第124話 オーディション3
実際は昨日の食事会から始まったようなもんではあるが、今日からいよいよオーディションが始まる。
私はというと、
朝5時に起きて、朝風呂に入って、6時から朝食バイキングを食べて、
今日のオーディションメンバーとなるべく鉢合わせしないように謎の気を遣って部屋で仕事をしていた。
別にたまっている仕事があるわけではない。
ピアノを弾いていると落ち着くというだけだ。
いい感じに指も温まってきて、気持ちよくいつもの曲を弾いていると、
アイドルグループのメンバーが部屋に挨拶に来た。
最初こそ挨拶を普通に受けていたけど、だんだんと行列ができてきた。
何でかって?
2〜3人でくりゃ良いのに全員ばらばらで来たからだよ。
各グループ別々に…。
芸能界って大変だな。
やっとのことであいさつを終えたところで9時。
収録が始まるのは10時の予定なのでまだ少しだけ時間がある。
手持無沙汰だな。
事前にもらっていた、これまでにグループが発表した曲でも弾いて時間つぶすか。
思いついた曲を弾いたり、今回のオーディションのために事前にもらっていた楽譜を弾いたり、そうこうしていると、そろそろ時間になったので大広間に行ってみた。
すると。私が大広間についてすぐ位で収録がスタートした。
あれ?もしかして私待ちだった…?
収録が始まって、参加しているメンバーを見ていると結構みんな気合入ってるな、っていうのが良くわかる。
気迫がすごいや。
途中なんか挨拶振られたから無難に一言二言返しといた。
私はとりあえず10時の収録の頭が終わるとしばらく出番がないので部屋に戻ることにした。
収録には特に興味もないし。
頂いた事前配布資料によると、今回の収録のテーマは「合宿」だそうだ。
番組的には「オーディション」のテイをとってはいるものの、資料中で合宿というからにはどのグループも何かしらの収穫を持って帰って欲しい。
「なので」かどうかはわからないが、各グループそれぞれに歌唱のレッスンがある。
ミュージカル歌唱だろうがPOPS歌唱だろうが先生の元でありとあらゆるかわいがり(主にいつかの年末年始)を受けた私に死角はない。
まあ私自身は歌手になれるほど上手くは無いんですけどね。
部屋で抱えている仕事を少しずつ片付けながら、
その抱えている仕事の多さに私ってほんとに大学生なのか?という疑問を抱きはじめていると、ADさんが迎えに来た。
いや別に先生と違って納期に遅れたりはしてないんだよ?本当に。
「そろそろ目黒川さんのレッスンなのでよろしくお願いします。」
「はーい。」
特に私は気負うこともなく、昔から愛用しているソルフェージュの楽譜を小脇に抱えてレッスン会場という名の小宴会場に到着する。
そこにはアップライトピアノが一台と、目黒川の曲のピアノ譜が数冊。
アップライトピアノは私の要望でレッスン場に入れてもらったものの一つ。
いつものルーティンでピアノを弾きながら指の体操をしているとメンバーがちらほらと入室してきて、レッスン時間の10分前には全員がレッスンを受けられる体制になった。
「はい、おはようございます。」
メンバーたちの、元気なおはようございますの声に合わせて和音を弾いてあげるとちゃんとみんなお辞儀した。
うん。いい子たち。
「はい、じゃあ発声から〜」
なんの前置きもなくいきなりレッスンに入る。
やはり喉ができていない。
「全然喉開いてないねぇ。
じゃ喉開けるところから始めようか。
はいあくび〜〜」
私があくびの声を出しながら声を出して見せるとやり方がわかったのかすぐに順応した子がちらほら。
昔の偉い人は言いました。
やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ。
合ってたかな?
だから褒めてあげましょう。
「はい上手〜。」
私はレッスン中にピアノを弾く手を絶対に緩めない。
調律のあったちゃんとしたピアノの音は聴いているだけで耳が育つ(持論)。
なので待ちのときも弾き続ける。
すると私もレッスン生も時間を無駄にしない効率の良いレッスンになる。
その後も基礎的なお腹を使う訓練として重たいものを持たせて発声させてみたり、さまざまな訓練を積ませた。
この初回のレッスンでは歌は一度も歌わないつもりだ。
声の出し方を教えてあげる。
基礎も基礎、基礎の字のKくらいの基礎だ。
そろそろレッスンも終わりに差し掛かりそうだというところで、1人の女の子が声をあげる。
「先生〜、歌は歌わないのですか〜。」
今回の私のレッスンでは、絶対に平坦な口語調での発言を許さない。
普通のレッスンをするときはそんな制約を課したりはしないのだが、リズム感を養うという意味でも1秒も無駄にしたく無いので今回はこんな奇策を設けている。
あと、お互い感情的に怒鳴ったりすることがなくなるので泣いてレッスンが止まったりすることもない。
テレビ的には涙がほしそうだが、私はテレビをしに来ているわけでは無いし、テレビタレントでも無いのでそのような忖度は一切無い。
「歌を意識して歌う必要はないよ〜、レッスン中の全ての時間で音楽をするということはそれ全て歌うということ〜。」
とまぁこんな感じで90分、10分前からスタートしたので都合100分のレッスンが行われた。
また和音でレッスンを締めてお辞儀をして解散。
みんなが部屋からはけたところで閻魔帳に印をつける。
順応するのが早かった子、疑問を持ちながらでもとりあえず前に進める子、体を使って声を出すのが得意な子などなど、目立つ子にはどんどん印をつけていく。
「意外と先生って面白いかも。」
新しい自分の扉を見つけたような気がした、合宿1日目のお昼過ぎのことである。
その後もレッスンカリキュラムをサクサクと消化してみんなの基礎力を徹底的に扱きあげる。
光るものがある子はその光るものを徹底的に磨き上げる。
レーダーチャートで凹んでいるところは少しだけ凹みを戻してあげ、尖ったところはさらに鋭くするイメージというのだろうか。
気を衒うような玄人向けのレッスンではなく誰でもできる基礎を磨く。
基礎こそが我が身を助けるのだ。
〜〜〜〜〜〜side柚木ひかり~~~~~~
今日は合宿の模様をスタジオで見る会の収録日。
MCの芸人さんがVTR振りをしている。
「それでは!合宿の模様をお伝えします!」
「VTR、どおうぞ!!!」
「どうだった?」
カメラマンさんがメンバーの子に聞いている。
このカメラさんはなかなか優しいカメラマンさんで、前のスペシャルの時は
メンバーの悩みとかも効いてくれていた。
「すっごい楽しかったです!
ずーっと楽しかったし、負担もなかったのにレッスン終えてみるとなんかすごい疲れてる…。
なんかお腹筋肉痛だし…。」
川シリーズの彼女たちはみんなこんな感想を抱いていた。
どのグループに聞いても大体こんな感想。
もちろん私もそう。
疲れてないのに疲れてる。
体をしっかりつかえていたからだと思う。
『アイドル番組の合宿といえば鬼教官がアイドルたちを徹底的に扱き上げ、こき下ろし涙涙で最後笑顔で大団円というのが定型パターンだし、私もそれを撮るつもりで来ていたが蓋を開けてびっくり。
全くそんな様子は無い。
これも時代の変化なのだろうか?』
こんなテロップがVTRについていた。
確かに時代の変化かもしれない。
それとも藤原先生が圧倒的なカリスマを持ち合わせているからなのだろうか?
カメラマンさんからのインタビューを終えた彼女たちは、
オーディションの打ち合わせに行ってきまーす!と元気いっぱいに部屋に戻っていった。
『いつもと違う合宿の雰囲気に、何が起こるのだろうか?というワクワクと、ちゃんと撮れ高は確保できるのだろうかという不安が心の半々を占めている。
だが見守り隊としてはワクワクのほうに転んでくれることを祈るしか無い。』
こんなテロップがついたVTRはスタッフさんからの愛にあふれていて、それでいてこれから何が始まるんだろうというワクワクを刺激されてとってもいい出来のVTRだった。
やっぱり裏方の技術者さんってすごいな。
これを見ている視聴者さんもぜひ最後まで楽しみにしてほしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます