Secret Episode ダイン
綾陸国アニマライズ────人間を排し、動物だけが生息する広大な大陸で一頭の仔牛が草原にいた。
その全身黒毛の仔牛は生後一ヶ月ほどだろうか。まだ母牛の母乳を飲んでいるであろう月齢にも関わらず、その仔牛はムシャムシャと草を食べている。しかも奇妙なことに、周りには母牛はおろか仲間の牛も……そして他の動物たちすら存在しなかった。
仔牛は生まれつき強大な力を有していた。それはこのアニマライズという国の守護神である【ドルティヌス】の加護によるもので、後に【守護獣】と呼ばれることになる存在であった。
だが弊害もあった。そんな強大な力を持つ仔牛を、母牛は我が子と認識することができず逃げ去ってしまったのだ。
さらに仔牛は動物とは比較にならない知能も有していた。胎内にいる時から自我があり、母牛の鼓動と温もりを感じながら誕生を待ち続けた。暗闇の中で唯一感じることのできる感覚……鼓動のリズムと温もりを堪能しながら、遂に出産の時を迎えた。
母牛の胎内から産み落とされた仔牛は、初めて感じる外気温に身を震わせた。その寒さを堪え、やがて来るであろう温もりを待ち続けた。────だが、いつまで待ってもその寒さが和らぐことはなかった。
生まれてすぐに全てを失った仔牛は、やがてゆっくりと歩き出した。来てくれないのであれば、自分から探しに行こうと思ったのだ。……だが、仔牛が進む先には一匹の動物も存在していなかった。
仲間である牛はおろか、それを餌とする肉食獣すらが仔牛から逃げ出したのだ。自分の周りには誰もいない、自分しか存在していない────他者の温もりを求める仔牛にとって、これ以上の悲劇はなかった。崖から飛び降りて全てを終わらそうとも考えたが、ずっと感じていた温もりを忘れることができず、自死できずにいた。
────もう誰でもいい。ぼくを食べてくれてもいい。そばにいてくれるのなら誰だって……。
そんな仔牛の願いが叶う事はなく、仲間も天敵もいない草原で仔牛は盲目的に草を咀嚼した。
食事を済ませた仔牛は、再びあてもなく歩き出した。
何かが騒がしい……視線の先にある山では雷が鳴っている。特に理由もなくそちらの方へ歩いていく仔牛。そしてその山へ近づくにつれて、何か嫌な感覚が仔牛を襲い始めた。
耳鳴りのような、全てを拒絶するような嫌な感覚。そしてそれは自分だけではなく、他の動物や昆虫にまで及んでいる事に仔牛は気付いた。自分から全てが逃げ出していく事にシンパシーを感じた仔牛は、嫌な感覚に身を震わせながらも、その発生源に向かって歩を進めた。
────誰でもいい。一緒にいてくれるなら……殺されてもいい。
そう思い歩いていく仔牛。やがて険しい岩が聳え立つ山へと足を踏み入れ、徐々に強まっていく不快感の発生源を探し始めた。岩を上り下る……そんな事を繰り返しながら、山を徐々に登っていく仔牛。やがて大きな岩を迂回すると、そこには小さな空間があった。
穴が空いていた。掘り返されたような大きめの穴が空いており、石や土が弾け飛んだかのように散らばっている。そしてその穴からは這いずった跡が残っており、一人の男が仰向けで倒れていた。
「────ごぼッ────ッッ」
口からは血を吐き出し、左腕は無くなっている。全身至る所に傷があり、その人間の顔は青ざめていた。明らかな致命傷……仔牛から見ても、この男が死にかけている事は明白だった。
「う……ぐッ……だ、誰だ────」
何者かの存在に気付いた男が、視線だけをかろうじて仔牛に向ける。そして仔牛を視認すると、閉じつつあった目を見開き驚愕の表情を浮かべた。
「ど……動物……牛か? そ、そんなまさか……」
大地の英雄 ダイン・ブレイブハート────心優しき男でありながら、生まれ持った魂の波長によって動物から嫌われた英雄。かつて自分に近付いてくる動物は皆無であった為、仔牛がここにいることに驚愕したのだ。そして、この仔牛がただならぬ力を有している事にも気付いた。
仔牛は男に近付いていき、寄り添うように腰を下ろした。
男にとってはまさに幸運だった。死に体の自分の前に突如現れた回復剤……この無防備な仔牛を殺し、その強大な肉体と魂を自分のレガリアに取り込めば恐らく延命できる。そうすれば、自分の息子を助けにいけるのだ。
男はぶるぶると震える右手を仔牛の頭に乗せた。温もりとは程遠い冷え切った男の手の感触……だがその手の感触に仔牛は目を細めた。そして────
「くッ……ガッハッハ……あったかいなぁお前は……死ぬ前に一度はモフモフしたいという夢が叶ったわぃ」
血を散らしながら笑い、わしゃわしゃと仔牛の頭を頼りない力で撫でる男。自分に近付いてきた仔牛を殺して延命を図るなどという考えは、英雄である男には端から無かったのだ。
「お前……母親はどうしたのだ? ……仲間はいないのか?」
男の言葉を仔牛は理解していた。そして仔牛はただ黙ってその目を閉じた。そんな仔牛を見て、男は仔牛が孤独に耐えきれなくなり自分の元へ来たのだと理解した。
「……そうか……可哀想に。親が子供を守らなくてどうするんだ……」
男はできる限りの力で仔牛の頭を撫でた。それが心地よくて……嬉しくて……仔牛は鼻息を荒くしながら自ら頭を男の手に擦り付けた。
「……そうだよなぁ……親が守ってやらないとなぁ……」
虚ろな目で男はボヤいた。男が最後に思いを馳せたのは、婚約者ではなく危機に瀕した息子の顔だった。
「すまないアラテア殿……子離れできないワシを許してくれ……」
頭から手を離されると、仔牛は残念そうに目を開いた。だがすぐにその目は男の手に集まる光に魅了される事になる。
「ここで会ったのも何かの縁……ワシに残された全ての力をお前にやろう。だから頼むッ……ワシの息子が……シンが危ないのだッ。間に合わぬかもしれぬ……それでも……万が一にでもシンに会うことができたならッ────守ってやって欲しい……そして伝えて欲しい……愛していると」
男の手に集まったのは魂の輝き……男に残されたレガリアの輝きだった。息子を想って紡がれたその光は暖かさに満ち溢れており、温もりを求める仔牛を魅了した。生きる目的と温もり……その両方をこの男はくれようとしている。
仔牛にとっては拒否する理由などあるはずもなく、ただ黙って男の手に向かって頭を下げた────
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────仔牛が男の力を受領してから200年以上もの月日が流れていた。小さな身体は山のように巨大となり、アニマライズを守護する【7匹の守護獣】の一角として君臨していた。
200年経った今でも、雄牛は男との約束を忘れてはいなかった。魂が壊れていた男とはもう会話することもままならないが、男の想いは今も雄牛の中で輝き続けていた。
常識的に考えれば、その息子はもうこの世にはいないだろう。だが、雄牛は男との約束を守るため機を待ち続けた。四方を大海に囲まれたこの大陸から出ていく機会を────
────そしてその機会は訪れた。大陸に上陸した嫌な波長。全てを威圧し殺意を振り撒くその波長に、雄牛は懐かしさを憶えた。かつて男に感じた波長と同じ感覚を感じ取ったのだ。
運命……そんな言葉が雄牛の頭を過ぎる。全ての動物がその存在から逃げ惑う中、雄牛は山のように巨大な身体を起こし、ゆっくりと歩を進めていく。そして、その波長の発生源である男と相対した。
「へッ……まさかこの俺に向かってくる動物がいるとはなぁ」
燃えるような赫い髪に、二本の角のような銀色の髪。武器を持たないその男は、現れた雄牛の巨体を見て怯むどころか嬉しそうに顔を歪めるのであった。
雄牛の巨体が光り輝き黒金の鎧が纏われる。これこそが大地の英雄から受け継いだレガリア────【大地のレガリア シヴィア・クエイク】であった。その光景に男の顔からは笑みが消え、驚愕の表情へと移り変わる。
「なッ……まじかよ。動物の
男の瞳が金色へと変貌していく。赤黒い闇から顕現したのは、脈打つ紅玉が輝く巨大な戦斧。そして更に湧き上がる闇から姿を表したのは、深紅の鎧に身を包んだ鬼神だった。
「騎獣を求めてこんなとこまでやって来たが……へッ、来た甲斐があるってもんだぜ」
────雄牛と鬼神の戦いは半日にも及んだ。地形は変わり果て、絶えることのない轟音と地響きが大陸を揺るがした。だが、最終的に雄牛は鬼神の前に倒れ伏した。魂と魂のぶつかり合い────それに敗北した雄牛は鬼神に
しかし雄牛は満足していた。自分を上回る強者と一緒にこの大陸を出ていけることに。これから自分はこの鬼神の……【
「ダイン……それがテメェの名前か。荒神ダイン、今日からは俺のユニオンとして従ってもらうぜ」
屈服したダインの魂に触れ、僅かに残った記憶から名前を知るカザン。それはかつてレガリアを与えてくれた男の名前……だが、雄牛は敢えてその名前を受け入れた。
「……テメェ、色付きか。色付きをユニオンにするってことは、魂を変質させる事になる。かなりの苦痛を味わうぞ」
────構わない。そうカザンに告げるように、雄牛は目を閉じた。雄牛の魂の色はダインの色。それがカザンのマグマを思わせる灼熱の色へと変貌していく。魂の変質による想像を絶する苦痛……だが雄牛は呻き声一つあげなかった。消えてゆくダインの魂の色に、更に希薄になっていくダインの声に想いを馳せる事に必死で、苦痛など意に介さなかったのである。
────────────────────
────ダインがカザンのユニオンとなってから数多の戦場を駆けてきた。国内外問わずその勇名を轟かせ、“全滅のカザン“ と “荒神ダイン“ の名を知らぬものはいない程だった。
そして運命の日はやって来た。同盟関係にある天津国からの緊急伝達────“星の守護者”と呼ばれる存在が目を覚ましたという情報が入ったのだ。
戦いになることを予見したオウガによって遠征隊は編成された。万が一の場合に備えて遠征隊には団長であるカザンが選ばれ、それに加え一番隊隊長のカシューと三番隊隊長ペロンドの部隊が加えられた。
オウガの狙いは星の守護者を仲間にすること。だが、カザンの考えは違っていた。
『運命を司るような存在がいるなら、オウガが受けた残酷な仕打ちもそいつのせい。二度と運命なんてものを操れないように俺が必ず殺す』
八つ当たりにも近いカザンの考えではあったが、ダインにとってはどうでもいいことだった。ただ、主人であるカザンの命に従うのみである。
到着した天津国では緊急事態が起こっていた。突如現れたライザールの手先によって村人が人質となったのだ。既に星の守護者がいる村へと向かっていたカザン一行はその歩を早めた。
村人たちと様子見の戦闘を繰り広げた後、仲間の一人が捕まったことが明らかになった。だがカザンは慌てることもなく、ダインを供とし一人で森の中へと入っていく。
そこで待っていたのは、捕らえられた仲間と三人の村人だった。同行していた天津国の治癒士によると、二人までなら瀕死の人間を治せると聞いたカザンは、その場にいた三人の内の二人を叩きのめした。
残った一人は適当にあしらう予定だったのだが、その残った一人の老人が曲者だった。
老人はカザンの予想を上回る身体能力を見せた。背後に回り込みカザンの頭部に強烈な一撃を加えたのだ。想定外の攻撃を食らったことで、カザンは咄嗟に反撃してしまった。カザンの金棒が老人の腹にめり込み、不快な音を出しながら老人を吹き飛ばす。
吹き飛ばされる老人を見て、ダインの
頭部から流れる血を拭い、カザンは不愉快そうに舌打ちする。
(────やってしまった)
咄嗟の反撃で老人は瀕死になっている。“もう助かるまい“ ────そう思い、せめて楽にしてやろうと老人へと近づいて行くカザン。そして────
「…………ダイン。なんの真似だ?」
気付けば、ダインは主人であるカザンの前に立ちはだかっていた。レガリアである黒金の鎧からは魔力を噴出させ、“それ以上近寄ったらただではおかない“ と威嚇する。
突然のユニオンの反逆に少なからず困惑したカザンではあったが、やがては踵を返し老人から離れていった。ダインは倒れる老人に目をやった。その老人の目は光を失っていない……それを確認したダインはカザンの後に付いていくのであった。
────自陣に戻ったカザンは、瀕死の二人を治癒士へと預け、カシューの元を訪れた。
「おいカシュー。星の守護者ってのは子供と老人のコンビだって言ってたな」
「えぇ、そうらしいわね」
「テメェも老人と戦ったって言ってたな」
「欠けた愛刀見たでしょ? 防具に打ち込もうと思ったのに素肌で受け止められて、アタシ自信無くしちゃったわ」
「どんなヤツだった?」
「いい男だったわよぉ〜。アタシたちが手加減してるのにも気付くし、顔は強面だけどどことなくチャーミングで、なんかすごく若々しいっていうか────」
「テメェの好みなんかどうでもいいんだよ。どんな男だったかって聞いてんだよ」
「あんたこそ耳付いてんの? “いい男だった” って言ったでしょ。それ以上聞きたいことあるの?」
ふふんと笑うカシューに、やがてはカザンも呆れたような笑みを浮かべた。
「へッ……そうかよ」
────時間は過ぎ、人質開放のために更なる作戦行動に移ったカザン傭兵団。陣地である丘の上には、主人であるカザンとダインしかいない。丘の麓では呻き声を上げながらレヴェナント達が集結しつつあった。
「ダイン、テメェがあのジジィを守ったことを責めるつもりはねぇ。だが俺は星の守護者を殺すつもりでこの国にやって来た。あのジジィが星の守護者だって言うのなら、俺はもう一度ヤツと戦わなければならない。悪いが……ここからは俺に付き合ってもらうぜ」
主人の頼みに、ダインは黙って目を閉じた。ダインは確信していた────最後に見た老人の目の光が、かつて見た
カザンという人間をよく知る自分だからこそ分かる。カザンは決してあの老人を殺せない────そう確信していた。
そしてダインが予想した通り、老人は子供と一緒に生き延びた。レガリアを纏ったカザンを相手に無事に生き延びたのだ。そしてこの時から、
────────────────────
────水の都パラディオン。その頂上に聳え立つ【神聖樹メルキオール】。その麓に雄牛と一人の青年の姿があった。
今ここには、雄牛の主人であるカザンの姿もない。黒金の鎧を纏った雄牛の前には、赤金の髪の勇壮な青年がいるだけ。老人の姿であった彼は、記憶を取り戻し本来の姿へと戻ったのだ。
その青年が、震える手で雄牛の鎧に触れようとする。
「と……父さん────」
鎧に触れた瞬間、青年の目からは大粒の涙が溢れ始める。雄牛にしがみ付き、声をあげて泣き始めた。
「父さんッ……200年以上経っても……俺のこと守ってくれるのかよッ……子離れしてくれよぉ────」
嗚咽混じりに紡がれた言葉を、雄牛は黙って聞いていた。
────温かい
そして感じていた。青年のしがみ付く手から、伝う涙から、レガリアを通して感じる青年の魂の温もりを。
────あぁ……そうだ。ぼくは、
青年から伝わる全てが温かい。長年追い求めていた感覚に、雄牛は目を細めた。
────ぼくは……
そんな雄牛の疑問に、
『伝えて欲しい……愛していると』
────
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