第28話 再び雑木林へ
剣士は再び雑木林にやって来た。
しかし、今日は誰もいない事は明白であった。
(一切の音がしないな……。爺さんは留守、か)
前に来たときは二日前の昼であり、その時は老人が木を切っていた。
規則的に斧を振り下ろし、その都度、雑木林の中に軽快で、それでいて頭に響く音を出していた。
だが、今は完全な無音。人どころか、動物の気配すらない。
老人と出会った場所に来ても、やはり音も気配もなく、その姿を確認できなかった。
ただ、老人が薪割りに使用していた切り株と、領主に渡した老人の斧だけがそこにあった。
「ありゃ? 斧はここに置いたまんまか。ってことは、爺さん、あれ以来、ここには来ていないのか?」
てっきり領主が返しに行ったものかと思いきや、ここに放置である。
もっとも、あの領主がこの聖域を占領した魔族の巨魁、
元・勇者を餌に未来の勇者をおびき寄せ、その芽が花開く前に潰してきた。
警戒すべきなのだろうが、剣士にとってはかつての英雄への憧れや敬意の方が強かった。
ついつい、置かれている斧を手に取った。
「……この感触、やっぱりあの斧で間違いなさそうだな。爺さんに会って話そうかと思ったが、やはり無理そうか。まあ、領主が本当に魔王だったとしたらば、すでに罠の中に飛び込んだ
元・勇者という生餌があるからこそ、試練への信憑性を高め、この場を離れ辛くしているのだ。
元・勇者が見ている前で、魔王に背を向けて逃げ出すのか、と。
「さて、これを勇気と呼ぶか、蛮勇と呼ぶか、どちらなのだろうか?」
冷静に考えれば、引くのも一手だ。
魔王に限らず、高位の魔族や竜族を相手に、単騎で挑むなど正気の沙汰ではない。
魔術師や神官の援護があってこそ、戦士はより実力を発揮できる。
だが、剣士は試練(ちゃんと機能していればの話だが)の真っ最中であり、援護を頼めるいつものパーティーメンバーはいない。
「でもなあ、仲間にも爺さんにも、『勇者になる!』って宣言しているんだ。ここで引き下がるなんて事は、端から選択肢にはないんだよ!」
ブォンッっと斧を振り下ろし、剣士は改めて自らに誓いを立てた。
勇者を目指す者として、臆病者にも、嘘つきにもなりたくはない。
それゆえの前進だ。
その時だ。不意に何者かが潜んでいる気配を感じた。
物陰に潜んでいるが、明らかに自分に視線を向けている。そういう感じだ。
「……そこだ!」
剣士は持っていた斧を相手が潜んでいると思われる気に向かって投げた。
クルクルと回転しながら斧は宙を舞い、そして、狙っていた木の幹に刺さった。
同時に何者かが裏側から飛び出した。
暗めの色のフード付きのマントを被っていて正体は分からないが、魔術師の類である事だけは分かった。
なにしろ、飛び出すと同時に、光弾が斧の返礼とばかりに飛んできたからだ。
(神官、魔術師の類いか!?)
術を使っている以上、それは間違いなさそうだが、顔が隠されているので正体は掴めない。
だが、体付きがほっそりし、胸元が僅かに膨らんでいるので、“女”である可能性が高い、と剣士は踏んだ。
(なら、村の奴が仕掛けてきたか!?)
そう考えるのが自然であった。
なにしろ、あそこは
悪夢へと誘えぬのであれば、直接手を下しに来たのかもしれない。
剣士は即座に戦闘態勢へと切り替えた。
「そらよ!」
足下に転がっていた薪を蹴飛ばし、飛んできた光弾にぶつけた。
薪と光弾がぶつかり、薪が盛大に爆ぜた。
バチィンという音が雑木林に響き、焦げた薪が地面に落ちたが、それと同じくして、二の矢、三の矢が剣士に飛んできた。
だが、戦闘態勢に切り替わった剣士は極めて冷静であった。
次々と飛んで来る光弾を、抜き放った剣で叩き落とした。
その剣は淡く輝いており、魔力を帯びたそれである事は見る者が見ればすぐに分かる。
齢僅かに十七歳の若者が手にしていい代物ではない。富豪や貴族の
そんな才気あふれる若者ではあるが、目の前もまた、その類いである事も見抜けた。
(速い上に正確! 相当場慣れしている!)
術の威力はそこまでではないが、何しろ“無詠唱”な上に、“連射”までしてくる相手だ。かなりの腕前なのは明白であった。
しかも、それだけの技量を見せながら、立ち回りは慎重であった。
連射する光弾を浴びせながら、走りながら場所を変え、斬り込もうとする剣士の足下に打ち込んで牽制まで入れてきた。
剣士のような近接戦を行う者と、術士のように遠距離戦を行う者との対決の勝敗は、“間合いの詰め方”に求められると言ってもよい。
要するに、自分の攻撃できる距離で戦えるかどうか、だ。
(が! それは相手も当然
剣士は距離を詰められないでいた。
相手の立ち回りが上手いのだ。
連射される光弾に混じり、足下に転がる小石や薪まで魔力で飛ばし、剣士にぶつけてきた。
当然、それらも防御ないし回避が必要とされる。
剣士は巧みに剣で弾きつつ、周囲に気を配りながらかわした。
それだけに、
様々な条件が剣士の足を鈍らせていた。
聖域内での禁令ににより、殺生は禁じられている。そのため、相手を殺すことなく無力化するか、もしくは“逃げる”事を選択しなければならない。
(しかし、後者は当然、論外だ!)
なにしろ、剣士はこの聖域に来てから、すでに
勇者を目指す者が、臆病風に吹かれて下がる事などできはしない。
いくら事情があったとは言え、四度目はさすがにない。それだけに、引き下がると言う選択肢は取れないのだ。
また、殺すことが禁じられているので、仮に自分の間合いに詰めれたとしても、手加減しなくてはならない。
急所に一撃と言うわけにはいかないので、距離を詰めた際の立ち回りも無力化しつつ殺さない程度に抑えるという、繊細な一撃が要求された。
だが、それ以上に厄介なのは、“この後の事”を考えていたからだ。
(夜になれば山の雷雲が晴れ、試練が課される場所に赴かなくてはならない。ここで負傷するのは差し障る!)
もし、『○○を倒せ!』的な試練であった場合、治癒してくれる神官や、あるいは補助や援護をしてくれる魔術師がいない以上、全てが薬頼りとなる。
そんな貴重な薬を、ここで消耗してもいいのだろうか。こう考えると、立ち回りが慎重にならざるを得なかった。
もし、ここでパーティーメンバーがいれば、どうだったろうかとも考えてしまう。
(武闘家がいれば、どちらかが牽制役になって、もう片方が突っ込むという手が取れる。神官がいれば、多少の負傷を無視してより大胆に斬り込める。魔術師がいれば、防御魔法を展開して強引に距離を詰められる)
一人で戦うというのは本当に面倒だと、剣士は心の中で悪態付いた。
禁令による縛り、勇者にならんとする心構え、今夜始まる試練の事……。全ての状況、条件が剣士にとって不利に働いた。
距離は詰まらず、焦りだけが積もっていった。
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