婚約破棄を受け入れて本当によかった
@anaguramu
婚約破棄を受け入れて本当によかった
「アリアナ・フェーベル! そなたとの婚約を私は破棄する!」
栄えある王国の貴族子女が通う学院の卒業パーティの真っ只中。金髪、碧眼の見目麗しい青年である王国第一王子アレク・ユガラートは壇上からそう叫んだ。突然の大声に場の視線は一斉に彼に向かい、そして・・私に向かった。人が割れるように彼の前に道が出来、私と彼は真正面から向き合う。
「失礼ですが殿下。ここはそのような私事を宣言するような場所ではございません。それに、私との婚約は陛下と我が父が交わしたもの。私たち自身にどうこうする権限はございません」
私に対して責めるような目を向ける殿下に対して私は落ち着いた口調で事実のみを伝えた。今は学院の卒業パーティの真っ最中。これまでの日々を惜しみ、そしてこれからの展望を語り合うめでたい場所。決して婚約という私事を高らかに言うような場所ではないのだ。婚約にしたって我が家と王家が結んだもの。家の当主でもない我々が好き勝手にできるものではない。
「ふん! そのように言い訳をしても私はお前を逃がしはしないぞ!」
私の諫言を鼻で笑った彼は訳の分からないことを話し始めた。そして彼は私から目を離し、人垣の中に向かって手招きをした。人垣から出てきたのは私をひどく嫌う男爵令嬢で彼女は殿下に見えない角度で私に勝ち誇ったような笑みを浮かべたあと、殿下の横に並び立った。彼女の肩を包み込むように片手で抱き、殿下は私に大声で言い放つ。
「アリアナ! お前は彼女と私が仲が良くなった事を聞き、そして自らの王妃になるという目的が脅かされると知り、彼女に陰湿ないじめを行っていたな!」
全く身に覚えのない濡れ衣を着せられる。
陰湿ないじめ? そんなことをする時間など持ち合わせていない。こちらはあなたの妃になるためにしなくてはいけない事が山ほどあるのだ。
と、言いたいところだがぐっと気持ちを抑えてにこりと笑い、否定する。
「いいえ。そのような事はやっておりません」
「言い逃れをしようとももう遅い! 私は彼女から直接聞いたし、実際に彼女がいじめを受けているのを目にしている!」
横にいる彼女を見ると他人の婚約者である殿下にしなだれるようにして触れていた。おそらくわざとだろうがうまいこと悲しげな、怯えるような顔を作っている。そして殿下はそれを見て肩を抱く手にぎゅっと力を入れて「大丈夫だ。私がついている」とささやいておられた。
・・ああ、なるほど。そういうことか。おそらくだが彼女は実際にいじめを受けたのだろう。そしてそれを最近仲良くなった殿下の婚約者である私の差し金だと思った。殿下にそれを相談し、そして殿下はそれに憤慨し、暴走。現場を見たことでさらに怒りは高まったということか。そうしていくうちに共通の敵を得た二人はさらに信頼を深め、恋に落ちたと。
愚かすぎて思わずため息が出てそうになる。昔から愚かな王子だとは思っていたがまさかここまでだったとは。
「殿下。それは私ではありません」
「嘘をつくな。お前が主犯であることは明らかだ!」
一体どこがと思うがそれを言ってもこの馬鹿は聞き入れないだろう。一から説明しないといけないことに呆れを感じながら言葉を続ける。
「まず、私がやったという証拠、証言はありますか」
「それは彼女が言っていたといっただろう!」
「いえ、証言であるならば第三者のものでなければその効力はありません。彼女の証言以外に私が指示したという証言は?」
「・・・・そ、そんなものはない!」
「そうでしょうね。次に私が本当に指示した場合、彼女はここにはいません。やり方が甘いのです。よく考えてください。私は公爵家長女。彼女は男爵家。しかも愛人の子。私がやるならその身分差を最大限利用し、男爵家の当主を脅し、彼女が学院から自主退学するように仕向けます。そしてそのことがバレないように貴族社会からも退場していただくように仕向けます」
「・・・・」
「いかがでしょうか。ご自分の言ったことのおかしさに気付きましたでしょうか」
「確かに・・それはそうだが私は彼女を・・!」
「愛している、と?」
「あ、ああ! 私は彼女を愛している! そうだ・・私は真実の愛を見つけたんだ!!」
冤罪による断罪の次は真実の愛。もはやなんの感情も浮かんでこない。呆れかえって相手をするのも嫌になってくる。そもそも彼の言う真実の愛はただの浮気。不誠実な愛でしかない。それに彼の物言いには自分が悪いなどという感情はまったく無く、自分が正しいと信じている様子。彼がまき散らす本来は美しいもののはずの真実の愛という言葉はもはや吐瀉物のように汚らわしく見えた。
「真実の愛ですか。そうですか。ですが王妃とは愛だけでは務まりませんよ」
「ふん! 愛を感じたことのないお前には分からんだろうな! 私と彼女であればどんな障害も乗り越えることができる!」
我が意を得たりといったふうに愛、愛と叫び、挙げ句の果てに私が愛を知らないと蔑む始末。
「では、シャーリー・アダルバルト男爵令嬢殿。あなたにお聞きします」
私は頭にお花畑が咲いている殿下ではなく、彼に愛を宣言され顔を紅くしている彼女に語りかけた。こちらもお花畑が咲いてそうだが殿下よりはましだろう。
「あなたは何カ国語しゃべることができますか? もちろんつたないものではなく、本場の人と不自由なく話せるかどうかです」
「え! えっと・・その・・この国の言葉だけで・・」
恥ずかしそうに指を絡めて小さな声でそう言った。
この子もか。少しは勉強しているのか、王妃としての役割が分かっているのかと期待していたが全く理解はしていなかった。
そして殿下はそんな彼女を見て愛おしそうな顔と心配そうな顔をしてまたも、手に力を入れて抱き寄せた。彼女をそんなふうにした私を殿下はにらみつけてくるがめんどくさかったので無視して話を続ける。
「・・いいですか、王妃とはただのお飾りではないのです。各国の式典における権力者たちとの会話。我が国にきた重鎮達へのもてなし。そして王が不在のときには王の代わり。それら以外にも多くの仕事があります。故に語学はもちろん、政治学、経済学、法学、文化と様々なことを習得しておかなければなりません。あなたにそれができますか?」
「そ、それは・・」
できないとはっきり言えばいいのにもじもじとして先を言わない。
「殿下。悪いことは言いません。この国の未来を担うならばこの子はせめて側妃となさいませ。王妃としての責務は私が果たしましょう」
私はそう提案した。別に私は殿下を愛してはいないから誰が彼の寵愛を受けようとも構わなかった。それゆえ別にシャーリー嬢のことも憎んだりはしていない。少しむかつくが。
王妃という職業は容易くない。これまで教育されてきた私がこなした方がうまくいくだろう。国ためにもその方がいいはずだ。そう思って彼らに提案したのだが。
「そうやってあとから私を追い出すつもりですか・・! 王妃になって私を追い出して、最終的には自分が王子様の寵愛を受けるつもりですか・・!」
「・・は?」
「少し勉強が出来るからってなんですか・・! 私だって婚約したら頑張ります・・! 王子も一緒に頑張ってくれるはずです!」
彼女は目を潤ませて上目遣いで殿下を見る。それを見た殿下は「ああ」と言ってこちらに目を向けた。
「アリアナ。やはりお前は陰湿で傲慢で恥の多いやつだ。改めて言おう。例えどんな困難が来ようとも私は彼女との愛でそれを乗り越える。よって、アリアナ。お前との婚約は破棄させて貰う!」
・・・・そうか。私の言葉は届かなかったか。理解できなかったか。ならばもう私ではどうしようもない。
そう思った瞬間、私の中でガラガラと音を立てるように何かが壊れていった。
「・・分かりました。謹んでお受けいたします」
私は心底どうでも良くなって会場を後にして寮には戻らず、王都にある父と母がいる家へと帰った。
***
あれから数日が経ち、私は自分の領地に帰っていた。婚約を破棄されて帰ってきた私を両親は怒ることなくいたわり、しばらく領地で休むことを提案されたからだ。領地にいる兄は私の自由にしていいと言ってくれて私は言葉通り自由に過ごしていた。唯一の趣味と言ってもいい読書を楽しんだり、お忍びで街に降りたり王妃になるという責任感から出来なかったことをいろいろやった。
「アリアナ嬢・・?」
今日もお忍びで街を歩いて家に帰るとそこには兄とともに思わぬ人物がいた。
「アドラム・・様?」
軍服に身を包み、変わらない黒髪と翡翠の目を持った彼は数年前から大きく成長した姿でそこにいた。
思わぬ再会に胸が跳ねる。ドクドクと激しく脈を打ち、顔が熱くなっているのが分かった。それを表に出さないよう必死に平静を装う。
「・・久しぶりだね。アリアナ嬢」
「え、ええ。お久しぶりでございます。アドラム様」
「その、なんだか恥ずかしいな。まさか再会するとは思ってなかったから」
そうやって頬を少し紅くして微笑む彼の笑顔は昔と変わらず愛おしいと感じるものだった。彼の様子からどうやら私が帰っていることやその前の出来事などは知らないようだ。
「あら、私は再会を望んでいましたのに。第一、逃げるように離れていったのはアドラム様でしょう?」
「うっ・・。それを言われると・・。あの時はのことはすまないと思っているよ・・」
餌を取り上げられた子犬のようにうなだれる彼を見て少し笑いが漏れる。
「ふふっ。冗談ですよ。あの時は悲しかったですがこうして再会出来ましたから」
「そ、そうかい? それなら良かったよ」
彼は私の初恋の人であり、初めて想いを伝えてその想いが叶った人だ。伯爵家の次男で兄の友人として昔はよく私も一緒になって遊んでいた。しかし、その関係が続くことはなく、私は王子の婚約者になってしまった。それ故、彼は逃げるように私の前から消え、会うことはなくなった。兄とは交流を続けていたらしいが私は結局今まで会うことはなかったのだ。
「それで・・その・・殿下とはうまくいっているのかい?」
少し悲しげな笑みを浮かべ、彼は詰まりながら私に聞いてくる。
「いえ。婚約は破棄されました」
「・・え、本当かい・・?」
「ええ。つい最近です」
アドラム様は目を剥いて驚く。そして心配そうな表情をして優しく暖かい言葉を紡いだ。
「・・大丈夫かい?」
「ええ。特になんとも」
「・・本当に?」
「ええ、本当に」
「無理はしなくてもいいんだよ? 君が妃教育に尽力していたことは君の兄から聞いているから」
「はい。確かに王妃にはなれませんでしたがこれまでの努力が無駄になったとは思いません」
そう言うと彼は再度目を見開く。
「驚いたな・・。いや、再確認したと言った所かな」
「・・アドラム様?」
「君は本当に強い人だ。私ならあなたの今の状態に至ることは出来ないでしょうね」
「いや、あの、突然・・」
嬉しそうな顔で白い歯を見せて笑う彼に少し戸惑いを覚える。そして叶うはずのない考えが浮かんでしまう。彼はまだ私の事が好きなのだろうか、婚姻出来るのではないか、と。だが彼は兄と同じ23歳。普通ならとっくに婚姻を結んで子もいる歳だ。そうだ。舞い上がるなアリアナ。彼はもう新しい愛する人が・・。
「アリアナ嬢。今、あなたに婚約者はいない・・と言うことでしょうか」
「・・はい」
「・・アリアナ嬢。私は今でもあなたを愛しています。婚姻もあなたの事を忘れられず断ってきました。あなたが王妃になり、誰かのものとなれば諦めもつき私も前へ進めると思い、その姿を見届けるつもりでいました。だが、私は再びあなたとこうして何のしがらみもなく会うことが出来た。もしあなたが今もまだ私を想ってくれているならばどうか私の婚約者になってほしい。私と共に歩んでほしい」
胸が高鳴り、嬉しさで胸がはち切れそうだった。私も彼と別れてから今まで彼への想いは果てることはなかった。ずっと彼を想い続けてきた。喉の奥に何かがつっかえたように言葉がうまく紡げない。嬉しさで声が震える。いつもなら、未来の王妃として感情はなるべく表に出さないがこの時はそんなことは出来なかった。私の理性を感情が上回り、あふれ出る。
「・・私も、愛しておりました・・・・。喜んで、あなたの、婚約者に・・なり・・ます」
気付くと頬には雫が垂れてきていた。そんな私を彼は抱きしめ、そして兄がいるのも忘れて頬に手をあて、私の初めてのキスを奪った。
***
数年が経ち、私たちは両親や兄、アドラム様の家族に祝福されながら結婚を果たした。私の両親に彼のことを伝えると引き離すようなまねをしてすまなかったと謝られたが今は気にしていないとだけ答えた。私達の間には二人の子供が生まれ、二人とも元気に育っている。
一方、私との婚約を破棄してシャーリー嬢を選んだ殿下はそのまま王になったがその腕は全く役に立たず、宰相殿が何とか切り盛りしているらしい。シャーリー嬢は結局、語学は習得できなかったようで他国の式典や招待した重鎮達に応対出来ず、多くの失敗をしている。市井では王国の恥さらしと暗に言われているため、そのうち政権は現王の弟へと変わることになるだろう。
もし婚約破棄していなかったらどうなっていたのだろうとたまに思うことはあれど後悔はない。私には愛おしい夫と子供達がいるのだから。今はこの幸福を堪能しよう・・。
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