脇役のオペラ

千世 護民(ちよ こみん)

第一幕 願い

 私はしがない靴屋で、古くも新しいものに溢れるこの街の隅でひっそりと営業している革靴職人。職人って自分で言うのもなんだかな…。

まあ、プロフィールもこのくらいにして今日の業務をしよう。なあに、いつもと同じ。型をとって革を切って貼って、縫えば良い。ただそれだけの毎日なのだ。それがどれほど仕合せ《幸せ》か。私には痛いほどわかる。

チリーンと入り口からベルが鳴る。

「おはよー。今日もお店開けるの?」

ホヌがひょっこり顔を出した。

「うん。そのつもり。ホヌは?今日もやる?」

「うん!やるー」

この喋り方だがホヌはもう成人だ。もっと喋り方も容姿も仕草も大人になったらどうだろう。

まあ、今に始まった事ではない。出会った頃から何も変わらないのは彼の長所だろうから。

「さて。じゃあそれと…これ。そこにある筆ならなんでも使って良いよ。」

「うん!わかた!」

私が店を開いた頃から彼はずっと手伝いに来てくれる。彼には色塗りの仕事を任せた。なぜか彼の塗った靴の方が売れ行きがいいのだ。ただ単に筆がうまく使えず厚塗りになったり薄くなったりしているだけだが、ここらでは割と有名になった。おかげで閑古鳥が鳴くことはまだない。

「なあなあ。」

「ん?どうした?」

「なあ、俺たち…ってまた戻れるかな?」

「…君は……いや、なんでもない。質問に質問で返すのは大人ではないね。そうだなあ…願いには二通りほどある。これの意味が分かるかい?」

「願い…お願いごと?えっとね。「神さまお願いしますっ」っていう方と「こうなったらいーな」っていうのかな?」

「まあ、そんなところか。」

何気ない会話を終わらせそそくさと開店準備を進める。

「えー答えは?」

「ん?まあ、合ってるっちゃ合ってる。」

「ふーん。そっか。あー、ひつじが雲を食べた。やぎが牧場から山へ。」

「ふーん、そう。」

外に耳を傾けるとヘリの飛ぶ音が何台も聞こえる。

この街ももう時間の問題か…なんて考えていると住人が飛び込んでくる。

「お、おい!早く逃げろ!ヘリが空中分解して破片が火を吹きながらあちこちに飛んできている!外は火事で起こった煙を吸って動けそうにない人がたくさんいる!お前らも早く逃げろ!」

「おじさん。もう一度外に出てこの店の周りを見ておいでよ。」

「なにを…そんなに冷静なんだ?いいから!早く逃げるぞ!自殺はその後だ!」


ひつじが雲を食べた

(味方が敵ヘリを攻撃した)


やぎが牧場から山へ

(それを見た敵は慌てて引いていった)


これは俺たちが部隊にいたときの口頭で使われた暗号だ。説明している時間ももったいないから緊急時はこれで話そうと2人で決めたものだ。


おじさんは一度外に出て火の様子を見てくる、と扉を開けて行った。

「なんじゃこりゃ!!」

どうやら現状を把握できたようでヘリの音に負けないボリュームで叫んでいる。それも扉が閉まっているのによく聞こえた。

「あらあら。屋根を護っただけなのに…」

「いいんですよ。どうせここら一帯も今日で終わりにするので。」

イスに腰掛け、紫の着物に身を包んでいるユウレイさんが少し申し訳なさそうにしている。どうせこの街は今日で焼け野原なんだから、そんなにしょんぼりしなくていいのに。あ、違うのか。自分の能力がびっくりされたことに、なのか。

「そろそろ出るかー。ユウレイさんつかれたでしょ?」

「まあ…。これくらいならば問題ありませんよ?まだまだ修行が足りなくて屋根しか護れないんですから。」

「なにいってるの?屋根を護ってくれたから俺たち助かってるんだよ?」

「そーだよユウレイさん!さっ!次の街に行こっか!」

外に出ると辺りは火の海。ヘリの残骸から漏れ出たオイルが余計に波を起こしている。

「ホヌ。」

私が名前を呼ぶとホヌは両手を上に。空には黒い雲がモクモクと寄ってきた。元々雨予報だったのか今日はそう時間が掛からなそうだ。

「ねえ?傘は?」

「ここに一本だけ。」

燃えさかる傘屋からくすねた、かろうじて使えそうな一本を手に取りそれを彼と私の間に差す。すると、それを待っていたように大粒の雨が降ってくる。

「ありがとうホヌ。」

「どーも!ねえねえ!次は海の近くがいいなあ」



今回は運が良かった。軍基地からは遠い、かつ山の中で徒歩では中々辿り着きにくいところの街だから。今までの歴史では海の近くで必ず文明が発展してきた。だからホヌの願いは届かないだろう。能力的にもその方がいいのは分かっている。私たちはいつだって『お願い』に見放されてきたではないか。

「ホヌ…残念だけど、今回も…」

「うん。そうだよね。」

またホヌが悲しそうな顔をしている。私はそんな顔にしたくないのに。見たくないのに。


「ごめんね。」


傘に雨粒が強く当たる音がそれをかき消した。

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