第128話 決意


音楽でご飯を食べられるようになった。

曲も書くし、棒も振る。

ボイトレもするけど、あくまでも私の本分はピアニストであり、学生である。



学生に関しては、今のところ、という但し書きがつくのだけども。



周りを見れば就職活動に勤しむ同級生がたくさんいる。

私は就活をするつもりもないし、就職するつもりもないのだけど、言いようの無い焦りを私まで感じてしまう。


もともと、卒業後はジュリアードに再入学するつもりでいたが、今になってその決意が揺らいでいる。


このまま日本で仕事をした方が良いのではないか?

今のままでも仕事はたくさんある。

お金を稼ぐならその方が効率的では?




そんな気持ちに心が支配されつつある。


もちろん、お金だけじゃない。

自分にお金をかけて自分に経験を積ませることこそが何よりの財産である。

海外経験を若いうちに積んでおく方が絶対のちの自分をたすけてくれるよ。


と言っている心の中の自分もいる。



「まいったね、こりゃ。」



こういう時は先人の知恵を借りよう。




「と、いうわけなんですよ。」


「なるほどねぇ。」



私がやってきたのは弓先生の遠征先。

チェコはプラハのホテルである。

たまたま先生がオフになる日の前日にプラハ入りすることができそうな飛行機が空いていたので、すぐに航空券を取りプラハに飛んだ。



「まぁ率直にいうと海外行きをお勧めするわ。」


「やはりそうですか。」


「もちろん。

この時代、今のあなたみたいに思い立ったらすぐに日本に帰ることもできるんだし。


日本にいては、どうしても日本寄りの仕事しか来づらくもなるわね。

こういう芸事の世界ではやはり両極端の世界を経験しておいた方がいいわよ。

思い切り日本と思い切り世界。

何かにつけて製作費をケチり倒す日本と、際限なくお金を使わせてくれるアメリカ。


まぁこれは極端すぎるし、語弊もある例だけど。」



「製作費って日本そんな感じなんですか?」


「昔はだいぶ大盤振る舞いだった時もあったのだけどねえ。」


「なるほど…。」


「まぁお金だけじゃなくて、海外の学生の、

純化されて研ぎ澄まされた感覚をもう一度味わいに行くのもいいんじゃない?


前は留学生というお客さん待遇だったわけだし。一学生として戦ってみたら?」




「そうですね。

自分が大きくなるチャンスがあるのにそれ拾わないの勿体無い気がしてきました。」



「その意気よ!」


「はい。

卒業後はジュリアードに入学して、学生やりつつ日本の仕事も世界の仕事も受けます!」



「そうと決まれば飲むわよ!」




「私お酒飲めないんですけど…。」

私は二十歳をすぎたが酒が飲めない。

感覚が鈍感するのが恐ろしくて仕方なく思えて、どうしても飲めない。


あと普通に酔いやすくて気持ち悪くなる。






「そんなこと関係ないのよ!

ジンジャーエールでも飲んでなさい!」


「はぁい…」


いつでも元気な先生の姿に、私は元気付けられ、未来への筋道を確かなものとした。





翌日のオフも先生に付き合って、モーツアルト作曲【2台のピアノのためのソナタ】のパートナー役をしたり、先生が書いた曲のテスト奏者をしたり、逆に私が書いた曲を先生に弾いてもらったりした。



「先生、ありがとうございました。」


「こちらこそよ。

吉弘くんのおかげで仕事がだいぶ捗ったわ。

今月のお休みがもう1日か2日くらい増えそうだもの。」



「そうだったら嬉しいんですけど…。」


「また手伝ってくれるならいつでも突然来てくれていいんだからね?

待ってるからね?」


「わかりました、お言葉に甘えて、悩んだ時はまた伺います。」


「言ったね?待ってるからね?」


「わかりました。」

相変わらずの先生の忙しさに私は苦笑いしつつ、空港のゲートを潜る。

ゲートの向こうで手を振る先生とその秘書さんに手を振りつつ日本へと帰国する。




「やはり先人の知恵には頭が下がる。またアドバイス貰わなきゃね。」




私の中の迷いは消えた。

もう一度ジュリアードに行く。






決意を新たにして日本に帰ってきた私は

またピアノ部屋に篭った。


今回はちょこちょこ3人がそれぞれ様子を見にきてくれているので、そこまで心配はかけていない。


心置きなくピアノを弾き倒せる。




ジュリアードの入学試験は書類の申し込みと実技試験だ。

つまり、私の場合ピアノを弾くことになる。



今更そんなことで緊張するわけもないと思っていたけど、やはり人に私の演奏が評価されるとなると緊張するようだ。

弾けば弾くほど自分の演奏の粗が目立つ。




さぞかし気持ちいいでしょ?

と言われることがあるが全くもってそんなことはない。


どんなに良く弾けていても、自分ではフレーズどころか一つの音の出し方にまで腹が立つこともある。


音楽の道は長く、そして険しいのだ。



今日も私はピアノの音に包まれて夜を過ごす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る