周郎の探偵事始め

嵯峨嶋 掌

群れる裸女と咲かない桜の事件

変人ふたり

 周郎しゅうろう……と呼ばれている。

 なんのことはない、周家のお坊っちゃん、という程度の意味である。

 周郎の父は、洛陽らくよう県令けんれいであった。

 県は〈郡〉のなかに含まれる小さな行政区域単位である。比較的広い面積を持つ県や重要度の高い県の行政長官のことを〈県令〉といい、ほかは〈県長〉と呼ばれた。

 洛陽は、当然、この漢王朝(後漢)の国都であり、特別な都城域である。

 そもそも大陸の市街というものは、四方を城壁に囲まれ、あるいは無理やり城壁のなかに王宮のほか政府機関、役宅、寺院、一般民家までを誘致したのである。平原や砂漠や田畑や森林は、もとよりその城壁外にある。したがって、早朝、決まった時間に門が開かれ、身元確認と外出理由、帰城予定時刻などを記入または質疑応答ののちに城外へ出ることを許可された。

 なお、門番は、門衛もんえいともいい、極めて重要な職掌しょくしょうを担う者であり、身分が低い者や者が門番になることはまずないとおもっていい。

 さて、顔馴染みの門衛が、

「周郎、毎日毎日、そうやって誰を探しておるのだ?」

と、からかい半分で笑いかけた。

 周郎と呼ばれた少年は、十か十一であったろう。

 この時代、年齢は第三者にはつかみにくい項目の一つで、本人が明かさないかぎり、身長や体つきから類推するのは不可能に近い。なんとなれば、洛陽には、いわゆる中原ちゅうげん周辺域は言うに及ばず、東夷西蛮とういせいばんと呼ばれた辺境の地からの使節(公式)、密使(非公式)、交易代行者、任官者、地方吏官、儒者、仏徒、書生などがひっきりなしに出入りしていて、出身地域、言語、発音、文字もバラバラで、一概に年齢を推定できる特徴、差異点などの要素が整理できてはいないからである。


 ……周家は、揚州ようしゅう廬江郡ろこうぐん舒県じょけんを拠点にした豪族で、周郎、すなわち、のちの周瑜しゅうゆもその地で産まれた。

 廬江ろこう郡は長江(揚子江)南岸の地にある。

 つまりは、周郎もまた、洛陽の人々から見れば、ということになるが、なにせ父親が県令の地位にあるもので、門衛も相手がたとえ小僧っ子であったとしても粗略には扱えない。それぐらいの配慮、便宜を図るのは、当然のことで、毎日、遊びに来る周郎を、それなりの礼儀をもって接していたことは確かであった。


「ねえ、おじさん」


 周郎は泰然たいぜんとして門衛に言う。悪びれず、といっていいのか、人見知りしない、といっていいのか、そういう性向たちの変わった少年ということは、門衛たちもすでに承知している。

 しかも竹簡と筆、硯などを官吏が腰に巻いている帯の中に包み、それをくるんで結び、肩から斜め掛けに背負っている。そこには乾飯ほしいいや井戸水を詰めた瓢箪ひょうたんも入っている。たまに、その包み物がゴソゴソと動くこともある。鼠か栗鼠りすかは分からないが、そういう小動物の類を入れているのだろうと、門衛たちは推測してはいたが、あえてそれには触れずにいる。


「……前にも言ったろ? どうせなら、お兄さん、と呼んで欲しいな」


 門衛の一人、とりわけ周郎をかわいがっていた関詠かんえいが、ニヤニヤと笑いながら少年の相手をし出した。なにも少年の父の県令という地位に配慮したわけではない。関詠は周郎の行動に興味を持っていたのだ。しかも、周家の御曹司おんぞうしという身分をひけらかすことなく、そんじょそこいらに居る童子どうじたちと分け隔てなく接している姿を何度も見ていたので、

(こいつは……将来、大成するかも)

と、ひそかに思っていたのだ。


「あ、ごめん、かんのお兄さん……昨夜、変な音を聴かなかった?」


 周郎は関詠に近づくと、いきなり質問を繰り出した。


「音? おれは夜勤だったが、別になにも変わったことはなかったがなあ。どんな音だ?」

「ぱんぱんぱぱぱぁぁん」

「はあ?」

「それの繰り返し……はがねを叩く音に似ていたけど、もっと柔らかな……そうだ、衣を切り裂くような……」

「布なら音はしないだろうが?」

「うーん、うまく表現できないんだ。でも、たとえるなら……そんな感じかな。やわらかい音! それが断続して響いてくるんだ」

「は……? やわらかい音? 意味が……」

 ……わからないと言いかけて、関詠は、口をつぐんだ。しばし首をひねってから、

「そういえば……」

と、続けた。


「音とは関係ないとおもうが、最近、おかしなことが立て続けに起こってはいるようだぞ」

「ん……? なに、なに?」

「真夜中、素っ裸の少女が夜空から落ちてくるんだそうだ」

「え……? 裸? ほんとに? 真っ裸なの?」


 周郎はからだを乗り出して、昂奮を隠さず珍しく何度も同じ言葉を繰り返した……。少年とはいえ、十歳ともなれば当然異性の動向には関心が向く。しかも、素っ裸……といえのは、あまりにも衝撃的だ。


「周郎、おまえも丈夫おのこだな。やっぱり裸体の少女に興味があるか?」

「うーん、それは否定しないけど、空から落ちてくる……のが、どうも引っかかる」

「なんだ、そっちかぁ……蕃人館ばんじんかんのあたりらしいから、あそこにたむろしている大道芸人らが稽古けいこでもしていたんだろうよ」

「蕃人館……!?」

「あ、あそこには近寄らないほうがいいぞ。武器を携えた衛兵すら、立ち入りはしない区域だからな」


 蕃人館……は、都城とじょう内の最北にある。蕃人とは、周辺異国の野蛮人たちを指し、この時代、虜囚りょしゅうではなく、おもに交易の代商だいしょう、すなわち、貿易仲介人たちや各地からやってきた流浪人たちがたむろする区画だとおもえばいい。事実上の治外法権域であって、そういうことを関詠は忠告したのだ。


「うん、よく知ってるよ。そこに友だちがいるんだ」

「蕃人の……か?」

「いや、ちょっと理由わけありでね。いまは詳しくは言えないけど、怪しいひとではないよ」

「いやそこに棲んでいるというだけで、十分怪しいだろうよ」

「大丈夫だって……かれのお父さんは、司法参軍だし」


 司法参軍とは、知州(知事)配下の裁判司法を司る官吏である。


「その名を教えてくれ。姓は……?」

「内緒……いまはね」

「内緒ってこたあねえだろよ」

「約束したから……そのうち、おじさん、じゃなかったお兄さんにも紹介するし」

 

 周郎がそう言うと、さすがに関詠は追求するのを止めた。


「あのね……」

 周郎が続ける。

「……二十日前、この門を通った人物が、まっすぐ寄り道せず、蕃人館に向かった……ぼくはその友だちに頼まれて現れるのをここで見張っていたんだ」

「なんだぁ、先月あたりから毎日顔を見せるようになったとおもったら、探偵の真似事まねごとをしてたんだな」

「まあね」

「そんで、一体誰を見張っていたんだ? それぐらいは教えてくれてもいいだろうが……?」

「そうだね、おじさん……じゃない、お兄さんの耳に入れておいたほうがいいかも。だっていざとなったら助けてくれるでしょ? かんにぃは剣の達人らしいから」


 急に猫なで声になった周郎は、“関兄”などと媚を売り出した。

 関詠が元軍人で、そこそこ名を馳せた人物だということは調べればすぐに分かることだ。上官と折が合わず退役した話は、門衛たちの間でもつとに知られたことである。


「ははぁん、いやにおれになついてくるとおもったら、そういうことだったのか……」


 舌打ちをしつつ関詠は吐いたことばに、自分でにやついてもいた。周郎の用意周到さは、褒めてやるべきだとかれはおもっていまのだ。


「まあいい、それで見張っていた奴の名は……?」

「……巍彰ぎしょう

「な、なに? いまなんといった?」

巍彰ぎしょう!」

「叛逆の罪で都城を追われたあのの若君のことか?」

「そうだよ」


 いとも簡単に答える周郎の顔をまじまじと見返した関詠は、次のことばを失った。

 もともと一族は、漢王家とは祖先を同じくする至高の名家だったのだが、百年ばかり前、王統を我がものにせんとくわだて、失敗をきっしてからは、政治には関わらずにきた。というべきか、つねに主流から疎外される宿命のもとに置かれた一族であった……。

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