あの星が落ちるまで
牛本
あの星が落ちるまで
あの星が落ちるまであと一時間。
それを聞かされたのは、学校で化学の授業を受けながら、暇つぶしに窓から外なんかを眺めている時のことだった。
学校の裏門の方に、サビかけた貯水場のようなもの発見したのとほぼ同時刻。
『あと一時間で、この学校に星が落ちて来ます! 今ならまだ間に合います、避難してください!!』
そんな校内放送が流れ、最初こそ笑っていたクラスメイト達だったが、窓の外を見てからその空気が一変したのを覚えている。
まるでリトマス試験紙のように、赤みかかっていて血色の良い健康的な肌の色がら、アルカリ性のなにかしらに触れてしまったようにサアッと血の気の引いた色になり、我先にと教室から出ていくクラスメイト達。
その様子はパニック映画さながらの様相を呈していて、利用したことはないが4Gの映画館ならこんな感じなのかなあ、なんて思ったものだが――実際、そんな状況なのだから、彼らの反応は正しいのだろうと思う。
僕はと言うと、そんな正しい行動を起こすクラスメイトを横目に見ながら、その場から動くことはなかった。
それに、誰かがそれに気が付いた様子もなかった。
あったとしても、そんな状況下において僕を連れ出そうとするほどの関係を築いている人なんて、いないのだけれども。
だからこそ、逃げようと思えなかったのかもしれないなんて、今更ながら思う。
チラッと、教壇の上の辺りに掛けられている時計に目を向ける。
こんな状況だと言うのに、水に浸かったリトマス試験紙のように、顔色ひとつ変えずに正確に時を刻むそれによれば――既に、放送から五十七分が経過しようとしているようだ。
「……あと3分、かぁ」
三分と言えば、カップラーメンが出来上がる程の時間しか残っていない。普通の人ならば、食べる時間は無いだろう。
僕なんかはお湯を入れて2分で完成させてしまう為、三口くらいはいけるのではないだろうか。
まあ、そんな下らない話は置いておいて。
教室の後方、廊下側の壁際の席に座っている僕は、窓際にチラリと視線を向けた。
そこには、一人の女子生徒が座っているのが見える。
長く艶やかな黒髪は夜空を思わせ、陶器のように白く滑らかな肌とのコントラストなんかは、知らず目を向けてしまう程に綺麗なものだ。
彼女は、星さんという。
彼女はクラスどころか、学校のマドンナ的(言い回しは古いが)な存在だと思う。
特別な関係なんかは当然のようになく、許嫁でも幼馴染でも何でもない、本当にただのクラスメイト。
仮にこれがドラマや映画なんかだとしたら、こんなドラマチックな展開にこのキャスティングは大失敗間違いなし、最悪の駄作が出来上がること請け合いだ。
しかし……しかしながら。
分不相応ではあるものの――僕が密かに思いを寄せている人でもあった。
最早、その思いを伝えることはないのだけれど。
「……」
「……」
お互いの存在は認識しているはずだが、彼女は何も言わずに、ジッと窓の外で燦然と光を放つソレに目を向けている。
僕はたまらず、声をかけた。
「あっ、あの……星さんは……そ、あっ……流れ星に何か願い事した?」
大失敗だ。
すこしロマンチックなことを言おうとして、色気のいの字も感じられないようなこの失態。
僕の顔は、恥ずかしいやら死にたいやらで、酸性アルカリ性を繰り返す。
あの星が落ちてくる前に死んでしまいたくなるとは、思ってもいなかった。
「……貴方は?」
僕が末代まで(つまり僕なのだが)の恥に脂汗を流していると、そんな声が聞こえてくる。
まさか返事を貰えるとは……そして格好つけたくて言ったが為に、何も会話を想定しておらずに狼狽える。
絶望的なまでのコミュニケーション能力の低さに、涙やら尿やらが出そうだ。
二つとも出たら、ちょうど中性になっていいかもしれない。
「え、僕? 僕は……えっと、はは、星さんと一緒に死にたい、とか?」
言ってから、とんでも無いことを言ってしまったことに気が付いて、視界がブラックアウトしそうになった。
なんてやつなんだ、僕は。
これじゃあ、ただのキモいやつなんじゃないだろうか。
普段は陰キャとして……少しキモいだけの人畜無害な男として過ごし、最後は派手にキモく散るのだろうか。
僕はそんなことを考えながらがくがくと震えていたわけだけれど、彼女は少し驚いたような表情をして、まっすぐと僕の方を見つめた。
「え、何て言った?」
「え、あ、ああっ! あっ……星さんとゲームでもっ……したかった、なアっ! なんて!?」
どうやら聞こえていなかったようだ。
助かった……という想いと同時に、少し虚しい気持ちにもなった。
今思えば、最後の最後で思い切って告白したようで、少しカッコよかったような気もしなくもない。
まあ、冷静に考えればそんな訳はないのだが。
とにかく、これまたよく考えれば分かることだが、大してキモさの変わらない言葉を吐いて僕のターンは終了だ。
僕の言葉が今度はハッキリと聞こえたようで、しかし今度はどこか不満そうにしながらも彼女は頷いた。
「……そっか」
「う、うん。そう……それで……星さんは?」
「…………」
「…………」
暫くの沈黙。
「……なんだと思う?」
「……え、もう、あと二分くらいしか残ってないよ」
彼女は、意外とのんびり構えているようだ。
僕はそんな彼女に、張り詰めていた緊張が少し解けるのを感じた。よく考えなくても、どうせ後二分の命。
僕基準でカップラーメンを作っても、もう啜ることは叶わない。
そんな風に、余計なことばかり考えている僕を見て、彼女は何を考えているのかが窺えないような表情で口を開く。
まあ、人の顔色を見て心情を察せる程、コミュニケーションが高いつもりはないが。
「ねえ、こっちに来なよ」
「え? あ……うん」
彼女に見つめられてそんなことを言われた僕だったが、不思議と、緊張はしなかった。
僕は席を立ち、星さんの後ろの席に座った。
そこからは、よく星が見えた。
「……星、綺麗だね」
「私?」
「え? ……はは、そうだね」
こんな状況なのに、ジョークを言うんだな、と妙に感心してしまう。
でも実際、こんな至近距離で見たのは初めてなのだけれど、星さんの横顔は驚くほどに綺麗だった。
「綺麗だと、思うよ」
その言葉は、いつの間にか口をついて出てしまった言葉ではあったけれども、紛れもなく本心だった。
僕の言葉に、星さんは驚いたような表情をした後、小さく笑った。
「ふふ、冗談だよ。でも、ありがとう」
「僕は、本気だけどね」
「…………」
「…………」
少しの沈黙の後。
「…………ねえ、最初に貴方が言った願い、少し嬉しかったよ。少し、もの足りないけど」
僕が、その言葉の意味を咀嚼しきる前に、星さんが、口を開く。
心なしか、その頬は赤みがかっていて……。
「もう、どうやったら気が付くの、貴方は」
「え?」
時計の秒針が、一周する。
星さんが、僕を向いた。
彼女は泣きそうな顔で薄く微笑んで――。
「――――――――――、―――――――――」
そう伝える彼女の顔を見て、僕は息を飲んだ。
彼女の瞳から、涙が零れる。
その涙は、星の光を浴び、輝いていた。
僕は……彼女の言葉に応えることが出来るのだろうか。
星が落ちるまで、あと30秒。
僕は彼女の小さな手を引いて、駆け出した。
もう間に合わないかもしれない。
間に合うハズがない。
「ねえ! どこに行くの!」
「星さんの、願いを叶えられるかもしれないところ!」
星が落ちるまで、あと10秒。
息が詰まる。
呼吸が出来ない。
心臓が痛いくらいに、早鐘を打っている。
もっと早く、こうしていれば……なんて考えている余裕はない。
「どこなの、そこ!」
「学校の、裏! ……の、あそこ!」
星が落ちてくるまで、あと5秒。
学校の窓から外を見ると――そこには茜色に染まった夕暮れの空と、赤く輝く星が見えた。
絶望的な状況だ。
だが、そんな絶望。
僕の隣で、僕の目を見つめている存在の願いの為なら――。
「あの星が……落ちたとしても――ッ!!!」
勢いよく、学校の窓から飛び出した。
地面までの距離は10メートル弱。
落下地点には、学校の傍の貯水場が見える。
「う、うぁああああああ!?」
「きゃぁあああああああ!?」
僕たちは、叫びながらも、お互いをきつく抱き締め合っていた。
数秒後、水の中に飛び込んだ「どぷん」という音と同時に、遠くで星が落ちる音がした。
すぐに訪れた衝撃に全身を激しく打ち付けながらも、僕は決して彼女を離そうとはしなかった。
僕は薄れていく意識の中で、腕の中にいる彼女のことを想う。
――星が落ちるなんて話だったけど。
――実際に、星は落ちたけれど。
――でも、本当に落ちたのは。
――落とされたのは。
――星なんかではなく。
――僕だったみたいだ。
星が落ち、崩壊した学校跡地で、二つの声が響く。
「――あの時は、まさか助かるとは思っていなかったけどね」
「――そうだね。奇跡的に助かったとかって騒がれて、大変だったよね」
どこか懐かしそうに話す二人。
その声には、深い想いが込められているようだった。
「僕は、独りだったら助から無かったと思うんだ。助かる気も、無かったけれど」
「……そうだね。私がいて、良かったでしょう?」
そう言って、女はいたずらそうに笑う。
男は困ったように笑って頬を掻いた。
「はは、そうだね」
「……なんてね。私も、あなたが居なかったら生きてなかったと思うよ」
「……そっか」
「……ところで、あなたはなんであの時逃げなかったんだっけ?」
「うーん。あんまり覚えていないけど……僕は独りだったから」
「そう? ……じゃあ、今星が落ちてきたら、どうするの?」
「そりゃ逃げるさ。君達と」
そういうと、2人は、静かに見つめ合う。
「……ふふ」
「……はは」
心地のいい沈黙が訪れる。
しかしその沈黙は、そう長くは続かなかった。
「あ~~~っっ!!」
そんな声と共に、遠くからステテテー! と走って来た小さな存在が、二人の間に飛び込んでくる。
「またママがパパとイチャイチャしてる!」
「ふふ、いいでしょ。意気地なしで朴念仁のパパを落とすのは大変だったんだよ?」
その言葉に、男はぐっと食らったようにふらついた。
そんな父の様子に不思議そうにしながらも、娘は自信ありげに胸を張る。
「簡単だもん! ねえ、パパ! 帰ったら一緒にゲームしようね!」
「えー、ママも一緒にやる。ね、パパ?」
「……ははは、分かったよ。じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「ふふ、そうだね。……あ、そう言えば、今日流れ星が見れるらしいよ?」
「えー! 見たいみたい!」
「何かお願いしたいことあるの?」
「うん、あのね! ――――…………」
そう言いながら歩いて行く三人の背中は、本当に幸せそうで。
奇跡によって紡がれたこの家族が離れることは、決してないのだろう。
そう、例え――星が落ちたとしても。
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