第13話 悪役令嬢は闇属性
風属性の犬型の幻獣が遠ざかっていく。
散々叫んでいるのに、フレイヤの呼び声にあの方は振り向きもしない――。
「……なんでなの」
その姿が木立の中に消えた瞬間、フレイヤは呟いた。
ずっと努力してきた。テネブリス公爵家の娘としての教養・礼儀作法・美容はもちろん、ボガーレ王国を支える名門召喚士の家に生まれた者として、召喚術の勉強にも真面目に取り組んできた。
テネブリス家が得意とするのは、闇の精霊と呼ばれる、人から恐れられる精霊たちの召喚だ。ゆえに、テネブリス家も、そしてフレイヤ自身も人から恐れられてきた。フレイヤには一族の者がこぞって絶賛するほどの召喚の才能があったから。
呪いや決闘などで人を傷つける精霊に好かれる。彼らは大抵の場合、血にまみれていたり、恨めしそうな顔つきをしていたりする。
――嫌で仕方がなかった。
才能がまったくない、弟のようであればよかった。
風や水、花などに縁が深い、美しい幻獣を呼び出す友人たちがうらやましかった。
ドワーフやレプラコーンなど、人の役に立つ物を作り出す、優しい幻獣を呼び出す人たちに憧れた。
中でも一番惹かれたのが、神々しいほどに鮮烈な炎をまとう召喚獣を呼び出す、ラグナル・ガードルードだった。
『大丈夫ですか』
幼い日、自邸の使用人たちに陰口をたたかれているのを聞いてしまい、フレイヤは悔しさのあまり『赤帽子』を召喚してしまった。
人を見るなり襲い掛かるそれを見せて、身分低い彼らに少し思い知らせてやるだけのつもりだった。なのに、赤い帽子をかぶった老人の姿をした召喚獣は、フレイヤの制止を振り切って、斧を振りかざし、使用人たちに襲い掛かろうとした。
騒ぎに気付いて、誰も傷つかないうちにその赤帽子を止めてくれたのが、その日、父親のガードルード公爵と共にテネブリス公爵家を訪れていた彼との出会いだった。
彼が赤帽子を止めるために召喚したのは火の蜥蜴『サラマンダー』、そして、この世にもあの世にも行き場がない、カブを被った火と闇の精霊、『ジャックオランタン』だった。
彼はまずサラマンダーにより赤帽子の周囲に炎の壁を巡らし、動きを封じた。そして、後で『闇属性の赤帽子を落ち着かせるためには最適かと思って』と口にしたとおり、興奮する赤帽子の周囲にジャックオランタンをゆらゆらと飛ばし、その気を逸らして精霊たちの世界に連れ帰ってくれた。
『ラグナルさまは火の精霊だけでなく、闇の精霊もお使いになるのですね』
『はい。水だけはまだちょっと難しいですが、他に風や木の精霊の友人もいます』
『友人? 召喚獣のことですか? 変わった言い方をなさるのですね』
その瞬間、彼が戸惑ったような顔をした。同じ年なのにそれまで大人びて見えていた彼が、途端に幼くかわいく見えて、くすくすと笑ってしまったことを覚えている。
彼がもたらす召喚獣の火は、フレイヤの召喚獣の闇をものともしない。何より、彼はフレイヤの召喚獣たちを気味の悪いものを見る目で見ない。だからフレイヤとも普通に接してくれる――それからフレイヤは、なんとか彼に近づこうとさらなる努力を始めた。
行くつもりのなかった王立召喚学校に入ったのも、彼がそこに入学すると聞いたからだ。彼の実力と家柄を考えたら、絶対に行くはずがないと思っていたから、その話を聞いてフレイヤは舞い上がった。学校で彼と共に学ぶ。そうすれば、親しくなることができる。
なのに――彼の横にはいつもあのイシュカ・ヴィーダがいた。
ガードルード公爵家とヴィーダ子爵家に交流があることは知っていた。身分差著しい両家の交わりが母親同士の血縁によるもので、そこの兄妹とラグナルがまるで血のつながった本当の家族のように一緒に遊んだり、出掛けたりしていることも。
そのうちの特に親しいという妹のイシュカ嬢について、フレイヤはどんな子だろうとずっと思っていた。
テネブリス公爵家とヴィーダ子爵家では、身分も格も違いすぎる。だが、場合によっては仲良くしてあげてもいい。そうすれば、ラグナルと親しくなるきっかけになる。
そう思って臨んだ入学式で、フレイヤは初めてその子を見、早々に付き合いを諦めた。
冴えない子だった。本人は能天気に銀と言い張るが、灰にも白にも見える中途半端な髪は、さらにみっともないことに青や緑の筋が混ざっていてまだら、顔立ちにも取り立てた特徴はない。
立ち居振る舞いを見る限り、作法を知らないわけではなさそうなのに、身の程を弁えておらず、フレイヤなど高位貴族や、高名な召喚士を身内に持つ生徒たちに囲まれるラグナルのそばから離れようとしない。
しょっちゅう変な黒い鳥を連れていて、皆から気味悪がられているのに、気にする様子もない。
ラグナルが彼女のふるまいを咎めようとしないことも、それどころか彼女と話したがっているようだったことも気に入らなかった。
フレイヤだけでなく、他の子もそう思ったらしい。皆口々に彼女に嫌みを言い始める。
が、まったく響かず、言ったフレイヤたちの方が逆にラグナルに咎められる有り様だった。
そうしてフレイヤは、イシュカ・ヴィーダへの嫌悪と侮蔑を持って、最初の授業での自己紹介を兼ねた実力試験――召喚術の披露を迎えた。
実力がなければ呼べず、かつ恐ろしいとまでは思われない幻獣として、フレイヤが選んだのは、浅黒い肌と金色の髪、ヤギの下半身を持つ、女性型の幻獣『グラティシュグ』だった。主に男性を誘惑し、その血を飲む性質のあるものだったが、あの美貌があれば、ラグナルにも同級生達にも引かれることはないだろうと。
事実その通りになった。もっとも彼の隣のイシュカ・ヴィーダが興奮を露わに、いかに『グラティシュグ』が珍しく、すごい存在かについて、それを召喚したフレイヤを含めて、褒め称えたせいであったかもしれないが。本当におかしな子だった。
ラグナルが呼び出したのは、あのサラマンダーだった。出会いの時よりはるかに大きく、美しくなっていた。再会のこの場で、それを見せてくれたことに運命を感じて、感慨に浸れたのも束の間、その次、最後がイシュカ・ヴィーダだった。
四方を取り囲むように階段状の観覧席が設けられた、石造りの召喚の間。
そこに立ち、杖を床に下し、深呼吸するなり、彼女は歌い始めた。
とても美しい歌声だった。彼女を嫌うフレイヤが聞きほれそうになるぐらいに。しばらくして、それが彼女の召喚呪だと気付いて、フレイヤは唖然とした。
観覧席の皆が顔をしかめてこそこそと話し始める中、イシュカは楽しそうに踊りながら、召喚陣を描いていく。それもまたまったく見たことのないやり方、そして紋様だった。
「これがヴィーダの召喚術か……」
とまだ若い教授がつぶやく中、完成した陣が開き、そこから金の光をまとった翼ある乙女が現れる。
震えるほど美しい存在だった。陽の光のような髪に、透き通る肌、バラ色の唇、優しい空色のまなざし――あんな精霊に好かれたいという、フレイヤの憧れそのものだった。
周囲で先ほどまでイシュカの悪口を言い、嘲笑っていた同級生たちも、一様に口を噤み、呆けたようにイシュカの召喚獣を見つめている。
(なんであんな綺麗な幻獣が、あんな子に……)
「……っ」
唇を噛みしめるフレイヤの視線の先で、その乙女はにこにこと笑うイシュカに柔らかい微笑を向けた。とても大事な友人にするかのように。
「っ」
血の味が口内に広がっていった。
(そうだ、ラグナルさま――)
彼もだろうかと蒼褪めながら、憧れの人を見れば、彼は同じ光景を見ながら、微妙に顔を引きつらせていた。その様子にほっとしたのも束の間、彼は指で小さな召喚陣を描き、イタチのような幻獣を召喚する。
「?」
それが彼の頭の周りを一周し終えるのと同時に、天界の調べそのものという歌を乙女が口ずさむ。
フレイヤの入学初日の記憶は、そこで途絶えた。
「ヴィーダそのもの」
ラグナルと祓霊の名門エクシム家の令嬢を残して、教授を含めた全員を眠らせたイシュカには、入学その日にそう烙印が押された。
ボガーレ王国建国の功績者の一人を祖先に持ち、召喚能力だけは高いものの、呼び出した幻獣をまともに扱えない、落ちこぼれ家系。
幻獣を融合する術を持つなどという噂もあるけれど、一方であのヴィーダ家にそんなたいそうなことができるわけがないという人も多い。
イシュカはヴィーダ家の噂をそのまま体現するような子だった。
あの美しい『微風の乙女』も彼女の召喚獣ではないそうで、
「私、幻獣と契約、できないの」
と本人が言っていた。
召喚できても契約も結べず、それゆえ使役できるかどうか、その時々でないとわからない――召喚士としては落ちこぼれもいいところだった。
しばらくして、あれほど親しかった彼女とラグナルは疎遠になったのは、それが理由だと言われている。学校で過ごすうちに、イシュカ・ヴィーダには問題があると、ラグナルも気付いたのだろうと。
だが、フレイヤは知っていた。距離ができてなお、イシュカもラグナルもお互いを大事に思っている。二人ともお互いをよく目で追っている。
フレイヤにとって大事な思い出だった、あのジャックオランタンも多分イシュカゆえのものだった。ハロウィンの夜、闇の精霊たちの気配が漂う中、ラグナルがこっそりイシュカのまわりへとあれを飛ばして、大喜びさせているのを見てしまった。
闇の精霊をやたらと見たがっているあの子のことだ、元々彼女のために呼び出し、契約したのかもしれない。そう思いついてしまった。
面白いわけはなかったが、立場が違うのだから、これ以上彼らが接近することはないと思って静観するつもりだったのに、ここにきて、また二人は距離を縮め始めた――。
「……なんでなの」
ラグナルがイシュカを連れて消えた森を睨みながら、フレイヤはもう一度呟いた。
デュラハンが沈み込んだフレイヤの顔を覗き込んでくる。首もないくせに、と思うと腹立たしい以外の何物でもなかった。しかもその場所には、生々しく血が流れていて、ひどく忌まわしい。
周りもそう思うのだろう、いつも媚びてくるクラスメイトたちがフレイヤを遠巻きに伺っているのが分かった。
「――消えなさい」
役を解除すれば、闇の精霊はまるで蒸発するかのように立ち消えた。
日の光の中に呼び出したせいだろう。負担をかけた、悪いことをしたと思うのも確かなのに、あのまま消滅させてやればよかったとも思ってしまう。
「私はこの先を見てきます」
「あ、え、そうですね、ラグナルさまが確認なさっていたぐらいですから、何かあるのかも」
「で、では、私たちは引き続き湖を……」
目が合い、慌てて逸らした同級生たちを見て、小さく唇を震わせると、フレイヤは踵を返した。
「目くらましにも気づかない無能のくせに……」
おそらく誰かの召喚獣によって設けられたのであろう、霊力の幕の向こうで、フレイヤは毒を吐き出した。
「昨日、『闇梟』に襲われた時だって私が助けたのに。探査試験だってほとんど私がやっているのに」
ぶつぶつ呟きながら、ずんずんと歩いていけば、ふと、『すごい、カッコいい!』とデュラハンを見て目を輝かせた、先ほどのイシュカが思い浮かんだ。
「……あの子、本気で精霊馬鹿だわ。あんな気持ち悪い、首なしの騎士を見て、あんなふうに喜ぶなんて」
就学の日以来、毎回そうだ。あの子だけはフレイヤの呼び出す闇の精霊に、他の精霊にするのと同じように話しかけてくる。
「……絶対に馬鹿。そうに決まってる」
鼻の奥がつんとしてきたのを止めようと、フレイヤはこの世で一番嫌いな同級生に八つ当たる。
「ここかしら……」
行きついた場所は、そこだけ不自然に開けていた。冷え固まった溶岩と、人の意思によって切り出されたと思しき、大きな白い石の塊以外には何もない。
その奥には湖、さらに向こうに火の山が見えた。
(界境があるか精霊がいるかだと思ったのに……ひょっとして幻覚を使う精霊とか?)
きょろきょろと周りを見回しながら進んでいけば、何かが足にあたった。白い小石だ。蹴飛ばしてしまったらしい。割れている。
「……」
何の気なしに、そのすぐそばにあった別の石を持ち上げ、しげしげと眺めた。よく見れば、同じような石が並んでいる。何かの模様となっているようだ。
「……、っ、デュラハンっ」
なぜかはわからない。その瞬間、背筋がぞくりとして、フレイヤはざっと指で陣を描くと、自身が契約する精霊のうち、最も強いそれを再度呼んだ。
中空がゆらりと歪み、開く。その向こうに暗闇が見えた。
(早く、早く来て)
怯えながら周りを見回すも、何もない。それこそが恐ろしい。
「っ、なんでっ」
精霊たちの世界からこちらの世界に、デュラハンの馬が足を踏み出した。その瞬間、陣ごと、召喚獣の気配が消え失せる。
「……っ」
そこから離れなさい――首なし騎士がそう言っていた気がして、フレイヤはもつれる足を叱咤して、元いた場所へと駆け戻る。先ほどの石を握り締めたまま――。
その背後、白い石の祭壇の遥か向こうで、火の山の底が小さく、小さく震え始めた。
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