落ちこぼれ吸血鬼のお世話役

NEINNIEN

一章

第1話

 夕日が差し込む放課後の誰もいない教室、告白するにはぴったりなロケーションの中、僕は今クラスメイトに土下座されていた。


 こんなところ誰かに見られでもしたら、何かしらの方法で彼女の弱みを握り、土下座を強要させていると思われてしまっても仕方ない。

 ただ現実は、手紙で呼び出されたと思えば、名前も覚えていないただ席が隣だというクラスメイトが土下座を始めたというのがものだ。


 頭の中で事実を確認してみても、やはり何故こうなっているのかは理解出来なかった。


「その、出来れば普通に話して欲しいんだけど」


 それは心からの願いであったが、彼女は頭を上げようとすらしてくれない。

 その綺麗な銀の髪が土下座しているせいで、床についてしまっているのだがそれを気にする様子もない。


「お願いします、私に力を貸してください」


 その言葉を聞いて彼女が何を求めているか理解した。

 こういった手合いはたまにいるのだ。


 おそらく彼女がようがあるのは僕ではなく、僕の双子の妹宮地みやじ和加奈わかなのほうなんだろう。

 和加奈は僕と違って有名人であるが故、こうして僕に口利きして欲しいという話が何度か来たことがある。


「妹への口利きとかなら出来ないよ」


 いつものように、否定の言葉を口にする。

 彼女と僕は確かに血は繋がっているけど、ただそれだけだ。

 少なくとも僕はそう思っている。


「そんなんじゃありません。貴方の力が必要なんです!」


 開いた口が塞がらないというのは正にこのことを言うのだろう。


 妹関係の話でないとするなら、何故僕のような人間に協力を要請するのかが謎だ。

 力を貸して欲しいなら他に頼るべき相手だっているだろうに。


 もしかしたらこれは何かしらの詐欺なのではないだろうか。


 可哀そうな女性を演じ、男性に協力を頼みこむ。最初は簡単な頼み事なのだが、最終的には金銭的に困っていると口にする。

 彼女の容姿は整っていたし、詐欺の手口としては十分ありえそうだ。


「ごめん。そういうことなら、自分だと力になれそうにないから、他の人に頼んで欲しいな」


 そうと分かれば、話は早い。こんな場からはさっさと逃げ出してしまおう。

 それに万が一、この一連が詐欺でなかったとしても彼女に力を貸すような余裕なんて僕にはない。

 この場から離れようとした時だった。


「お願いします! あなたしか頼れる人がいないんです」


 そう言いながら、彼女は土下座した体制を崩さないままこちらの進行方向に移動してきた。


 なんだ、そのでたらめな移動方法は。


 途中にあった机などの障害物を吹き飛ばしながら動いたのを見る辺り、相当な力が入っていそうだ。


「別に僕以外でもいいと思うけど」


 それはこれ以上彼女と関わりたくないという本心から出た言葉ではあったが、また事実でもあった。

 本当に困っているようなことがあるなら、わざわざ会話をしたことすらない自分のような人間に頼み込むべきではないだろう。

 もし見知らなぬ人物に頼むのであればもっと実力のある人物を選ぶべきだし、実力以外で選ぶなら普段から交流があり信用できる人物に頼み込むべきだ。


「もし協力してくれないというなら」


 こちらの態度からこれ以上頼み込んでも意味がないと悟ったのか、彼女は顔をあげてポケットの中から棒状の物を取り出す。

 風を切る音が聞こえると、そこにナイフの刃の部分が現れた。

 刃の部分が銀製になっている、珍しいナイフだ。


 もし協力を断ればこれで殺すということか。


「こうします」


 しかし、想像に反して彼女は柄の部分を両手で握り、刃を自分自身の喉元に突きつけた。


「いったい何を……」

「もしあなたが協力してくれないというなら、いまここで私は死にます!」


 頭が痛い、一体何が彼女をそこまで追い詰めているのだろうか。


 よく見れば彼女の手は震えており、そのサファイアのような青の眼からには涙が溜まっている。

 もしこれが演技だとするなら大したものだ。


「分かったよ、僕の負けだ」


 その熱意に負けた。

 彼女が死んだとしても、僕に非はない。客観的に見れば確かにそうだろう。勝手に彼女が死んだそれが事実だ、ただそう割り切れる程、僕は強くなかった。

 彼女の熱意は僕程度の人間にやれる範囲であれば、手伝ってやろうと思わせるには十分であった。


「手伝ってくれるんですか」


 先ほどの表情は何処えやら、喜色満面といった笑みでこちらを見つめてくる。


「ああ、うん。出来る範囲で手伝うから、そのナイフをとりあえず直してから話してくれない?」


 こんな状況では話なんてできるはずがない。

 今度はこちらの言う事を聞いてくれたのか、彼女はナイフの刃を収納した。


「それで、えっと、名前なんだっけ」


 本題に入ろうとする前に、そういえば彼女の名前を憶えてなかったことを思い出す。


「え、憶えていないの?」


 そんな僕の様子に彼女は驚きを隠せないような様子だった。


「うん、ごめん。忘れてるみたいだ、僕の名前は宮地みやじ祥吾しょうごって言うんだけど」

「流石に知ってるわよ」


 念のためこちらから自己紹介しておいたが、彼女は呆れたような表情でこちらを見る。

 同じクラスになって既に三か月も経っている、名前ぐらい憶えてるのが普通か。それにこんなお願いをしてきてるんだ、こっちの名前すら知らないとは思えない。


「私は神場かみば姫乃ひめのよ。もう忘れないでちょうだい」

「大丈夫、今度は忘れないよ」


 出会ってそうそう土下座して要求を断れば自殺するなんて言って来る人物の名前、忘れろという方が難しいだろう。


「それで僕は一体何を手伝えばいいの?」


 断られたら死ぬなんて相当の覚悟を持っていないと出来ない頼みだ、手伝う内容というのもそれ相応のものに違いない。


 もしかしたら一体どんな無理難題が飛んでくるのかと身構える。


「私が進級出来るように手伝ってください。お願いします」


 だが想像に反した彼女の言葉に、再び頭を抱える羽目になったのであった。


 なんで彼女は僕なんかにこんな頼み事をしてくるのか。別に僕はこの学校の校長の息子とかでもなければ、学校に口利き出来るような権力者でもないんだけどな。





「えっと、馬鹿なんじゃない」


 神庭姫乃の話を聞いて出た感想は、それだった。僕の言葉に神場はショックを受けたような顔を作る。

 ……というかもう、馬鹿としか言いようがない。


「座学も実技も駄目って」


 頭が痛くなる。

 どうやら彼女は座学も実技も駄目で進級の基準に満たしていないらしい。


 僕達が通っているのはただの学校ではない。魔物と呼ばれる化け物達が住むダンジョン、そのダンジョンに潜ることを生業としている冒険者を育成する学校、通称冒険者学校、それこそが僕達の通うこの学園だ。


 ダンジョン内では当然魔物達と戦う必要性があるため、通常の学業である座学とは別に実技という項目が用意されている。

 純粋な戦闘や魔法、ダンジョンでの探索技能だとか項目は多岐に渡るわけだが、彼女はその殆ど全ての項目において進学の基準を満たしていないらしい。


 実技の試験が進級のレベルに値しない、言ってしまえばそれは冒険者に全く向いていないということである。


 それでも彼女は冒険者になりたいらしい。

 もうすでに何度か補修を受けているが一切受からないと、そして次の補修試験に落ちれば退学になるらしい。そして次の試験は八日後。

 最終通告をされてしまいどうしていいかわかなくなり藁にもすがる思いで、一応クラスでは成績の良い方である僕に声を掛けたということらしい。


 馬鹿だ、圧倒的に馬鹿だ。

 こういうのもなんだが、冒険者学校の座学なんて大して難しくないし、実技だって最低限度の実力さえあれば進級出来るようになっているというのに。


「……冒険者になりたいんだよね」


 僕がそう尋ねると、神場は大きく頷いた。

 彼女の意思は本気ではあるらしい。


「はあ、分かったよ。協力する」

「本当ですか、ありがとうございます」


 本気だというなら、こちらも協力するしかない。一度言ってしまった手前、撤回するわけにもいかない。もし撤回すればあのナイフが再び出てくるだろうし。

 見た目相応にピョンピョンと飛び跳ねながら、喜びをあらわにする。


「同級生だし、敬語は使わなくてもいいよ。とりあえず、ダンジョンに行ってみようか」


 どちらを教えるにしても、今の彼女の実力を知っておく必要がある。

 座学に関して、テストを作ったりと少し時間が掛る。ただ実技の方であれば、今からでも実力を察することが出来る。

 おそらく彼女の言い分的に相当壊滅的であるだろうし、期限が一週間程しかないこともある。できるだけ早くから動いた方がいいだろう。


「え、今から行くの?」


 初日からダンジョンに向かうとは思っていなかったのか、素っ頓狂な声が帰ってくる。


「そのつもりだけど、なにか用事があった?」

「あ、いえ、その人間は暗くなると余り行動しないと聞いていたので」

「人間は?」


 おもわず聞き返してしまったが、その言葉になんだか嫌な予感がした。

 いや、予感というのは正しくない、面倒な事に巻き込まれてしまったことを自覚したという方が正しいか。


「あ、そっか。私の事知らなかったのよね。えっと私、吸血鬼なの」


 大きく口を開け、人間にしてはよく発達した犬歯を指さしながら言った。


 吸血鬼と聞いてようやく納得がいった。

 彼女の名前を僕が覚えていないといった時驚いていたのはそういう理由か。


 亜人、それは人間によく似た姿形をしている種族のを指す言葉である。亜人の存在自体は別段珍しくはない。町を歩いていれば、獣人やエルフといった亜人達を見ることはよくあるだろう。それに亜人のクラスメイトだって何人かいる……まあ名前は憶えていないけど。


 ただし数ある亜人の中でも吸血鬼だけは別だ。

 彼等は人間の血を餌にしている他、亜人の中で唯一人間を亜人に変えることの出来る存在であるが故に人間社会に溶け込むまで相当長い時間をかけた……らしい。

 まあ、そのあたりの事は正直歴史の教科書で軽く書いてあるだけなので、実際どういった歴史を辿ったのかは分からない。


 ただ実際に現代でも町で見る吸血鬼の数は少ないし、吸血鬼というだけで悪い印象を覚える人間も相当数いるというのが実情だ。


 吸血鬼であるがために、他のクラスメイトに頼むことが出来なかった。

 なるほど、確かに理にはかなっている。


「あ、ちょっと待ちなさい。貴方、私の事を憶えてなかったのよね」


 そして何故だか分からないが、彼女は慌てていた。


「どうしたの?」

「えっと、ということは、一昨日のあれも、私だと思ってなかったってことになるわよね?」

「一昨日?」


 何の話だろうか、全く記憶にない。


「ほら、消しゴムを拾ってくれたじゃない」


 そう言われると拾ったような気もしてくる。

 ただもし誰かに拾っていないと言われてしまえば、吹いて消えてしまうぐらいの自信ではあるが。


「拾ってくれたたのよ! でも、私は吸血鬼なのに嫌な顔一つしなかったから、吸血鬼に偏見がない人だと思ってたのに」

「ああ、なるほど」


 その一連の流れは全く覚えていないが、ここでようやくなぜ自分だったのか納得がいった。

 たかが消しゴムを拾った程度で、とは思うがそう考えてしまう程彼女も追い詰められていたんだろう。


「大丈夫、吸血鬼だって分かって協力を辞めたりしないから。それぐらいで辞めるならそもそも協力するなんて言わないよ」

「本当に?」

「当たり前だよ、まあどれほど力になれるかは分からないけどね」

「……ありがとう」


 こうして僕と神場の長い付き合いは始まったのであった。


 たかだか隣の人が落とした消しゴムを拾った。

 その程度で、これから先の人生が大きく変わることになるとはこの時の僕は知る由もなかった。

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