第52話 藤原吉弘の周りの人の話。



「この子バケモンだわ。」




さすが目隠しで私が選定したピアノを選んだだけあるわね。近いうちに私が買おうと思って狙っていた、元々は展示品になる予定だった、4本ペダルのF228 silver。



機会があって弾かせてもらったときに、この子私買うから確保しといて!と言って保管庫に眠らせておいたのに。



個体差が小さいと言われるファツィオリのピアノの中でもピカイチの個体よ。

まだ開いてはないけど、開いたらすごいことになるわ。




そんな私のピアノを選んだ彼のなにがやばいって、

根気と集中力が常人のそれをはるかに超えていることだと思う。




この子の音を、実季ちゃんにお願いして入手してもらって初めて聞いてから、ただならぬものを感じてたけど。




悔しいけど、彼なら選びそうだな、と納得してしまう自分もいる。






私が選んだピアノを選ぶ子を直接見てみたくて来てもらったけど、

拷問みたいな練習をなんの苦もなく、

平然と楽しみながら延々と続けていられるだなんてほんとに信じられない。


でも目の前にいる彼が何よりの証拠。



プロの私からみても第一線で戦えるだけの力をすでに身につけつつある。

三日間練習室から出ない?

狂気だわ。彼は狂気を孕んでいる。



それでいてあっけらかんとしていて。




しかも、世界中のありとあらゆるピアニストが喉から手がでるほど欲しがる手を持っている。


大きくて、しっかりと筋肉があって、なおかつ関節が柔らかい。


後者の二つは後天的でもなんとかなるけど、大きい手だけはもう運の世界だ。


ドからソまで普通に届くなんて、お前はリストか。と言いたくもなる。


彼の得意な曲は案の定リストだった。

もしかしたら本当に生まれ変わりなのかもしれない

と思ってしまいたくなるほどにリストの曲を弾きこなす。






しかもピアノは独学だと。

ネットから教材を引っ張ってきたと。


時代を感じるね。


にしても、彼の才能は、私が思っていたものよりも何倍も大きかった。


ツラも世界を狙えるツラをしている。


たいしたイケメンでもないのにピアニスト補正でイケメン扱いされてるエセイケメンピアニストどもを駆逐するのだ。






実季ちゃんはあともう一枚殻を破れば、

階段を駆け上がってくれるのはもうわかってる。


次は彼の才能を磨き上げたい。






実季ちゃんがこれからまたは一つ爆ハネするには、恋の一つや二つしてくれればなぁと思っていると、どうやら。




「ほうほうほう…。




そういうことね。」




もう、彼女は恋を覚えたようだ。


先生としてはなんとかくっつけて2人ともがハッピーになってくれると良いのだけれど…。

これはライバル多そうだぞ~。






~~~~~~side柳井実季~~~~~~




数日前から吉弘くんと連絡が取れない。

土曜の朝一番でピアノ搬入っていうのは知ってたけど、それにしても連絡が取れない。




1時間経っても、2時間経っても、半日経っても、丸一日経っても連絡が取れない。




前は三日間連絡取れないとかザラにあったけど、それも私が怒ってからちゃんとしてくれるようになった。




まさか、また…?




今日は祝日の月曜日。


たぶんもし彼の悪い癖が出てるとしたらそれにも気づかずに火曜からも弾き続けるだろう。




それか、ほんとに体調崩してるか。



でも、ここ最近彼の周りがごたついたみたいで、

ちょっと精神的に疲れてるのかもしれない。

その疲れが出ちゃったのかな。

心配が止まらない






気付いたらもう私はスーパーで食材を買い込んでいた。


一応、小さい頃からお母さんが作ってくれてた風邪引き専用メニューをメールで送ってもらって、それを元に買い出ししている。




スーパーを出て、適当にタクシーを停めて、彼の家に向かう。




大丈夫だといいけど…。






インターホンを鳴らすと、普通に出た。

のんきな声で。


実季先輩だ!じゃねーよ。


ここで私の怒りのボルテージが3目盛くらい上がる。

でも、声がかわいくて、私が来たことがうれしそうにしていたので

5目盛くらい下がった。





急いで彼の部屋までエレベーターで駆け上がる。


家に入る。




パジャマ姿で出迎えてくれた彼。


ドキッとして、クラっときて、鼻血出そうだった。


少し寝癖がついているのもポイント高い。


そして何故かとてもいい匂いがする。


なんでだよ!




熱はない、貧血っぽくもない。


脈もたぶん普通。




確定、こいつクロですわ。




あとはもうお説教タイム。


途中ほんとに泣きそうになっちゃったけど、


いよいよ反省してくれたみたいなので今回は許す。






あれ、今回は許すって、前のときも言ったような…。


私ってもしかしてだいぶチョロい…?






そんなことはさておいて。




今日はもうピアノを弾かせないために彼を監視することにした。




お昼ご飯も晩ご飯も彼にご馳走になろう。

彼のご飯はほんとに美味しい。

ちょっとしたおつまみから、しっかりと手の込んだ料理までしっかりとこなす。




この家に引っ越したとき、キッチンが広いのが嬉しいと言ってた。






お昼ご飯こそ、私が用意したものだったが、

晩ご飯は彼の家にあるものだった。




適当に余っていた野菜をぶち込んだポトフとご飯と、豚バラネギ焼き。




ネギがとっても甘かった。




ポトフは私、粒マスタードで食べたい人なんだけど、吉弘くんちにはちゃんと粒マスタードがあった。


天国かよ。






吉弘くんの家にはお風呂が二つもあるので、好きなタイミングで勝手にお風呂に入る。


もし本当に体調が優れなかった時のために、泊まり込みで看病できるように持ってきていた私の着替えがこんなところで役立つとは。




あとはもう寝るだけという段で、吉弘くんの目を盗み、吉弘くんの部屋のベッドを占領する。




吉弘くんがそれに気付いたとき、どんな顔するかが楽しみだ。


来るぞ…!来るぞ…!




しかし来ず、そっと部屋を出て行った。


思わず舌打ちが出る。


てめぇこの前もチキったろ…。




今度こっちから襲いに行くから覚悟しとけよ…。


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