観察と類推

 関詠かんえいは、

(こりゃあ、やっかいごとだぞぉ)

と、おもわず顔をしかめた。目の前の少年と関わっていると、とんでもないことになるぞと本能が告げている。

 ……関詠は元は軍人だけに、政治がからむとおのれの主義主張は隅っこに追いやられてしまうことを身を持って体験している。ずっと敬愛してきた才能ある将軍や軍監らが、政争の渦のなかで左遷、果ては零落の憂き目に遭ったことを再三その目でみてきた。

 だからこそ、退役したのだ。

 それにもかかわらず、ここにきて巍彰ぎしょうの名を耳にするとは想定外のことだった。

「や、やつが……戻ってきただとぉ?」

 突然、語気を強めた関詠の表情をみて、周郎は驚いた。

「え? もしかして、おじさん……じゃなかった、おにいさんは、巍彰ぎしょうという人を知っているの?」

「ふん、知っているもなにも、そもそもおれが軍をやめたのは、あいつのせいなんだ」

「ど、どういうこと? それは……あっ、そうか、わかったぞ」


 周郎がまさに腰掛けようとしていた塀の上から勢いよく降りて、したり顔を関詠に向けた。

「ん、なんだぁ? なにがわかったというんだ?」

「た、ぶ、ん、巍彰は、お兄さんの幼なじみか、小さい頃からの仲間じゃないかな……」

「お、おまえ……なぜ、そんなことまでわかるんだ? まさか、占い師か呪術師にでも弟子入りしたのか!」

「そうじゃないよ、観察……と類推、だよ。エヘン」

「な、なにをエラそうに! 観察? 類推? それもおまえに巍彰を見張らせた奴からの入れ知恵か?」

「ちがうよ、ほら、ぼくはからだがね、ひとよりも貧弱だしさ、武芸も習いたいけれど、それほど上達はしないだろうから、いまのうちに過去の書誌を読んだり、見たこと聴いたことから学んでいくのさ」

「ふん、それを頭デッカチ尻すぼみというんだぞ」


 関詠が言った。

 すると周郎はきょとんとして不思議そうに首を傾げかけた。

 というのも、関詠が言ったことばは、使い方が間違っているのだ。

 頭デッカチ尻すぼみを四文字でいえば、竜頭蛇尾。はじめは勢いがよくても、終わりがだらしない、うまくいかない……ことを指す。おそらく関詠は、知識ばかり増えて頭がでっかくなることへの戒めとして使ってしまったのだろう。

 そのことに周郎も気づいたのか、なんの反論もせずに小声になって、

「そうかも、ね」

と、素直に応じた。

「……それよりも、お兄さん、裸の少女の話を聴かせてよ」

「ん、おまえが興味を持っているのは、そっちかぁ!」

 どことなく拍子抜けしたように息を吐きながら、関詠はぼそぼそと語り出した。

 ……“裸体の少女たち”は、乳房は膨らんでおらず、乳首には枯葉が貼られている。

 恥毛ちげもまだ生えていない。

 少女がたちが現れるのは、決まって、一鼓いっこから二鼓にこへ移ろうとする時刻(午後十時頃)、大道たいどうから離れた路地裏、おもに昼間に露店が集う、芳香巷ほうかこうと俗称されている一帯に張り巡らされた天幕の上に、するりと落ちてくるのである。

 そして、意味不いみふな言葉だけを残して消える……のだった。


「はぁ……?」


 周郎はあからさまに不審の目を関詠に注いだ。ため息とも吐息ともつかないかすれ声で、

「お兄さん、そんなこと信じるの? 人が夜空から落ちてくるなんて……」

と、言わずもがななことを口にする。

 黙っておけばすむものを、思いついたことをそのまま言葉にしてしまうのは、周郎の悪癖せいかくでもあった。

「いや……」

と、関詠は笑った。

 むしろ、この門衛は、周郎との会話を愉しんでようでもある。じつは同じことを門衛仲間にも告げたのだが、誰も本気で相手にしてくれなかったからだ。


「……一度、おれもたんだぞ」

「お……! お兄さん、夜目よめくのかなあ。それとも寝ぼけていたのかなあ」

「ん……! おいおい、なんて言い草だ! 信じないのか……あの夜は、おれはそもそも非番だったのだ。ところが急病人が二人出てな、しらせを受け、慌てて着替えたおれは早歩きで……」


 ……急いだ。芳香巷を突っ切ると近道なので、そのまま進んでいくと、人だかりがみえた。路灯火はともされていない。火事になるのを防ぐためで、緊急時は別として、人々はが落ちると外出してはいけないのだ。官吏もまた同じ規則のもとにある。

 関詠はそのことを知っているので、あえて、松明たいまつも携えていなかった。

 よるは、夜更しんこう、という。

 “こう”は時刻を表す一字で、陽が落ちた頃(午後七時、八時頃)から、夜明けまで(午前五時、六時頃)までを、およそ二時間ごとに五つに区分し、これを五更、といった。

 それぞれ、初更(一鼓、ともいう)、ニ更(二鼓、ともいう)、三更……と呼ぶ。関詠が人だかりと出くわした時刻は、ニ鼓に差しかかった頃(午後十時頃)とおもっていい。

 夜に人が寄り集まるのは、謀叛とみなされる。徒党を組んで、悪巧みをしていると見なされるのだ。治安維持上、当然のことであったろう。

 不審におもった関詠は、そっとかれらに近づいた。

 とたんに異臭が鼻をついた。

 たむろしている人々は同じような貫頭衣かんとういを着ていた。大きな布の中央を丸く切り抜き、その穴に頭を通し、そのまま布を垂れ下げるだけの簡単な衣である。いや、この貫頭衣こそ、おそらくは衣類の原点なのであろうが、関詠は、

(漢人ではないな……)

と、感じた。

 本来、火をくことが禁じられている時刻と場所に、堂々と松明たいまつを灯していたからである。

 しかも、独特の異臭と髭が顔をおおった異相。芳香巷ほうかこうは主に大道芸人や行商、露店業者たちの溜まり場なのである。

 そのまま黙って様子をうかがっていた関詠は、一羽の鳥がはばたいて舞い降りてきたのをみた。松明の炎の照り返しで、鳥は紫に輝いてみえた。

 そのとき、いきなり集った者らが地べたに座り込むと額を地につけたのだ。すると、天幕の上に、一条の光が天から落ちてきた。その光が横に厚みをおびると、素っ裸の少女になった……


 と、そこまで、関詠が喋り終えると、周郎はにじり寄って、

「そこへ行きたい、行ってみたいよぉ」

と、ねだった。

「……ぼくも、てみたい、行きたい」

「ひゃ、めておけ。それに、もうそこには裸女は出ないぞ」

「え? それは……」

「落ちてくる場所が変わったらしいのだ……いまは、烏丸うがんこうのあたりかあ」

「本当に裸だったの?」

「お……ははあん、やっぱりな、そこが、気になる年頃なんだな……ふふふ、周郎、悪いことは言わん、めておけ」

「うん、そうだね」


 意外にもあっさり周郎が引き下がったのをみて、関詠は、

(こいつ……騒動を起こしてくれるなよ)

と、ちらりと不安を目で伝えたものの、そのときには、すでに周郎は嬉々として駆け出していた……。

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