日陰の彗星
春原よいち
白銀
困った、と渋谷ギンジは思った。
目の前には三日前が提出期限だった英語コミュニケーションの課題。元からあるのかないのか怪しかった彼のやる気はゼロをとっくに下回っていた。
成績は考えたくなかった。深海でどれだけ藻掻いても、溺れるだけなのだ。終わらない悪夢。なんだか全部面倒になった。
彼はツイッターを開いては閉じてを繰り返した。どうしようもない気持ちを抑えたかった。無意味になりたかった。流れる文字を追う気力すら出てこない。脳がうまく働かない。回転式の椅子がキリキリ音を立てる。
彼は、これでも中学までは勉強のできる方だった。地頭の良さもあってか、何もしなくても上位層に入れていた。クラスメイト全員がバカに見えていた。
だが高校に上がった途端に何も出来なくなって、長年付き合ってきた友達が別の環境に染まってしまい、僕の知っている君はいなくなってしまったのだ、と感傷に浸る物語の主人公のような気持ちになった。多分。
何せ彼には友達がいない。レクリエーションの類や世間話、スポーツなどが滑稽に見えて、物心ついたときから端っこで体育座りで眺めているタイプの人だった。
だから友達という存在の解像度が極端に低かった。家族とネット上の浅い繋がり以外の人間関係しか持っていない彼には、現実味の有無すらわからない。
変わらないのは、人との繋がり、団結、絆などという馬鹿馬鹿しいものはいらない、という捻くれた思想だけだった。
それでも彼は休日が嫌いだった。自由に縛られてしまうから。
平日は、彼の机を中心としたせいぜい半径数十センチが彼の居場所だ。その中でやることといえば、本を読むか、音楽を聴くか、寝たふりをするか、それくらいだ。その時の気分で三択を選んで七時間の拘束に耐えればいいだけの簡単な作業だった。
だが、休日となればそうはいかない。こぢんまりとした金魚鉢に落ち着いていたのに、急に大海に放流され、自由に動いていいですよと突き放されるようなものだ。自由の使い道すら知らずに。
与えられ過ぎた自由は、焦燥と苦痛の時間として消費されていくだけだった。
携帯の通知音。
大昔に小説サイトに投稿した作品への反応だった。そういえばそんな活動をしていた頃もあったな、と微笑んだ。
インターネットを介して人の温もりを感じられた気がして嬉しかった。
ペンネームは「氷川白銀」だった。ふざけた名前だ。
彼は十一月の曇り空のような、コンクリートの冷たさのような、メランコリックな文章が大好きだった(某教団や某帝国の著者、と言えばわかりやすいだろうか)。
暗い半生を送ってきた彼はそれらにどことなく共感ができ、一種の運命を感じる作品だってあった。
だから「氷川白銀」は、彼らの二番煎じのような作品ばかり世に出していた。いや、二番煎じとは聞こえが悪い。リスペクトしていた。
正直彼には群を抜いた才能があるわけでもなかったし、ユーザーに読まれやすい転生モノやホラーが書けるわけでもなかった(それはプライドが許さなかった)。
だが高校に入ってからでも勉強なしで成績上位を取り続けていた国語への信頼は無駄に厚く、いざとなればこれで食っていける気もしていた。
勉強する気もなかったので、中学の頃は健全な交友関係も作らず、大好きな執筆に打ち込んできたのだ。
これが裏目に出て今の現実があるのだが。
高校に入ってからは、一切執筆をしなかった。勿論入学当初はやる気があったのだ。きっとより良い作品が書けると思っていた。
そこそこ偏差値の高い高校に入ったが故にギリギリで合格した自分よりずっと頭の良い人や才のある人が目に入り、劣等感や無力感が募っていってしまっただけで。そのうち自分には何もないのではと気付き始め、そんな現実を認めないために防御本能に身を任せ「行動」から逃げ続けていただけで。
「氷川白銀」の、最後の投稿は五か月前だ。同じ界隈で絡んでいた人も数人いたが、彼の存在などとっくに忘れ去られているだろう。
だが、無名でも「小説家」であった自分が懐かしく、今の何者でもない自分からするとなんだか羨ましい。
「宿題は後でいいか……」
彼の中の「氷川白銀」が息を吹き返した。
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