第33話 最後の晩餐

 剣士が屋敷に戻ったのは夕刻であった。


 しかも、日が沈みかけており、むしろ夜に近いくらいの夕刻だ。


 出迎えはいつもの門番で、しかも夫人の姿まであった。



「おや、ご夫人までお出迎えとは、痛み入りますね」



「あんまり遅いものですから、逃げたのかと思いましたよ」



 早速の嫌味の応酬だ。


 いくら力は封じたとはいえ、所詮相手は淫魔サキュバスである。


 相容れるものでもなく、剣士もまた表面的には礼に則った対応であるが、どこか白々しい。



「それで領主さんは?」



「食堂にいますわ。すでに出立の準備を整えています。今夜は徹夜になるでしょうから、たっぷりと食事中ですわ。もちろん、あなた様もどうぞ。そう、最後の晩餐になるのですから」



「そうだな。だが、誰にとっての最後の晩餐になるかな?」



 こういうやり取りにもいい加減うんざりしていた剣士は、夫人の先導を待たずに屋敷へと入っていった。


 すでに逗留三日目。見慣れた廊下を進み、食堂へとやって来た。


 だが、すぐに異様な光景が目に入ってきた。


 席について先に食事を始めていた領主だが、あろうことか、完全武装であった。


 重厚な全身鎧フルプレートに身を包んでいた。食事中とあって兜と篭手は外していたが、それさえ身につければ一片の隙もなくなりそうな物々しい出で立ちだ。 



「おお、ラル殿、ようやく戻って来たか。いささか遅いので、気を揉んだぞ」



「いや、すみません。あちこち動き回ってまして、思ったより帰るのに時間がかかってしまいました」



 剣士は慎重に言葉を選びつつ、何食わぬ顔で席に着いた。



(そう言えば、“嘘判定”って誰がどういう風にするんだろうか?)



 そんな疑問がふと思い浮かんできた。


 禁令の二つ目で、虚言が禁止されている。


 ゆえに、口より発する言葉に嘘を含んではならない。


 だが、それを誰が判定しているのかが、いまいち分からないのだ。



(まあ、とにかく嘘を避ける。これは徹底しなければ)



 ようやく『試練の山』に踏み入る機会が巡って来たのだ。


 雑木林で出会った『光の盾』の推察では、そこに何かが秘められているのだという。



(魔王の本体でもあるのか、あるいは、聖域を制圧するための何かしらの装置なり、魔法陣なりでもあるかもしれない。だからこそ、踏み入るまでは何食わぬ顔でやりすごさねば)



 平静を装い、目の前に出された食事を口に運んだ。


 美味しくはあるのだろうが、どうにも意識が“警戒感”に盗られてしまい、どうにも味が感じられない。


 今日は何かの鳥のローストで、胡椒も効いており、中々に豪勢だ。


 しかし、味が横滑りしてしまう。


 それほどまでに緊張してはいるのだが、ここで臆していてはすべてがふいになると、必死で心を落ち着かせた。



「それで、今日の散策はどうだったかね?」



 すでに食事を終え、後から食べ始めた剣士を見ながら領主が尋ねてきた。


 何気ないありきたりな問いかけだが、ここからは決してミスが許されない。


 下手な返答は、折角もらった『身代わり人形スケープゴート』を没収される危険を孕んでいる。


 剣士は手元の杯に注がれていた水を飲み干し、まずは気を鎮めた。


 ふぅ~っと一息つき、それから口を開いた。



「例の木こりの爺さんを探していた。結局、会えなかったけどな」



「あの老人は色々と気難しいからな。会える方が珍しい」



「だよな~。前にあった雑木林にも足を運んでみたけど、会えなかったぜ。もう一度、話を聞きたかったんだけどな~」



 そう言って、剣士は腰にぶら下げていた例の斧を机の上に置いた。


 手にした物は申告する事になっており、そのためにこれを差し出した。



「また持って帰って来てしまったのか!?」



「斧だけあって、当人がいなかったんでね。なんか掴んでしまった。まあ、元勇者の装備品だし、縁起物かな?」



「装備品である点はその通りかもしれんが、木こりにとっては商売道具だぞ。無暗に持って帰ってはならん」



「なんとなしに、お守り代わりになるかなと」



「まあ、いい。それはまた元の場所に戻しておこう」



 他愛無い会話。表面的には笑い合い、談笑と呼ぶに相応しいやり取りだ。


 だが、嘘はないし、嘘をつくわけにもいかない。


 これは時間稼ぎだ。安息日の前夜から翌朝までは、『試練の山』を覆う雷雲が晴れるのだと言う。


 山へと出かける時間まで、とにかく余計な会話を避け、ひたすらに喋り続ける。



(とにかく、貰った人形の件を誤魔化す!)



 話している内容も、本当にどうでもいい事だ。


 『剛腕の勇者』に関する事だが、所詮は話題逸らし。相手に下手な事を聞かれないための捲くし立てだ。


 不自然に思われるかもしれないが、他に思い付く手段がない。


 話術が巧みな神官も、あるいは膨大な知識を持つ魔術師もいない。


 この際、素っ頓狂な事で話題を明後日の方向に持って行く武闘家でもいい。


 この場にいてくれたらと思ってしまう。



(この試練からして、その真意も掴めていない。もし、魔族の餌場なのではなく、そうなる以前の状況が分かっていればな~)



 禁令の件があるので、外にある試練の情報は少ない。


 結局、色々と調べ回っても、周囲の樹海を踏破する方法しか分からなかった。



(孤独……。そう、今の俺は孤独なのだ。それに打ち勝つ“勇気”を示せと言うのか、あるいは、仲間を想う事による“協調”を主題とするのか……。全く分からん!)



 人一人でやれる事など限度がある。互いに補い合うからこその、旅仲間パーティーなのだ。


 別れた仲間が一人でもいれば、違う手が打てる。そう思わざるを得ない。



(だが、何よりな……。食っているメシが不味いんだよ!)



 美味しいはずなのに、全く舌にも記憶にも刻まれない。


 仲間の笑い声と共に、料理と酒を流し込む事がどれほど素晴らしい事か。


 最後の晩餐になるかもしれない目の前の豪勢な料理も、実に美味しくてつまらないのだろうかと思わざるを得ない。


 そんなこんなでどうでもいい話に終始しつつ、出された料理を平らげていると、夫人が食堂へとやって来た。



「あなた、山の稲光が収まったようですわ」



「おお、もうそんな時間か。では、再び雷雲が現れる前に試練を終わらせよう」



 そう言って、領主は食事のために外していた篭手を夫人の助けを借りて取り付けた。


 また、置いていた兜にも手を伸ばし、それを脇に抱えた。



「では、そろそろ行こうか、勇者を夢見る者よ」



 領主の言葉を聞き、やれやれようやくかと剣士は安堵した。


 慣れない喋りより、剣を振るっていた方がマシと言わんばかりの態度だ。



「しかし、それにしても、随分と重武装だな」



「むしろ、君の方が軽装過ぎるのだよ」



 剣士も装備を整えているが、領主の全身鎧フルプレートに比べると貧弱だ。


 鎖帷子チェインメイルを着込み、その上から胸甲鎧クラッサと、篭手や脛当てという装いであった。



「俺はどちらかと言うと、防御よりも回避に重点を置いているからな。動きが阻害されないギリギリの重さを考えてある」



「なるほどな。『剛腕』に憧れながら『電光』になるとは」



「あれは真似できない。なら、独自の道を探るってもんだろ?」



「まあ、それもそうだな」



 領主は豪快に笑った。


 だが、目は笑っていない。まるで獲物を見定めたような雰囲気すらあった。


 さて、いよいよ始まるなと、改めて感じる剣士であった。



「そういえば、随分と重装備だが、もしかして試練ってやつはさ、『この私を倒してみせろ!』的なやつだったり?」



「うむ、その通りだ」



 そこでピタリと笑いが止まり、凄まじい気迫と共に剣士を睨んできた。


 その放たれた気は、まさに歴戦と呼ぶに相応しいものだ。


 先程まで温和に話していた領主はどこにもいない。



(いよいよ本性を出してきたか!)



 なにしろ、相手は完全復活前とはいえ、魔王なのだと言う。


 一人で戦うのには、手に余ると言うものだ。



(だが、託されたものの助力があれば!)



 神官から受け取った護符アミュレット夫人サキュバスを封じるために使ってしまったが、まだ魔術師から託されたいくつかの魔法薬ポーションがある。


 また、『光の盾』から渡された『身代わり人形スケープゴート』も健在だ。


 どうにか誤魔化し切れたまま、『試練の山』に赴けそうだ。



「世話になった領主さんが相手だろうが、俺は容赦しないぜ!」



「だろうな。仲間の下へ勇者となって戻らねば、君は嘘つきになる。せいぜい、足掻いて楽しませてくれ」



 そう言うと、領主は踵を返し、部屋を出ていった。


 それを夫人は恭しく頭を下げて見送り、剣士も慌ててそれを追った。


 横目に見た夫人の顔をまさに満面の笑みであった。


 美女に笑顔で見送られるのは悪い気分ではないが、相手が魔族である事を知っている剣士からすれば、死出の手向けとも取れなくもない。


 生きて戻って、その笑みを歪ませてやると意気込みながら、剣士もまた食堂を後にした。

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