「……バカなの?」

「目上の人に対して失礼だぞ、それは」

「誰が目上――」

「で、食べて行くでしょ? 三奈」

「いや、わたしは帰――」

「食べて行くよね?」


 グイッと顔を近づけてきながら柚原は強い口調で言う。三奈は美桜に助けを求めたが、彼女は諦めろと言わんばかりに小さく首を横に振った。


「……マジ最悪」


 がっくりと肩を落とした三奈を見て柚原は嬉しそうに「よーし」と三奈から離れて部屋に上がる。


「美桜、冷蔵庫の食材全部出して。使えるもの使っちゃうから。新しい食材は明宮が買って帰るって言ってた」

「先生が? それは助かるけど、もう冷蔵庫の中ってあんまり入ってなかった気がする。三人分あるかな」


 美桜は言いながら冷蔵庫を開けて中身を取り出し始めた。その姿を見ながら柚原は三奈にだけ聞こえるほどの声量で「この柚原さんがご飯食べながらいっぱい話を聞いてあげよう」とニヤリと笑った。


「は? いきなり何言ってんの」


 冷たく彼女に視線を向けながら三奈は再びクッションに座る。しかし柚原は思いがけず柔らかく微笑んだ。


「なんか色々と溜まってる顔してるじゃん」

「うっさい」


 三奈が顔を逸らすと柚原は笑って「何作ろうかなぁ」とキッチンに向かった。

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天邪鬼と嘘つき ―君と、わたしと。2― 城門有美 @kido_arimi

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