第11話 聖燈儀礼

 ライヴィア王国の王都ブロスディア────王都に聳え立つ荘厳な王宮の一室から、少女の悩ましげな声が漏れ出ていた。




 

「んッ……ぐ────────うげげげぇ!!」

「だ、大丈夫ですか?」


 部屋の中では従者であるラヴニールが、王子エルヴァールの胸部に純白のサラシを巻いているところだった。ラヴニールの怪力に締め上げられたことによって生じる圧迫感……エルヴァールこと桜華オウカは脂汗を滴らせながらその苦痛に耐えていた。



「だッ、大丈夫! もっと締めちゃって!!」

「これ以上締め上げたら胸郭が変形します。発育不良も心配ですし、せっかく出てるのに……」


「出てるから締めるの!これから沢山の人の前に出るわけだし……」

「これくらいなら服で誤魔化せますよ。そうですよね、ツキナギ様?」


 そんな2人の様子を苦笑いしながら見守る王妃ツキナギ。



「なんかラヴィちゃんがお母さんみたい。それにしても、シロガネ族は戦士の一族なせいか早熟なのよね。それが完全に裏目に出ちゃってるわね……」



 季節は春────オウカは10歳となり、ラヴニールは9歳となった。オウカはシロガネ族であるツキナギの血を色濃く受け継いでいる。それ故か身体の成長も著しく、既に女性としての特徴が目立ち始めていた。



「今後は誤魔化すのが少し難しくなるかもしれませんね」

「本当ねぇ。陛下が戻られたら相談しようかしら」



 隣国ライザールの侵攻は激化の一途をたどっており、王国兵はレヴェナントの処理に追われていた。国王グスターヴは更に王都を離れることが多くなり、【ソラリス騎士団】団長レオンと共に戦地を渡り歩いていた。



「相談?」

「あなたが女だって公表するか相談するのよ、エルヴァール」


「え!? で、でも……10年も国民を欺いてきたわけですし、世継ぎは男しか認められないはず。重臣の方達から大きな反発があるのでは……」

「陛下はあなたに偉大な王としての器を見た。そしてその片鱗をこの10年間で全ての人が感じたはずよ。きっと多くの臣下と国民が女王としてのあなたを受け入れてくれる……私はそう思うんだけどな」


「……陛下は私に王として────」

「エルヴァール、私は陛下と結婚したことで女としての幸福を得たわ。私は母として……あなたにも女としての幸せを感じてほしいの」


「母上……」

「……元凶が何偉そうに言ってんだって話よね」


「そ、そんなこと────」

「エルヴァール、あなたが女として生きたいというなら……私は全てを敵にまわしてもあなたを守るわ。まぁ陛下もきっと分かってくれるわよ。頑固者だけど、ああ見えて子煩悩なんだから」


「いいんですか……本当に?」

「えぇ。もし大臣たちがごちゃごちゃ言ってダメだったら、ラヴィちゃんと3人で天津国に行きましょうか。実家に帰らせていただきます! ってね。あ、でも寂しくなって陛下も付いてくるかもしれないわね。そうなるとライヴィア王国がやばいかしら?」


 冗談めいた笑いを浮かべるツキナギに、ラヴニールも同意したように微笑んだ。



 母であるツキナギが言いたかったこと……それは娘であるオウカに、自分の心を殺してまで無理する必要はないということだった。

 父王グスターヴの、エルヴァールを王にしたいという願いを叶えようとしてくれる娘の気持ちは何よりも嬉しい。しかし母親として、それによって失われる娘の幸せを無視することもできなかった。


 自由奔放な精神を持つツキナギならではの激励だったのだが、この時のオウカは別の考えに囚われていた。



 オウカは父も母も尊敬し、そして深く愛していた。それ故、父の願いを聞き届けたいという気持ちと、母の自分を想ってくれる気持ちの板挟みにあっていた。その二つを比べ考えついた結論……それは、“自分が我慢すれば二人が争うこともない” という考えだった。

 自分さえ我慢すればこれまで通りみんなで仲良く暮らしていける。余計な火種を増やすことはない────そう考えたのだった。



「ありがとうございます、母上。でも私……もう少し頑張ろうと思います」

「……そう。ま、とりあえずこの話は今日の【聖燈儀礼】を無事終えてからにしましょう。陛下の代わりに行くんだし、粗相のないようにしないとね」



 【聖燈儀礼】────セルミア教が行う平和を願っての儀式。セルミア教を国教とするライヴィア王国では、新春にこの行事が執り行われる。

 その内容は、信者を始めとした国民がロウソクに火を灯し祭壇に供えていくというもの。慈愛と献身の想いと共に灯された火を女神セルミアに献上していくのだ。そしてその儀礼の最後は王族によって締め括られる。王族は “霊炎燈” と呼ばれる特殊なロウソクに火を灯すのだが、このロウソクには万能の石と呼ばれるルミタイト(太陽石)の粉末が混ぜられている。


 しかもただのルミタイトではなく、力を使い果たし輝きを失ったルミタイトの粉末だ。その粉末が混ぜられた霊炎燈に魔力を込め火を灯すことで、霊炎燈の炎はその者の魂の色に染まる。王族の魂の色に染まった炎を女神セルミアに献上し、慈愛と献身の精神を魔力で示すことでこの儀礼は完了となる。

 なお、この霊炎燈に魔力を込めるのは非常に難しい。いわばルミタイト以外の物質が不純物であるため、自分の魔力が弾かれてしまうのだ。精密な魔力操作によって粉末のルミタイトだけに魔力を込め火を灯す……単純なようで難しいこの作業をこなすことは、王族の力を国民に示す意味合いもあった。



 王都を不在にしている国王グスターヴになり代わり、王妃ツキナギと王子エルヴァールがこの儀礼の最後を代行することになった。礼装に着替えた3人はセルミア教の大聖堂へと向かい、多くのロウソクが飾られた祭壇の前に立つ。



 まずは王妃ツキナギが青白いロウソク────霊炎燈を手に取った。霊炎燈が淡く輝き、聖火で火を灯すとその炎は美しい虹色に変化した。本来であればルミタイトにA・Sオールシフターが魔力を込めても虹色にはならず、必ず何かしらの色で定着してしまう。しかしこの霊炎燈では粉末の一粒一粒がA・Sの虹色の魂を映し出すため、このように美しい虹色の炎を作り出すのだ。


 難なく霊炎燈を輝かせるその技量は目を見張るものがあり、そして幻想的で美しいツキナギの魂の炎を見た国民達は、ただ感嘆のため息を漏らすのみだった。



 そしてこの聖燈儀礼の最後を飾るのは、王子エルヴァールだった。

 美王子と評され、困難とされる霊炎燈を前にしてもまるで動じることのないその王子の振る舞いに、国民は息を呑んだ。その場にいた全ての者が感じたはずだ。この若き王子に、王としての風格が漂い始めていることを。



 霊炎燈を神官に渡されたエルヴァールは静かに目を瞑る。すると霊炎燈がツキナギの時と同様に光り輝き始めた。それは霊炎燈に混ぜられたルミタイトに魔力が込められた証だった。魔力の扱いに長けるラヴニールの指導の賜物ではあったが、それを見た国民達からは “おぉ” という声がため息と共にはき出された。


 従者であるラヴニールも安心したように事の成り行きを見守っている。大聖堂の入り口付近では数人の騎士と共に、【ルナリア騎士団】団長セレナが不審者がいないか気を張りつつも、嬉しそうにエルヴァールを見守っている。その場にいる全ての人間の視線を受けながら、エルヴァールは霊炎燈を聖火へと近づけていく。



(これからも変わらない。ラヴィと一緒に立派な王になってみせる。そしてラヴィが……母上が……父上が……みんなが笑い合って暮らせる国を────世界を作るんだ)



 それは言うならば世界への献身。自分の女としての幸せを放棄しても、国のために……世界のために尽くすという決意だった。少女は国民の期待を背中越しに感じ、王となることを改めて決意した。


 そしてその想いを炎として昇華し女神セルミアに献上するため、霊炎燈に火を灯した────

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