健康で不健康な生活を送るための秘訣

西 悠貴

要精密検査判定を放置した結果www

 上司・E(五十代男性)は会社の喫煙所の主であり、近辺の居酒屋の常連でもある。

 アルコールとニコチンとタールを糧に生きるE氏の健康診断結果は、のび太のテストとタメを張る点数だった。

 血小板は決起集会を行っているような高密度。痩せすぎ判定にも関わらず、血糖値はほんのり高め。ひときわ目立つのが血圧で、最高も最低も摩天楼を見下ろすエンパイアステートビルのような他者の追随を許さない孤島の値。燦然と光り輝く『要精密検査』の文字にも、毅然とした態度で病院への受診を拒否。週に一度、血圧を下げると謳うお高いトクホ飲料を腰に手を当ててグイッと飲み干し、かりそめの安心に浸っていた。

 だが、日によっては胸ぐらを掴んで唸っていたり、顔色を泥にして冷や汗を垂らしていたりする様子に、我々、部下一同は『早く病院に行けビーム』を目から発射するしかなかった。

 何故にここまでの状態になっても病院に行かないのか? 

 症状は一過性のもので、喉元過ぎればなんとやら。もう治ったし。なんともないし。病院嫌いだし。面倒だし。俺だけは大丈夫だし。おまけに妻子がいるにもかかわらず「俺はいつ死んでもいい人生だからな!」と豪語する始末。

 再三にも渡る健康診断結果に基づく産業医の勧告を無視し、挙げ句の果てには「病院に行った! 異常なし!」と偽りの結果を報告すること三年。 

 業を煮やした部下の一人がE氏を説得し、会社の補助対象の健診ではなく、ワンランク上の人間ドックを受診させることに成功した。その結果たるや、愛飲していたトクホでも救えぬ血圧と、ボロ雑巾の体ということが判明。殿堂入りした要精密検査の判定の表彰状代わりとして、病院への紹介状も授与される。

 これは年貢の納め時と悟ったE氏は、渋々ながらも異常が出てから初めて病院へ出頭。突きつけられた現実は極めて厳しいものだった。

「『食道がん』です。今すぐ手術が必要ですね」

 医者はそう告げると同時に、あっという間に手術の手はずが整えられてしまったのだ。

 三途の川が増水して目の前に迫り、ようやく事態が把握できたのだろうか。やはり、がん宣告には相当堪えたらしい。根拠のない健康への自信は消え失せ、憂いのため息は前年度比180%増。「怖い」「死にたくない」と、弱音をこぼしながら、E氏は全身麻酔で食道を切除する大手術へと挑む。我々が出来ることはその背中にハンカチを振ることしかできない。仕事の付き合いしかない我々ですら辛いのだから、ご家族の心労たるや、いかほどだったのか計り知れない。

 幸いなことに手術は無事成功。二ヶ月の休職を経て、無事に職場復帰を果たす。術後の経過は良く、ガンの転移も見られず、しばしば手術痕が滲みる時もあるそうだが、それ以外はすこぶる元気とのこと。

 人間ドックや健康診断は受診するだけは意味がない。『要再検査』・『要精密検査』と判定された項目に関しては、飲み屋に向かう前に病院へ寄り道するなど、とにかくその先の医療に繋がることが重要である。たとえ何も無かったとしても、何事もないというお墨付きを貰えばそれで良し。何か異常があっても、例えばE氏のように食道がんであった場合、早期であれば腹を割かない手術で、心身ともに負担が軽く済んだかもしれない。

 がんサバイバーとなったE氏は、自身の生活習慣を改め、禁煙・禁煙に努め……ることなく、今日も喫煙所の主として君臨し、仕事が終われば赤提灯に吸い込まれている。

「喫煙所まで階段を使えば足腰が鍛えられる」

「離れた居酒屋に行くのはウォーキングになり、運動である」

 などと申しており、限りなく透明に近い反省の色。しかしながら、以降の人間ドックでは毎年ぼぼオールAの優等生であることを見ると、表向きはカッコつけているだけで、タバコと見せかけてタバコを模したお菓子をポリポリと食べていたり、居酒屋で頼むハイボールをウイスキーではなく緑茶で作らせていたりなど、影で健康に気を遣っているのかもしれない。

 不摂生ができるのも健康だからこそ。病気になれば不摂生をしたくても出来なくなる。我々は、E氏が身を挺してくれたおかげで人間ドックの重要性、並びに検診結果を放置してはならないということを深く心に刻み込まれた。

 健康で不健康な生活を末永く送れるよう。些細な体の異変には、真摯に、そして早めに向き合いたいものである。


(終)

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健康で不健康な生活を送るための秘訣 西 悠貴 @nishi_yuki

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