第46話 ある聴衆の話。後編
今日はパパに誘われたデートの日。
デートなんて何十年ぶりかしらねぇ。
何でもピアノライブに連れて行ってくれるとか。
こういっては何だけど、私もピアノを何十年とやってきた身。
生半可なピアニストの演奏じゃ満足しないわよ?
それこそ、有名なオーケストラと共演したこともあるし、ピアノの先生をやっていたこともある。
実家にはちゃんとグランドピアノもあるし。
まぁそんなことよりも私はデートに誘われたことの方が嬉しいんだけどね?
嬉し過ぎて娘に言っちゃった。
パパも、いつになくちゃんとした服を着てて、私も釣られて気合が入っちゃったわ。
店は銀座と聞いたのだけど、まず日比谷で降りるらしい。
銀座と日比谷は近いと言えば近いけど、頭の中には?が浮かんだ。
昼前には日比谷について、伊勢丹に連れて行ってくれたわ。
私が若い頃は、伊勢丹なんて限られた上流階級のお店だったけど、今ではもう私たちも便利だから伊勢丹で買い物するようになっちゃったわね。
歳をとったはずだわ。
いろんなものを2人で見て回ったけど、バッグが一つだけ、どうしても気に入ったものがあって、どうしようかと思ったの。
冬のボーナスで、こっそり買うか?
頭の中で算盤を弾いて、何とかなるか?と言ったところで、パパがお手洗いに行くと言う。
ちょうどいいので私もお化粧直しに。
お化粧を直しながら、頭の中で、どうやって買う算段をつけようかと思案した。
パパのバーを減らして、ゴルフも減らして、ゴルフクラブもあんなにいらないでしょ?
ゴルフクラブも10本くらい減らしてもらって、冬のボーナスもパパの取り分はなしということで、よし。
買える。
気合を入れ直したところで、化粧室を出て、パパと合流。
店を出ようと言うところで、思いがけずにプレゼント!!!
「えっ!?!?
あなた、えっ!?!?」
私も取り乱しちゃうわよ。
なんか、普段の感謝だとか何とか言ってたけど
びっくりしちゃったわ。
デートまでしてバッグもかってもらえちゃうなんてしあわせだわ!!!!
そのあとはパパのスーツも作ってあげて(決済はパパ。)、少し遅めのランチ。
スーツの時にはなんかごにゃごにゃいってたけど、私パパがへそくりため込んでるの知ってるんだからね?
まぁ、でも。
冬のボーナスでは取り分少し考えてあげようかしら。
お店に行ってみたら、びっくりした。
なんとピアノがベーゼン!
憧れのピアノよねぇ。
オーナーさんがお話ししてくださったけど、かなり古いものみたい。
昔のピアノって、今では手に入らないような材質使ってるから、
音も今より豊かだし、ちゃんと手入れさえしていればとんでもなく素晴らしい響きなのよねぇ。
オーナーさんとピアノ談義に花が咲かせていると、照明が落ちて、ピアニストが出てくる。
まぁ!イケメン!!!!!
これはすごいわ!!!!!
まぁでも、イケメンとピアノのテクニックは結びつかないわね。
お手並み拝見といこうかしら。
ふーん、一曲目はショパン。
まぁ難しいっちゃ難しいけど。
op10-4というと、集大成みたいな曲なのよね。
いろんな技術が高いレベルで、すべて必要なのよ。
特に流れるような両手のパッセージは、叩けばいいってもんじゃないし。
音も大きくはないから支えを作るのが大変だし。
八分音符の刻みはバランス取るの大変だし。
右と左の役割も目まぐるしく入れ替わるし。
どんなもんかと思ったら度肝を抜かれた。
アウフタクトからの始まりからもう音が違う。
手を鍵盤に置いてから一番最初に出す音のクオリティがもう生半可なピアニストのそれを超えている。
音の粒だちもはっきりしていて、ちゃんと音が聴き取れるわ。
鍵盤を掴むという感覚を多分彼はちゃんと理解している。
テンポに関してはもっと全然早くてもいいくらいだけど、これくらい余裕をとって弾いているというのも悪くないわね。
タイムトライアルじゃないんだから、この曲もナントカのひとつ覚えみたいに早く弾きゃいいってもんじゃないわよ。
ベーゼンの豊かな響きと重厚感をとんでもなく最大限に活かしたいい演奏ね。
だいたい2分20秒ってとこかしら。
息をするのを忘れていたわ。
次の曲はショパンのノクターンね。
10ー4からのギャップで頭くらくらするわ。
息はできるけど。
でも私はこの曲順好きだわ。
インパクトのある短い曲を頭に持ってきてグッと注意を引き付けて、ゆったりとした曲で落ち着かせる。ニクいじゃない。
こういうコンサートって、ちゃんと定石どおり曲順組み立てるとダレるのよね。
まぁ、なんとも綺麗な音色だこと。
ピアノも幸せだわ。
お客さんも酔ってたらこの音色の価値わかんなくなるだろうから大正解ね。
そうそうそう!
短調になる瞬間の表情よ!
よくできてるわぁ〜。
さてお次は?
ほう、悲愴ですか。ベートーヴェンの。
あぁ〜〜、いい。
私スタッカート長めの方が好きなのよ。
これこれ!
これよ。
ロボットみたいにスタッカートの長さはこうだからこう!なんて弾き方しちゃダメなのよ。
楽譜通りっていうのは、楽譜通りなの。
自分の経験とかそういうのは置いといて、作曲家が指示している通りなのが楽譜通りなの。
指示記号がこうだからこうですなんてナンセンス。
彼、できるわね。
技術もさることながら、曲の顔がちゃんと見えてくる演奏だわ。
きっと良い先生についてるのねぇ。
ちなみにのちにわかることなのだけど、彼は独学でここまできたらしい。
天才とはこのことかと驚愕したわ。
音楽経験についてはもともとサックスで、高校生の中では日本を代表するレベルだったということも聞いて、なるほどねと合点した。
次でクラシックパートはラストみたいね。
最後はドーンと盛り上るクラシックで締めて欲しいものだわ。
お!出ましたきらきら星変奏曲。
漫画で話題になってたわね。
この曲ならみんな誰しも一度は耳にしたことがあるし、ハッタリも効いていいじゃない。
でもこの曲プロ泣かせなのよ…。
みんな知ってるっていうのがどれだけ難しいことか…。
小さい子とかにせがまれて弾いたこと何回かあるけど、少しでもミスるとバレるし…。
音が少ないからミスもごまかせないのよ…。
うん、よく練習できてるわね。
装飾音符も、ちゃんと三つとも聴こえるわ。
最後の主題に入ったけど、ここ一番難しいのよ。
左手は16分の羅列だし、譜面も左右対称で動くところとかあるし。
まぁその分ピタッと合うと弾く方も聴く方も気持ちいい最大の見せ場なんだけどね。
おお!決まった!!!
一音のズレもなくて二重丸です。
ここで彼のMCがはいる。
これだけの演奏をして息も上がってないのは大したものね。
若さって羨ましいわ。
次のセクションは吹奏楽曲ですって。
娘が吹奏楽部だったから指導に行ったの思い出すわねぇ。
指導に行くためにめちゃくちゃ勉強したのだけど、バレなかったかしら?
あら!イーゴリ公よ!
娘の定期演奏会思い出すわねぇ。
外部顧問だったから私は袖で聴いてたわ。
ピアノだとまた雰囲気が違っていいわね。
ちゃんと踊りの空気も感じられて、素敵な構成だわ。
これもまたのちに聞いて驚くのだけど、ピアノの編曲は自分でやったんですって。
フルスコアが頭にちゃんと入ってるだなんて。
もしかして学生指揮でもやってたのかしら?
どうりで聴衆のお行儀が良かったり、吹奏楽で大盛り上がりしてるのかと思ったら、みなさん音楽やってらした方が多いのね。
全くニクい選曲だわ。
この辺から映像音楽にシフトして行って、最終的に映画音楽セクションに入ったのだけど、パパとデートに行った映画館の話なんて思い出しちゃって。
まぁ!最後はジャズ!
ジャズピアノって難しいのよ。
楽譜なんてあってないようなものだから。
センスが試されるわね、本当に。
スタンダードナンバーから始まったジャズセクション。
さっきも思ったけど、みんなが知ってる曲って、確かに盛り上るけど難しいのよ。
でも彼はきっと難なく弾きこなすわ。
あら、若いのにデュークエリントンを知ってるなんて勉強熱心ね。
体も躍り出しそうになるこのリズム。
ほんとに素敵だわ。
彼の演奏も、途中からどこか一皮むけたような、腹を括ったとでもいうのかしら?
また一段と素敵な演奏になったわ。
どうやらこれで終わりらしい。
名残惜しいわね。
楽しい時間はほんとに早くすぎちゃう。
アンコールをしようと思ったら、1人のお客さんが立ち上がって、静かにというジェスチャーをした。
私の頭の中は?しか浮かばなかったが、彼がプリプリ怒りながら出てきたことで疑問は氷解した。
そして、始まったアンコールステージ。
黒鍵のエチュードから始まるアンコールステージだなんて豪華だわ!
やっぱり彼の真髄は速弾きと、速弾きでも崩れない芯の太さね。
感服しました。
そしたらガーシュウィンのサマータイムなんてやるじゃない。
クラシックステージだからもっと古典的なもの入れるかと思いきや、ガーシュウィンが亡くなる数年前に書き上げたオペラ、ポーギーとベスのアリアで今ではジャズのスタンダードナンバーになったブルーズ。
たまんないわね。
この泣きが入った演奏。
この辺が彼のルーツなのかしら?
そして締めの大トリはパガニーニのラ・カンパネラ。
周りの盛り上がりを見るとこの曲が彼の代名詞なのかしら?
俄然期待が高まるわね。
うん、うん。
こりゃすごいわ。
ぐうの音も出ません。
おみそれしました。
よく、曲を聴いて風景が思い浮かぶというけど、
まさにそれ。
技術は言うまでもないけど、曲想がほんとに秀逸。
私は聴いたことないけど、リスト本人の演奏ってこうだったんだろうなって思った。
リストは手の大きさでも有名だけど、その手はすごく柔らかかったらしい。
彼の手もそうなのかな?と思ってステージが終わったあと握手してもらったけど、すっごく大きくて柔らかかった。
ピアニストの手は軍手の手なんていうくらいだから、全盛期を過ぎたとはいえ、私もなかなか手が大きいのだけれど、その私の手が包み込まれたかと思うくらい大きくて、柔らかかった。
肉がとかそう言う表面的な話ではなくて、手の骨を一つ一つを繋ぐ関節がすごく柔らかかった、のだと思う。
とんでもなく大満足で店を出る。
「パパ、今日はありがとう。」
「こちらこそ。付き合ってくれて嬉しいよ。」
「ねぇ、あの映画音楽の時の曲覚えてる?」
「もちろん。デートの時に行った映画館だろ?」
「なんかそのときのこと思い出しちゃった。」
「俺もだ。でも緊張し過ぎて、映画見てなかったから、内容全然覚えてないんだよ。」
「まぁ!それはいけないわ!借りて帰りましょ!」
帰る道すがら、そう言いながら繋いだパパの手は、彼の手よりも全然小さかったけど、誰よりも大きくて暖かい家族の手だった。
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