第8話 日々の練習


「今日も今日とてピアノ弾く〜っと」


私は調子外れなメロディを口ずさみながら自転車を駆る。




というのも、先日実季先輩が送ると言っていた楽譜が昨日の夜届いたからだ。

最近はずっと似たような曲ばかり弾いていたので、新しい曲に挑戦するのは心が弾む。




いつものように練習室に入り、タブレットを立ち上げ、早速メールに添付された楽譜ファイルをダウンロードする。






「うわ…曲数多いな…」


メールを見ると二週間後に曲の出来栄えを見て本番で弾く曲を決めるとのこと。


「なるほどねぇ…。

パガ超 (パガニーニによる超絶技巧練習曲集)もやらないとなんだねぇ…。


よし、やる気出た。」




難しい課題を提示されればされるほど燃えるのが自分のいいところだと思う。

そう思いつつ練習を始めた。


ちなみに、送られてきた楽譜は全部で18曲もある。


リストやショパンなど、難しいことで有名な作曲家の曲がずらりと並んでいる。




私は来る日も来る日も練習室に通い詰めて練習しまくった。


授業とバイトがあるときと寝る時間以外はほとんどずっと練習室にいたと言っても過言ではない。




5日ほどで18曲全ての曲を形にすることができた。


10日ほど経つと18曲の完成度がバラつき始めた。


曲によって好きな曲、弾きやすい曲、ノリやすい曲など様々にあるため完成度がバラついてくる。


その中で、私がこれだけは勝負すると決めた曲は


リスト/ラ・カンパネラ、鬼火


ショパン/英雄ポロネーズ、幻想ポロネーズ、舟歌


の五曲だ。


特に幻想ポロネーズと舟歌は楽譜もさることながら表現が難しい。


これまで楽譜が難しい曲は挑戦してきたがそれに加えて表現もとなると未知の領域だと思う。


だからこそ挑戦したい。






そして、やってきた実季先輩。




「よし、曲決めようか!」


練習室に入るなり開口一番実季先輩はそう言った。




「はい!頑張ります!」




私はおもむろに弾き始める。


18曲全てを弾き終えるともう疲労困憊でどうにもならなくなった。


お腹が減りすぎて動けなくなってしまった。

多分低血糖の症状だ。




「そういうことって本当にあるんだ…」


実季先輩は驚きながら笑って飴をくれたので、少し復活した。




「とりあえずカフェでも行って腹ごしらえしようか…。」


実季先輩の気遣いが脳にしみる。




私と実季先輩は大学近くのおしゃれなカフェで曲決めをすることにした。




「私はシーフードドリアで。」




「じゃあ私はカルボナーラ大盛りで」


大盛りを頼んだのはもちろん私だ。


しばらくすると二人分の料理が運ばれてきたので、食べながら実季先輩と話し合う。




「まず最初に言いたいのは、18曲全てが形になってると思わなくてびっくりした。


ほんっとにすごいね!!」




私としてもこんな美人で可愛い先輩にそんな手放しで褒められると少し照れてしまう。


そして、カッコつけたいので変に謙遜してしまう。




「いや、そんなことないっすよ。


まだまだっス。


てかむしろ全然的な。」




「そういうの似合ってないからやめな?」




「アッ、ハイ」




軽く心を砕かれた。




「私はやっぱりカンパネラと鬼火と英雄、幻想、舟歌でいいと思う。完成度が他の13曲と段違いだった。むしろこれしか練習してないでしょってレベル。」




「まぁ。確かに自分でもそんな感じです。


なんか弾きやすいし好きな曲だったんで、同じ時間練習しても出来上がりが違うんですよね。」




「なるほどね。じゃあこの5曲の中で一番やりたいの三つ選んで」




「カンパネラと鬼火と英雄ですかねぇ…」




「じゃあその三曲を本番でやりましょう。」




「そんなあっさり?」




「今の段階で出ても他のほとんどの参加者よりはうまいよ


でもまだ私の方がうまいけどね」




「 (そんな感じなんですねぇ。) そう言って強がる先輩が可愛すぎて鼻血出そうだった。」




「多分考えてることと口に出してること逆だと思う。」




「あっすいません。」






そうして私が学園祭で披露する曲は


リスト作曲、パガニーニによる大練習曲集より第3番嬰ト短調ラ・カンパネラ


超絶技巧練習曲集第5番 鬼火


ショパン作曲、ポロネーズ第6番変イ長調 英雄




の三曲になった。




しっかり練習しなくちゃ!!





私は弾く曲が決まってからはさらに気を引き締めて練習をするようになった。


だいぶ指が回るようになり、芯のある音が出せるようになってきた今でも、ハノンで指の体操をするところから練習を始めるのは変わりない。






最近では、噂が噂を呼んでいるのか私がハノンを弾き始めてしばらくすると練習室のドアについている小窓から中をのぞいていく人が増えてきた。


弾き始めると気にならないが、これからいざ弾こうかという時に小窓からのぞいている人と目が合うとどうも気まずい。




実季先輩に相談してみても


「それが有名税ってやつだよ!」


と、全く要領を得ない。






周りからの目にはまだ慣れないが、今日も今日とてピアノを弾く。






練習を始めると時間の感覚がなくなる。


吹奏楽部でサックスを吹いていた頃から、練習している間は時間の感覚がなく、ひと段落ついて気づいたら一人で練習していたということもざらにあった。


顧問の先生からも


「お前はソロ奏者向きだ」


と言われたことはもう数えきれない。


チーム競技である吹奏楽部で、協調性がないという致命的な自分の弱点を自覚してからは、みんなと本気の練習に没頭することを諦めた。


曲の練習や合わせの練習は個人でひたすらやって、完成させてから部活に臨む。

部活の時間には練習するというよりも周りの人に合わせるという訓練のつもりで臨んだ。


部活で直してこいと言われたところはメモを取り、合奏ではみんなの音を録音し個人練習で直し、合わせる。



その場で納得するまでやり直すということができず、好きにやれないということでフラストレーションはたまったが、周りと合わせるという技術は磨くことができたので差し引きプラスだ。






そんな私が今は個人競技のピアノを極めようとしている。

個人競技は良い。

納得するまで好きに練習させてもらえる。

一つの音が気に入らないからといって、何度でも練習することができる。

ソロの楽しさを120%噛み締めている。




あぁ、ソロは幸せだ。


聴衆の全てが私に注目してくれている。






昼前に練習を始めたのに、気づけばもう外は真っ暗だ。

日付をまたいでからもうだいぶ時間が経っている。




「もうこんな時間か…

お腹減ったからラーメンでも食べて帰ろ…」




先ほどまで弾いていた曲を口ずさみながら自転車を漕ぐ。


すると15分ほどで行きつけのラーメン屋さんに到着する。


このラーメン屋さんは夜遅くまでやっており、いわゆる二郎系と言われるこってり具沢山ラーメンが私のお気に入りだ。




「らっしゃい!


お、兄ちゃん今日も精が出るねぇ!」




「恐縮です…。

いつもので!」




いつも深夜に一人で来て重たいラーメンを食べていくので顔を覚えられてしまった。


大将とは何となく会話も弾み、ピアノの練習で夜遅くまで頑張っているという話もしていた。




「あいよ!!」




ちなみにいつものとは


混ぜラーメン大盛りにんにくマシマシ焼豚多め野菜2倍背脂多め味濃いめ


である。


カロリーはモンスタークラスだが、練習を突き詰めると昼も抜いてしまうし朝もコーヒーだけになることが多いのでこれくらいがっつり食べたくなってしまうのだ。






富士山のようになった大盛りラーメンをぺろりとたいらげるとなんとなく体を動かしたくなり、バイト先のゴルフバーに向かう。




重たくなった体をやっとの思いで自転車に乗せしばらくこいでいると店に着く。




ラーメン屋を出るときに叔父さんには連絡していたのでスタッフ専用ロッカーには道具が用意してあり、キャディバッグを担いでスムーズに練習ブースに入ることができた。




軽く400球ほど打ち込むと、体がだいぶラーメンを消化してくれたのかだいぶ動きやすくなった。




「どうした?お前が練習なんか珍しいな。」




叔父さんに心配されたしまった。


昔から練習の虫なのだがそれを表に出すのが恥ずかしく、練習しない子としてもまた有名だったため仕方ない部分もある。




「まぁそういう時もあるね。食べ過ぎで動きにくかったからさ。」




「なるほどな。締めのラーメンみたいなことか。」




よくわからないことを言われたが納得してくれたものを蒸し返すのも悪いと思い流した。




帰り際にバーカウンターにいた常連さんと練習生さんに挨拶して帰る。






「いやぁ、今日もよく動いたなぁ!!」


家に帰ると風呂を沸かし、近くのドラッグストアで大量に買い込んでおいた入浴剤を入れる。


今日は登別温泉だ。




「っくぁああああああ……」


熱めの湯に登別温泉の香りで最大限に癒され、フランスのブランドが作っているお気に入りのルームフレグランスの香りに包まれて眠りに落ちる。




「これたぶん女子の生活だァ…」






おやすみなさい。

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