美しい鱗の人魚と青年が恋に落ちたら

九條

第1話

 珊瑚や色とりどりの魚が見られるほど澄み渡った海に面した穏やかな海域には、人魚が好んで住むと昔から言われている。

 しかし、いつの頃からかその人魚は人間を誑かし襲い食べてしまうと伝わり恐れられていた。

 それなのに、人魚の血肉には不老不死の力が宿る、鱗はお守りになる等と都合の良い事ばかりが謳われている。

 それでも、そんなに美しいのならば会ってみたいし、実際に体験してみたいものだと好奇心の旺盛なヴィルは数人の船乗りを連れて噂の海域までやって来た。

 白菫色の髪が風になびき、海面を照らす日の光で紺碧の瞳が輝いている。

「ここですぜヴィル様、ここが人魚の住む海域です」

 やっと着いたと喜び船乗り達に礼だといって酒を振る舞っていると。

 自分たちの船よりも何倍もある船が近づき突如として大砲を打って来た。

「待て! 止めろ! 僕たちは何もしてないぞ」

 だから何だと大柄な男らは攻撃の手を緩めず船乗りを次々と刺し海の中へ沈め、その刃はヴィルにも向けられた。

 僕の人生はここで終わるのか、こんなにも呆気なく幕を閉じるなんて思ってもみなかった。

 腹部に突き刺さった短剣はそのままで突き落とされてしまったヴィルは、沈みながら男らの嘲笑う顔を薄れゆく意識の中で見ていた。

 そして、海底に沈んだ神殿跡の階段に座り夜空を眺めながら揺らめく月を見ていた人魚が一匹。

 何かが海の中へと落ちる音を耳にした。

 何事かと近づくと、大きな船から数人が小さな船へと飛び移り剣を振り回しているではないか、目を覆いたくなる光景は暫く続き最後の一人が落ちると小型船を爆破させ大きな船は去って行った。

「何て酷い……誰かまだ生きているかも」

 夜は冷たくなる海底はシンと静まり、唯一深海魚だけが光を放っている。

 最後に落とされた人間を引き上げ、小さな洞窟へと連れて行くと人が一人寝れるスペースで肺の中に入ってしまった海水を吐き出させた。

 短剣が刺さった腹部に涙をポタポタと落としゆっくり引き抜くと苦しそうだった表情は穏やかになり効果があった事を示す。

「ここは……っ傷が、塞がっている?」

 薄っすらと目を開き周りを見渡すと、冷やりとしたものに当たり半身を起こした

ヴィルは、水飛沫と共に潜ってしまった何かの揺ら揺らとさせている二つの光に目を凝らした。

「クルル……驚かせテしまっテ、ごめんナサイ」

「お前は何だ? 何だか言葉が」

 チャプンと海の中へと潜ってしまうとまた顔だけを出した。

「リリア、人魚よ……あなたハ、何を食べていルの? パンは好き?」

 月が真上に来た時、月明かりが洞窟にポッカリと開いた穴に降り注ぎ人魚を照らした。

 驚くほど透き通った海水は青く、美しい人魚は鱗と髪に珊瑚の色を蓄え琥珀色の瞳をしていた。

 これほど美しい人魚ならば例え命を取られても惜しくはないが、ヴィルは戸惑いながら「今は水とパンが欲しい」そう伝えると人魚は海の中へと消えて行ってしまった。

 

「お母様は間違ってなんかないわ、人間は優しくて愛しむものなのよ」

 リリアの声に驚き目を覚ました小魚達が海面へと一斉に飛び出すと、豪華な装飾にフジツボが付いてしまった手鏡を掲げ月明かりに当て何処かへ合図を送った。暫くして同じ様にテラテラと明かりが返ってきた。

 リリアが港へ行くと海水に近い階段には既にパンと水の入った革製の水筒が置かれていて、丸いガラス瓶にそれらを入れるとコルクで栓をして洞窟へと潜って行く。

 その様子を岩陰に隠れ見ていた二匹はリリアの後を尾行した。

「ご主人様に伝えよう」

「そうしよう、それがいい」

 洞窟には一人の人間とリリアの姿だけでヒソヒソと囁く二匹の姿は見当たらない。

 二匹は闇夜に溶け込んだかの様に黒く、両目は互いの目を交換したようなオッドアイでエメラルドグリーンと金色に輝いていた。

「リリアの母親は夢見がちだったが、親が親なら子も子だ、痛い目を見せてやろう」

「私たちを虐げた報いだ」

 深海へと潜ってしまえばその姿はすっかり見えなくなってしまった。

 この二匹はメラニズムで生まれ色取りどりの人魚たちとは見た目が違うと言うだけで除け者にされていた。

 そこで人魚の中でもトリトンのお気に入りであるリリアに目を付けた。人間に夢見ているリリアは願ってもない獲物でもあった。

「ちょっとそそのかしただけで、アイツ直ぐに言う事を聞くぜ」

「ククク、疑うって事を知らないなんて好都合だ」


 ヴィルは朝日で目を覚ますと頭上で水面が反射し青く輝き洞窟いっぱいにキラキラと輝く光景はまるで、海の中にいる様で人魚の住む海を羨ましく思った。

 夜の人魚が顔を出しゆっくりとヴィルに近づくと「パンとお水、持ってキたよ」とやはりぎこちない人間の言葉を使い丸い瓶を差し出すと距離を取った。

「キミは賢いんだね、ありがとう頂くよ」

 その言葉を聞くとクルルと喉が鳴り、リリアは頬を赤く染めると目元まで水面に隠れた。

 こっちにおいで、とヴィルが手招きするとキョロキョロと周りを気にしながらも近づいた。

「人魚、怖くない? みんなは怖がるの」

「僕は怖くないよ、助けてくれたでしょ? 凄いね、傷がもう治ってる」

 本当に刺されたのかと疑う程に腹部には跡形もない。人魚の涙には治癒の力があると教えてくれたが、その情報は初耳だった。

「人魚というよりも魔法みたいだ……そう言えば名前、確かリ、リ……」

 リリアだと言うとヴィルも自己紹介をした。

「ヴィルはナゼここへ来たノ? 魚が沢山取レテ海ガ綺麗ってダケノ何もナイ所よ」

「南の国から来たんだ。どうせ旅に出るなら珍しいものに会いたくて途中人魚の話を聞いた。だから一目会いたくてここへ来たけど、大柄な男に襲われてしまったんだ。船の仲間はダメだったみたいだね、弔ってやりたい」

 顔を覆い仲間を想っていると冷たい感触が手の甲に当たった。

 リリアは自分の尾びれから鱗を数枚剥ぎ取り、自身の髪を一本抜くと先程の鱗を通しヴィルの手首に巻いた。

「ちょっ何してるの?! なんで鱗を取って」

「人魚の鱗ハお守りにナルんですって。私のような珊瑚の色ガ一番好まれる。人魚はねミンナ綺麗な色をしているカラ高く売れるの。仲間も捕まって連れて行かれてシマッタ。いつか私も捕まっテしまうのカも」

 僅かに寂しそうに笑うと潜ってしまったが直ぐに姿を現した。

「ヴィル、おウチに帰る? 港まマデ連れて行くよ」

 満潮になると洞窟の入り口は塞がってしまい、出るに出られない。母国へ助けを求めるにはここから出る必要があった。

 途端、美しかった海底から砂が巻き起こり恐ろしい形相をした人魚が現れヴィルへと鋭利な爪を立て襲い掛かった寸前でリリアがヴィルを庇い爪の痕が背中に刻まれた。

 痛みで呻くリリアを抱きしめると血がベッタリと手に絡みつく。

「リリアそこを退け、何故憎らしい人間を助ける、どれだけの仲間が連れて行かれたか忘れたのか」

「ソレを殺さなければ今度は我々が捕まる、お前はどうかしているぞリリア! 死にたいのか」

 人魚の言葉では何を話しているのか全く理解できないが、自分に対して怒っているのは理解できる。

「この人は、そんな酷い事はしない」

「保証はない」

「今宵、月が頭上に昇る時まで待ってやる、始末しておけば許す。殺せ。」

 そう吐き捨てると姿を消し、リリアが浮力を失い沈みかける寸でで抱き寄せ岩場に上げた。

 痛みを堪え息を止めている間も大丈夫だと言うリリアにヴィルはシャツを裂くと傷口に当て止血を施した。

 しなくていいと止めるリリアはまたも人間が勝手に妄想した荒唐無稽な事を口にしてヴィルの中で沸々と怒りが込み上がって来るのを感じた。

「人魚の血は、人間には、毒、だから……」

「人間が言ったの? リリアの血に触れても何ともないのに、可笑しいでしょ」

 リリアの血が付いた手を舐めても鉄の味しかしない、それだけで特に何かが起こる素ぶりは無かった。

「ほら人魚ってだけで何とも無い。僕と同じ血の味しかしないじゃないか」

 ハラハラと涙を流しながら震える手でヴィルの手に触れると頬を染めたリリアの琥珀色の瞳が真っ直ぐにヴィルを見つめた。

「私のために無茶はしないで、ヴィルの事が好きなの。一目で恋をしてしまったの……人魚なのに浅はかだと笑ってくれる?」

 それだけを言うと体を丸め顔を伏せてしまったリリアの頭にキスを落とした。

「浅はかではないさ、リリアは優しくて綺麗だ」


 『人間を誑かし食べてしまう。』


 一体誰が何のためについた嘘なのか、乱獲している奴らなのか。実際にそんな事例があるのか、どちらにせよリリアは違うと自信があった。

「御伽話みたいに人魚も魔法で人間になれるのかな、それともずっとこのまま?」

「……ズットこのままよ、人魚が人間に成レルお話しがアルの? 素敵ね」

 海底に沈んだ何隻もの船から見つけたという宝物をリリアが持って来ると「コレは何?」と質問攻めにあったが殆どが食器だった。使い方を教えるとリリアは瞳を輝かせ喜び微笑ましかった。

「やっと使い方ガわかったわ、ヴィルは何でも知ってイルのね」

「何でもじゃないさ、知っている事だけ。そうだリリアは辛いの、甘いの、酸っぱいの、どれが好き?」

「どれも好きよ、デモ見た目がネ。町の人達が食べてイル物に興味がアルわ」

 ヴィルは壁面に器用に絵を描き今まで食べてきた物を描いて見せた。そのどれもがケーキや焼き菓子だったが祝い事の時しか食べられないと残念がっているのをリリアは笑って慰めた。

「そろそろ行きマショウ、少しの間ダケ息を止めてネ」

 胸いっぱいに酸素を吸い込むとリリアが力いっぱいに洞窟の外を目指し尾鰭を動かすと、美しかった水面が遠のき月明かりが降り注ぐ海面へと顔を出した。

「っゲホっゲホっ! ハっ、はぁ、外だ」

「あそこで黒髪の人が迎えに来てくれているわ、元気でねヴィル」

 岩場の階段を指差しゆっくりと仰向けに泳ぐと夜空に輝く月を手で囲み「綺麗ね」そう微笑みヴィルの頬にキスをすると海底へと消えてしまった。

 柔らかな感触は暫く消えることはなかった。


 リリアの言った通り岩場の階段に人影が見えた。手を振ると同じように振り返してくれる。悪い人ではなさそうだと安堵した。

「大丈夫だった? リリアに助けてもらえてラッキーだったね」

 黒髪を束ねた男はリリアを知っているらしく名をエリックといった。

 漁師なのか体格が良い。

「リリアとは長いの? 他の人魚とは性格がその、真逆みたいだけど、なんて言うか……」

『お人好し』

 思っていた単語が同時に重なり腑に落ちる。

「私もリリアに助けられた一人だからね、あの子に言葉を教えたのは私だよ。キミを助けたって事は余程キミを気に入ったんだね」

「エリックも助けて貰ったんでしょ? 同じじゃないの?」

「さあ? でも私を助けて以降は、安易に近付いてはいけない、人間を簡単に信用してはダメだと教えたのは確かだよ」

 確かに他の人魚も人間を助けるなとか始末しろとか言ってたな。

 夜は冷えブランケットに身を包み肩を摩っても一向に暖かくはならなかった。

 久しぶりの家は暖かく、食べる間もなく眠りに落ちてしまい目が覚めたのは朝日が完全に昇った頃だった。

 母国に手紙を書き自分は無事だと綴り、船員の弔いをしたいともしたためた。

 この町を離れたらまた窮屈な日々に戻るのだろう、考えただけで寒気がする。せめてリリアと出会った事は忘れずに綺麗な思い出として残しておきたい。

「エリックすまないけどこの町に宝石商はあるかな?」

 リリアから貰った珊瑚色の鱗をテーブルの上に置くと光の当たり具合でオーロラらにも輝いた。

「綺麗な鱗だね、もしかしてリリアが?」

「お守りだってさ」

 エリックは口元を手で押さえ何やら下を向きブツブツと呟いている。

「近頃また見たことのない船が増え始めた。そろそろリリアが危ない、あの子は色々と人間の言葉を覚えすぎている。人魚の鱗がお守りになる、なんて馬鹿げた事は教えていない、そんなの人間が商売の為にでっち上げたにすぎないからね」

 観光地としてはあまりにもお粗末なこの町は「穏やか」この一言に尽きるというのに、ここ数日で大きな船が何隻も停泊していた。

 深夜だというのに時折船が出航し一定の位置で止まっているのを見た事がある。

 先ずはリリアの安否を確認するべく海へと急いだ。薄暗くなり岩場の階段へと向かうと石を二回、間隔を置き投げ込む。

「それ何かの合図?」

「私がここへ来た時の合図だよ、ヴィルの時は事前に決めていたから投げなかったけど、リリアは月明かりを手鏡に反射させて合図するんだ」

 指さす方にはエリックの家の窓が見えている、よくできた合図だ。

 しかし何度も石を投げ入れるがリリアは一向に現れず何の応答もない。

 他の人魚が何事かと水面に顔を出しこちらを見ているので「煩くしてすまなかった」と謝りながら海に入って行くのでヴィルは驚いて腕を掴んでしまった。

「離してくれあの船が怪しいんだ。もしもリリアに何かあったら私は助けたい、彼女には助けて貰った恩がある。キミも来るかい?」


 船の入り口には武装した数名が見張りをしていたがエリックは慣れた手つきで首を絞め気絶させると中へと入って行く。

「ヴィルの髪は目立つから帽子だけでも被っておきなよ」

 そう言って投げ渡された帽子をさっと被り、後に続いた。

 見覚えのある人影が二人の横を通り過ぎる時、あの人魚は高く売れたのどうのと言っていた。

「あの男グルかよ、僕たちを刺して海に落としたヤツだ」

「災難だったね。なるほど、キミたちを餌に人魚を誘き寄せる計画だったのか」

 ヴィルはギョッとして聞き返す。

「誘き寄せるって、人間を食うのか?」

「イヤ、殺すんだよ。人魚は人間を憎んでいるからね、乱獲されて年々数が減っているんだからそりゃ誰だって怒るでしょ、リリアから聞かなかったの?」

 憎まれ口は確かに叩かれた覚えがある。



「オイ暴れるな! 折角の商品に傷が入っちまうだろ! 動くなって!」

 珊瑚色の鱗を剥いだ痕からプツプツと血が床に溢れ落ち割れてしまった鱗もそこら中に散乱している。

「クルルル、クル……クルルルル……」

 悲痛な鳴き声が部屋に響くも男は大きな水槽へと人魚を投げ入れると、美しい鱗だけを袋に入れこの部屋を後にした。

 水槽の中に血が薄っすらと混じり視界が濁る。体が痺れ自由が効かず底に沈みながら目の前に見える白い天井だけを眺めた。

 

「リリア、リリアこっちよ」

 声がする方へと向かうとメラニズムの二匹がオロオロとしながらリリアに助けを求めて来た。

「あっちで船が難破してしてまったの、沢山の人間が助けを待っているわ」

「でも私達じゃどうしようもないのお願い、助けて」

 トリトンもみんなもこの子達には近付くなと言っていたけど、人間を助けようとしている優しい子たちだわ。見た目で判断してはダメね。私が、私だけは信じてあげなきゃ。

 暫く泳いだが難破した船は一向に見えず、代わりに大きな船が一隻あり頭上から網が投げ込まれリリアは捕まってしまった。

「っ騙したの!? 信じたのに……なんで」

「あはは! 可愛いリリアあなたは高く売れるわよ、トリトンのお気に入りもこれまでね」

「あなたをくれてやる代わりに私達は自由を手に入れるの、私達を必要としてくれる世界に行くのよ」

 豪華絢爛な服を着込んだ男がメラニズムの二匹に薬を与えると鰭は二つに割れ人間そのものの足へと変わり息を飲んだ。

「私の可愛いブラックエンゼルフィッシュよ、よくやった。私と共に世界を見よう」

 そんな、御伽話のように人間になれるだなんて。

 リリアは大きな水槽に入れられると頭上から鍵を掛けられてしまった。次第に体が痺れて来て泳ぐことさえままならなくなった。

 大部屋には自分の他にも囚われてしまった人魚が何匹も居たが、どの人魚も目が虚でピクリとも動かない。

 次第に恐怖が襲いかかり瞼を強く瞑るといつの間にか部屋は移動され鱗を剥がされたのだ。


「またハズレか、この船は大きすぎて探すのが大変だな」

 エリックとヴィルは部屋という部屋を確認するという気が遠くなる作業を繰り返していたがこれでは埒が開かない。

「何処かに集約されてたら助かるんだけどね」

 向かいから数人の男達が歩いて来た。バレない様に頭を下げ通り過ぎるのを待っていると一人の男が得意げに鱗の話しをし出した。

「見ろよこの綺麗な鱗、珊瑚みたいな朱色は希少価値が高いから言い値で売れるぜ」

「あの人魚は絶対に殺さない様に気をつけろよ? 死んだら折角の金のなる木が勿体無いだろ」

 ゲスな会話が頭の中に酷く響いてヴィルは無意識に手が出てしまっていた。

 エリックが止めに入った時には男達は完全に伸びていた。

「ヴィルもういい! 情報が聞き出せなくなると困る、その辺で止めてくれないか」

 大きく揺さぶり鱗を持つ男を無理矢理起こすとリリアの居場所を吐かせ礼を言って再度気絶させてやった。

 袋の中には随分と量があったが朱色の他にも青や緑といった色鮮やかな鱗が何枚も入っていた。あれらを加工して売り捌くのだろう。

 そして人魚の血肉には不老不死の力が宿っていると謳い刃を入れるのか、何が何でも助けださないと他の人魚らも危ない。

 部屋の一角に大きな水槽がありその中には底に沈み微動だにしない人魚の姿があった。血で濁った水ではよくわからなかったが近づくと姿が露わになりリリアだと確信させた。

 体中に擦り傷があり鱗は何十枚と剥がされ途中で割れてしまった鱗は床に散乱している。

 水槽を優しく叩くとリリアは目をゆっくりと開きキュルルと切なく喉を鳴らす。

「リリア、迎えに来たよ」

 水槽に手を当てるとリリアは手を重ねた。


 ドボンッーーー


 エリックが水槽の中へと入りリリアを抱き上げるとヴィルに渡す。

「私は何かリリアを包めそうな毛布を探してくるよ、あともう少しの辛抱だ。他の人魚も助けよう」

 額に軽くキスをすると出て行ってしまう。

「エリック、ヴィルも来てクレタのね、アリがトウ」

 微笑む顔は安堵して瞳が潤んでいるが手は微かに震えていた。

 これほどの量を剥がされたのだ、怖くてさぞ痛かっただろう。

「こんな時に言うのも何だけど、これ以上誰かにリリアの一部をあげるのが僕は許せないよ、綺麗な鱗に加護の力は無いし。人魚の血肉には不老不死の力も無い。全部人間が作り上げた迷信なんだから」

「いいノそれデモ。ソレで幸せにナレルなら」

「……リリア、僕と恋人になろう」

 突然の告白に戸惑っているとエリックが帰ってきた。

「どうしたんだい? ゆでダコみたいに赤くなって、熱でもあるのかな?」

 ひんやりとした額から大した熱は感じられず疑問だけが残ったが、ヴィルをみるとにっこり笑った顔から察してしまった。

「人間と違って人魚は一生を共にするんだ、血迷った事は絶対にするな」

 エリックはリリアに耳打ちをすると、とても野蛮な対処法を伝授した。

「もしもこの男と別れたい時は……」

「ちょっと、野蛮な事をリリアに吹き込まないでくれる? あと、まだ答えは貰えてないから」

 真っ赤になったリリアはぎゅっと縮こまり手で顔を覆った。

「じゃあ私にもチャンスはあるわけだ」

 見つけたブランケットをリリアに掛けてやるとエリックは鼻歌を歌いながら扉を開け、リリアの朧げな記憶を頼りに人魚たちが集約された部屋へと向かった。

 虚ろな目をした人魚は水槽に入れられ微動だにしない。

「ちゃんと生きてる、のか?」

「全く動かないな」

 扉が勢いよく閉まり船が大きく揺れ出した。

「あーあダメじゃない」

 黒い肌にオッドアイをした二人の少女が背後に立ちニヒルに笑いながら斧や短剣を手にしている。

「あの子たち元は人魚なんです、何かわからない薬で人間みたいになって」

 短時間でこんなにも立ち歩く事ができるのか? もしもこの二人が最初から悪意のある人間と手を取り合っていたら? だとしたら人魚も人間も唆す事が可能で乱獲できた?

「あの人間邪魔よね」

「ええ、やってしまいましょう。ご主人様もきっと喜んでくださる」

 身軽な体は宙を舞い短剣を振り回し、もう一人は斧の重量を用いて振り下ろす。

 水槽が割れ薬品の入った水が溢れ出すと少女達が急に蹲った。

「ぎゃぁあああ! 熱い、熱い! 足が、私の足が……!」

「そんな、何故……あぁあああ!」

 足があった所は泡に包まれ跡形もなく溶けてしまっていた。

 この隙に部屋から出ると甲板には渦中の少女らの主人らしき姿があった。

「まだ完全ではなかったか、すまない私のブラックエンゼルフィッシュたち。さて、その人魚を返してもらおうか」

 この男は絶対に完成していないと知っておきながら投薬したな。

 ヤバい匂いを感じ取ったのはエリックも同じだったようだ。

 掴んでいられそうな所へリリアを下ろすと、先ほど自分たちに振り下ろされた斧と短剣を手に今度は男へと向けた。

「おいおい、本気か? 私はただのしがない商人ですよ? 戦いは好みません、ただその人魚が欲しいだけなんです」

「それはできない相談だな。これ以上この海を荒らさないでもらおう」

 エリックが銀色の笛を咥えると数百もの人々が集まった。

「実は私は海軍の身なんだ。ハロルド、数年前からお前を探していた。人魚を乱獲しては見世物にした挙句売り捌く、極悪非道でありこの穏やかな町を脅かす元凶。ここで幕引きだ」



 違法な取引とこの他にも乱獲をしていたとして規制が入り、この大型船の乗組員共々捕まることとなった。

 またブラックエンゼルフィッシュと呼ばれていた二人の少女は富豪に養子として迎えられ義足を付け生活を始めた。

 リリアを狙ったのはトリトンのお気に入りが気に食わず、挙句、除け者にされていた自分達にも関わらず手を差し伸べたのが偽善にしか見えず、憎悪しか湧かなかったからだと泣きながらに言っていた。


 助け出された他の人魚達と一緒に海底へと戻って行くリリアの姿を眺めながら、何とも言えない虚無感に駆られる。

「人魚との恋はそう言うものだよ。ハッピーエンドで良かったじゃないか。泡になる事も無い、難破した船が沈む事も無い」

「もしもリリアが人間に成れたら、どう思う?」

 何を言い出したのかとエリックは一瞬だけ驚いたが直ぐに答えは出た。

「そんなファンタジーみたいな奇跡はないよ、そういえば以前、言っていた私のリリアへの恩だけどね。私の大切な家族を助けてくれたんだよ、彼女だけが見つけてくれた」

 数日が過ぎ夜な夜な海面へ光を当ててもリリアからの返事は無い。もうこの海域から離れ違う安息の地へと行ってしまったのだろうか。


 空が白みだし陽がゆっくりと昇り温かい風が吹き抜けた。

 トントンと扉が叩かれたが手が離せないエリックに代わりヴィルが開けると赤髪の少女が佇んでいた。

「あ、お、おはようヴィル」

「リリ、ア? リリア?! 何で、足が」

 どうしたんだ? とエリックもやって来るとリリアの姿に驚いていた。

「その、私ね、実は人魚と人間の間の子なの。お母様はトリトン王の愛娘で……水を被るとまた人魚に戻っちゃうんだけど、陽の光に当たっていたらいつでも人間になれるの。つまり水陸両用。こんな私でもヴィルの側に居てもいいかしら?」

「もしかして、返事を返すために? でもそのトリトンは」

「大丈夫、ちゃんとヴィルとエリックの活躍を見てくれていたみたい。全然顔を出せなかったのは治療をして貰っていたからなの、みんなもあれから元気になったんだよ、本当にありがとう」

 目を細め喜ぶ笑顔は眩しくてヴィルは思わず抱きしめていた。

 自分の家を持たないヴィルとリリアはエリックの家で束の間の共同生活を送る事となり、ヴィルは近頃せっせと手紙を書いてはどこかとやり取りをしている。

「ヴィルの母国は南だったかな? 帰るのか一層の事永住するのかそろそろ決めないとじゃないか?」

「それなんだけどさ、ここに永住しようと思って計画中。だったりして」

 目を細め嬉しそうに丘を指差すヴィルにエリックは驚きで開いた口が塞がらなかった。

「あの丘に? キミは一体何者なの?」

「ただのしがない片田舎の青年だよ」


 翌る日の朝刊に『南の国の王子が小さな島を相続した』という見出しが出ていた。

 顔写真はまごう事なきヴィルにエリックは驚きが隠せないでいると、この美しい海と穏やかな町を守り続けるためにも自分が動かないと意味がないのだと、紺碧の瞳は力強い眼差しで町並みを見下ろした。

「リリア、僕と一緒にもっと素敵な所にしよう」

 人魚も人間も関係ないのだから。


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