変身猫とショートケーキの彼

真辻春妃

1.



 今しがた見た光景を思い出し、あれは間違いなく変身猫だと思った。


 学校からの帰宅中、毛並みの綺麗な白い猫と遭遇した。今朝も見かけた迷い猫だと思い、ついあとをつけてしまった。


 商店街裏にある小洒落たカフェの隣りに雑草の海と化した空き地があり、そこで足を止めた。ところどころに木が植わっていて、外側をぐるりと取り囲むように金網のフェンスが張られている。追いかけてきた猫はフェンスの切れ目をくぐり抜けた。


 目を丸くしながら私はフェンスの外を移動し、空き地を見つめた。くさむらに飛び込んだ猫を目だけで追いかけた。ちょうど一本の木が視界を遮り、慌てて猫の行方を探した。


 そこで私は見てしまったのだ。さっきまで見ていた白い猫と入れ違いに男の人が現れるのを。


 白いシャツに黒のパンツ姿ですらりと背の高い男性だった。日焼けのない肌のせいか、ストレートの黒髪がいっそう映えて見えた。


 横顔でも綺麗な顔立ちをしているのが分かった。こちらに背を向けた男性は左手に白い包帯を巻いていた。


 思わず金網のフェンスを両手で掴み、私は猫の姿を探した。しかし雑草の揺れはどこにも見つからない。時おり聞いた鳴き声すらも聞こえない。


 急にどこかから人間の男性が現れ、猫は忽然と姿を消した。これが何を意味するのか、私の頭に変身猫という単語が思い浮かんだ。


 *


 ほんの数時間前のことだった。朝の登校中に白い飼い猫を見かけた。ブルーの細い首輪を付けていて、左の前足には白い包帯を巻いていた。


 この子、どこの子だろう?


 見かけない猫に近寄り、「迷子なの?」と話しかけるが、猫は細い声でニャーと鳴くだけだ。


「あん子先輩、遅刻しますよ?」


 ふいにかたわらより声をかけられた。


 声の主は後輩の真柴ましばくんで、彼は信号機に指を向けていた。チカチカと点滅を始めるのを見てギョッとし、慌てて横断歩道を渡りきった。


 車道越しに後ろを振り返るが、猫は既に立ち去ったあとだった。声をかけた手前、あの猫がちゃんと帰れたのかどうか気になっていた。


「まさか変身猫だったとは」


 家路を辿りながら地面に伸びた薄暗い影を見つめて、独りごちた。


 変身猫とは私が作った造語で、猫から別の生き物に変身するという意味だ。


「しかもあんな綺麗な男の人に」


 猫と同様に、さっき見た男性の左手にも白い包帯が巻かれていた。同一人物に違いないからだ。


 フィクションでしか起こり得ない現象に、私は胸を躍らせた。


 猫が人間に変身するなんて素敵。例えばそう、魔法使いの援助を受けて自由自在に姿を変えられるとか? 人間になって何かやりたいことを叶えたいとか……。


 そう考えたところで逆の場合もあるのかもしれない、と思考があちこちを飛び回る。


 私は昔から空想にふけるのが好きな子供だった。現実にはあり得ない現象であればあるほど、ワクワクした。ファンタジーには夢がある。


 空飛ぶ箱庭、翼を持つ天使やキマイラ、魔法使い、未来や過去に跳ぶタイムリープ、そして変身能力。これらは私に想像と創作の楽しさを与えてくれる。


 作家や脚本家になるのを密かに夢見ていた。高校三年生という受験生の現在、私は夢を叶えるために専門学校を志望している。


 *


 ただいま、と声をかけて玄関に上がると母が階段下にある物置きで何かを探していた。膝をついた四つん這いの体勢のまま上半身を中に入れ、「お帰り」の声が若干くぐもって聞こえた。


「あったあった」


 母が奥から探し当てたのは数年前に買ったダイエットグッズだった。どうせなら動物の言葉が分かる翻訳機が出てくればいいのに、と思った。


 廊下に積み上げた本やバーベキューセットに混ざって幼い頃のアルバムが置いてあった。日焼けで色褪せた桃色の表紙が気になって、試しに手に取ってみる。


「それ、あん子が小学生の頃のだよ」

「へぇ、懐かしいね」


 セロファンで蓋のされた白い台紙を頭から捲り、ふとこの男の子は誰だったかな、と記憶の糸を手繰り寄せた。母が「あれ」と声をあげる。


「こんな子いたっけ? あん子と仲良さそうだけど」


 母が指で差し示したのは私が今まさに考えていた男の子だった。失礼な物言いだが、私と考えが一致していて、思い出せた解答を母に教える。


「フクちゃんだよ。年下の子でみんなそう呼んでた」

「フクちゃん……?」


 母の記憶には思い当たる子がいないらしく、未だに首を捻っている。


 フクちゃんは他の子より太っていて引っ込み思案で、いつも何か言いたそうにモジモジしていた。みんなからフクちゃんと呼ばれていて、フルネームは把握していなかったけれど、優しい良い子だった。


 アルバムの写真を眺めながら星のヘアピンを付けた私を指でなぞった。このピンにしてもそうだ。


 新しく買ったお気に入りのヘアピンを褒めてくれた。誰にも気付いてもらえなかったのに、フクちゃんだけは可愛いねと言ってくれた。当時一年生だったフクちゃんは秋に引っ越していったっけ。


 出した物を片付ける母に、見ていたアルバムもお願いした。


 小学生時代の自分を振り返り、何気なく思った。


 そういえばあの頃は私も活発だったよなぁ、と。どちらかといえば明るかった。


 地味でさえない自分を鏡の中に見て、ついため息がもれた。昔の女学生みたいにいつも黒髪をおさげにし、なおかつ銀縁フレームの眼鏡をかけている。


 陰キャ。そこまで性格が暗いというわけではないが、私は教室のすみの方で同志たちと共に趣味嗜好について語りあい、大人しく過ごすのを好んでいた。


 そしてそれを一部の女子と男子は、根暗でキモいと囁き、私たちは笑われているのを自覚していた。


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