第4話 カエルと毒

「うん、だいたいわかった。超急ぐ必要ありだね!」


 どうしてこうなったのかの、状況はなんとなく理解できたので、ほんの数秒間だったけど、脳内スライドの回想シーンはいったんお終い。


 急がなきゃ、急がなきゃ。この人たちヤバい。視界の端で軽くのたうち回る二人が目に入る。


 カエルの毒が原因なら、死ぬことはたぶんないと思うけど、この毒、幻覚見せるくらいだとすれば、なんとなく視力を失うくらいの強さがないとは言えない気がする。マコだったら、目の見えない人生って絶対イヤだもんね。


「イル、まずは助けるよ! 超特急で」


 自分の記憶内を超特急で見てきたからか、ううん、前の二人の状況の特殊さと、そのヤバさ加減だね。それで思わず超超早口でイルに呼びかけると、


「えっ、えっ、今なんて言ったの? んーっと、マコちゃんはなにかわかったの?」


 最初は腹筋崩壊しそうだったのに、そんな他愛無い安穏としたはずの日常の出来事の範囲からどんどん外れ、経験したことのない、少し凄惨な状況への変化に付いていけずポカーンとしていたイルだったが、マコの言葉に我に返って、説明を求めた。


 いろいろなことが頭を巡り、急がなくてはならない思いから、超超早口になったせいもあるけど、ひとつひとつは全く整理できていないまま話し始めたから、余計に焦りが膨れ上がって、マコはうまく言葉にできない。視界の端にのたうち回る姿が目に入るから尚更だ。


「じょっ、状況はなんとなくで、危険度は不明だけど、急がないとやばいかも? 近くに病院か、頼れる知り合いの家があったりはしない? あと電話できるといいのだけど……」


 すぐにでも顔まわりの毒っぽいのを取り除かなきゃだけど、協力者も欲しいし、近い水場、家か病院のどっちか……、いずれにしてもまずは連絡しなきゃだ。


 日本なら、最近プッシュボタン式公衆電話があちこちに整備されているから、小銭さえあれば連絡に困ることは少ないのだけど、ここアフリカ南部の田舎ではただの電話すら普及していない状況だ。それに日本なら病院数も充分あるし、仮に病院がなくても、スーパーやコンビニに行けば、薬や包帯などの医療用品もたやすく入手可能だ。そんな日本の先進文化を知っているだけに、儘ならない現実がとても歯痒い。


「目に染みてきた。痛い痛い痛い」


 状況の悪化を感じてか、イルも焦りを隠せず、マコの早口につられそうになる。


「だだだいじょうぶ? ま、ま待って、なんとかするから」


 答えが見つからないのか、イルは軽くドモリながら、難しそうに眉間を寄せていたが、「なんとかする」と意思を言葉に、言葉を声にと、ふと、より具体的な行動変化をさせたことに気付いた。


 すると、少し冷静ないつもの自分を見つけることができたのか、軽く呼吸を整えて、イルは静かに言葉を紡ぎ始めた。


「この付近では人家を見たことがないなぁ……。病院も二つほど隣の村まで行かないとないし、私かマコちゃんの家に行くほうが近そうだけど、歩いて10分くらいかかるし。いろいろと混乱しているから、何をしなくてはならなくて、何が必要なのか、をまず教えてくれる?」


 そりゃそうだよね。状況が状況だから、一人で焦りまくっていた。

 こんなときこそ、落ち着いてひとつひとつ、状況整理しようとするイルはやっぱりすごい。ほんと見習わなきゃだね。うん。イルはマコのお姉さま決定だね。


 まずは呼吸を整えて……

 すぅ、はぁ、すぅ、はぁ……


「まず大事なことは、顔に付着したカエルの分泌物である毒を取り除くことだと思う。でも目の前の二人は気が動転してるし、その手にも毒はべったりだから、どうやって拭き取ろうか? 拭くもの、拭き方も注意しないと。医者か大人に見せた方がいいけど、すぐにできなそうな?」


 マコがそう言うと、ちょっと驚きながらイルが呟く


「えっ? カエルって、毒があるの?」


 イルは目の前の状況を見ながら言葉を続ける。


「あぁ、だから痺れるって言ってるのね。そういえばカエルの表面が濡れてテカってるし、あの子たちの顔にも何か付いてるように見えるわね」


 今まで何度もカエルを捕まえて遊んできたイルには、カエルと毒が結びつかなかったが、今の状況はそれを結び付けるには十分な状況証拠だった。


 イルはようやく事態を飲み込めたようだ。

 そこへマコは説明を始めた。


「危険を感じたカエルの表面には神経毒が分泌されるらしいの。それが目や口から体に入ると炎症や幻覚を見たりするらしくて、たぶん死ぬほどの毒ではないと思うけれど、目に入るのはヤバそうじゃない? さっきの状況では分泌物がモロ顔面に付着しちゃってるから、ほら、痺れてるような言葉が出てるでしょ? だからこの推測はおそらくビンゴだと思うの」


 ちょっと大きく目を見開きコクコク頷くイルには、ヤバさ加減も伝わったようだ。


 にょろ太たちは痛がって転げまわっていて、そんな状況を見てると焦って悪い方向に失敗しそうだ。さらに始める対応で生まれる接触がはらむ危険性についても付け加える。


「きれいに拭き取る必要があるけど、強く拭うのは肌などに刷り込むことになるし、当然、元の範囲よりも広がってしまうでしょ? 毒なので、なるべく影響を抑えたいから、まずは吸い取れるといいな。その後に、できれば水で薄めるような方向で洗い流してあげたい。あと、マコたちが拭いてやるとしても、彼らに付着した大量の分泌物が、正気じゃない彼らの「暴れ」の影響から、マコたちまで毒されたら、助けられる人がいなくなって、みんな全滅だからね。木乃伊取りが木乃伊になっちゃうよ。あっ、これは日本の諺ね」


 急ぐことは急ぐけど、闇雲に取り掛かるのは絶対に危険だ。


 彼らを視界から外したまま、イルはやるべきことの要点整理を始めた。


「なるほど。そんじゃあ、簡単に確認するよ。間違いや不足があったらすぐに指摘してね」


 どうやるかは細かいことはこれからだけど、ひとまずやるべきことの意識共有はできた。やることが見えてきたら、イルの行動は的確で早い。


「やらなきゃいけないことは、一番に毒の除去 (吸い取り)、次に付着毒の流水洗浄と拭き取り、そしてその作業時の毒からの防護と彼らのケア、それから経過観察ね」


「おぉ、イルってば、的確に要点をまとめてくれたね。マコの長々グダグダ説明がきれいにまとまった。ほぇー、頭良いね! すごいすごい」


「うん、大体理解できた。んーっ、すごいのはマコちゃんのほうだよ。じゃあ、始めるよ! ハンカチとタオルを持っているから、まずは本人にさせてみよう。あぁ、名前知らないから不便ね?」


「あぁ、それなら仮名付けといた。こっちがニョロ太、で、こっちがゲコ太」


「変な響きの名前ね? でもなんとなくピッタリなのはなぜかしら?」


「あ、あぁ、日本独自の愛称の付け方でね、蛇はニョロニョロしてるでしょ?」

 マコはジェスチャーを混ぜて説明する。

「だからニョロ太、カエルはゲコッって鳴くからゲコ太」


「ぷっ、ウフフフ、だ、ダメよマコちゃん、ンフフフ。こんなときに笑わせないで! でもあまりにもピッタリだから、それでいこう。プフフフ」


 緊急時だけど、気持ちが和んだなら、それもいい。ついでにおまけだ。

「犬ならワン太、猫ならニャン太、あぁ、女の子ならニャン子ね。雀はチュン太、うさぎはピョン太、あぁ、狸はポン太……」

「あははは、ダメだってマコちゃん、ンフフフ。緊張が緩んじゃうでしょ?」


「だって名前ないと不便でしょ?」

「そうは言ったけど……ウフフ、ありがとね。緊張を解してくれたのね? もう、大丈夫よ」

「ん」


 イルはポケットからタオル地のハンカチを取り出し、少しだけ軽度と思えるゲコ太の手に、バッグの中からタオルを取り出して、ニョロ太の手に、それぞれ掴ませながら、厳しめの声で指示を出す。


「あなたたち、まずはこれを掴んで! まだ拭っちゃダメだよー。わかったー?」

「……わ……、ゎかった」


 ニョロ太達は痛みと痺れで目も開けられず、我を忘れたように地面の上でゴロゴロしていたが、自分たちを助けようとする声に気付いて、我に返り指示に耳を傾け、手に当てられたタオルを掴んで、顔の分泌物を拭おうとした。


 それに気付いて間髪入れずに、マコが軽く怒鳴るような声で注意した。


「あっ、ダメダメ、ちょっとぉ。まだ拭くのは我慢して。まずは目にそっと当てるだけだよ!」


 大きな声にビクッとして凍ったような反応のニョロ太たちに対して、慰めるように、導くように、イルが優しく声をかける。


「吸わせるようにすればいいのよ。無理に拭おうとすると目をおかしくするかもしれないからね。吸い取りが無くなったら、タオルの面を変えてまたそっと当てるの。慌てないようにね。そうそう。上手じゃない。それと、目はまだ開けちゃダメだからね。我慢だよ!」


 彼らは顔にタオルを当てながら、小さく「すまない……」と呟いたあとは、指示を聞くたびに、静かに頷きを返していた

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