第35話 重心点 〜 魔力修練 ep6 【閑話】
「マコトは弥次郎兵衛って知ってる?」
「あっ、なんか聞いたことがある。えーと、確か、日本の古い
「おっ、正解。よく知ってるね。そう。こんなやつ」
ジンはおもむろにバッグから弥次郎兵衛を取り出し、自分の指の上に乗せた。
「え? 何? 持ってたの? パパ」
「あ、いや、マコトに教えるために作ったんだよ」
「へーっ、器用だね? パパ」
「ま、まぁな。で、マコト。例えばペンは直ぐに倒れるのに、なんで弥次郎兵衛は倒れないんだろ? こんな風に倒れるように仕向けても、勝手に戻るよね?」
弥次郎兵衛の片側を押し下げたり、回転させてみたり、ジンはやや乱暴に扱ってみせるが、弥次郎兵衛は直ぐにバランスを保つように復帰する。マコトは知識の上で知っていても、直接見たのは初めてだった。そのため、そのまま傾けば倒れると思う次の瞬間には、予測を裏切り見事に復帰を果たして徐々に収束していく弥次郎兵衛の振る舞いに、マコトの丸く見開く瞳は笑みを帯びる。そんな状況を読み取りマコトなりの答えを返す。
「バランスを保とうとするから。片方が上がると、位置エネルギーが増えて、バランスを保つために下がろうとするから」
「はーい。半分正解。間違いじゃないけど、説明足りてない。もしかしたら理解不足かもしれない? 前から見るだけならその説明が近いけど、横から見たら? それに上下反転した弥次郎兵衛でも同じことが言える?」
「あっ、重心だ。重心が支点より下にあるからだ」
「正解。じゃあ重心はどこにあるの?」
「重しとなってる二つのボール?」
「うーん。残念。重心は一点です」
「あ、じゃあ、ボールとボール、その中心を結んだ線の中間点。何もない空間上の点」
「正解。大正解。解答の仕方が抜群だね」
「やった、誉められた」
「本当はもう何ステップか、段階を経て学んでいくべきだと思うけど、マコトの場合、モノの捉え方の基礎がキチンとしているようだから、少し飛ばすよ?」
「大丈夫。もしも、躓いたときには教えて欲しいけど、基本的にパパの教え方は分かり易すぎるから、そのくらいがマコにはちょうど良いかも」
「わかった。今日は時間が掛かりそうだったから、助かるよ。まず、覚えておいて欲しいこと。それは、すべてのものは中立を求めようとする、ということ」
「はい、先生、質問です。なぜ中立なのですか? 安定ではないのですか!」
「うん、いい質問だね。この場合は状態を表す言葉として、どちらも同じ意味でいいと思うよ。安定=釣り合い=中立。ただ、パパ視点で厳密にいうと、安定はサ変動詞になって、安定する=安定した状態に向かう、というニュアンスが含まれると思っている。これに対して、中立という言葉には、安定しているかどうかなんて関係ないから、例えば、昨日みたいな当て舵が大きすぎる場合、更にその当て舵も大きくなるわけだけど、それを繰り返して、結果的に位置を保持できていたとしたら、それも中立の位置にあると言える。全く安定はしてないけどね。少し激しくても中立を求めようとする状態だよね。こっちは動的で、安定は静的ね。それに、中立を求めようとする、ということは、ある状態に向かって落ち着こうとする向きの挙動になるから、広義での安定とも言えるけどね」
「なるほど、完全理解には概念が難しい気がするけど、ニュアンス的にはなんとなくわかった気がする」
「あ、ごめんごめん。ちょっと難しかったよね。うん。それくらいの理解で充分。話を続けるね」
ジンは手のひらの上にペンを垂直に立てて手を離し、すぐに倒れる状態と、指先の上に乗せた弥次郎兵衛の傾けてもすぐに復帰しようとする安定化挙動を示しながら、言葉で繰り返し説明する。
「水平面にペンを立てるときの支点に対して、重心は常に支点よりも上にあるから、不安定ですぐ倒れようとする。これに対して弥次郎兵衛は、支点よりも下側に重心があるから、安定してその状態を保持しようとする」
マコトの心の中で、その2つの整理が着いていることを確認すると、ジンは次のステップに進むための質問を投げる。
「じゃあ、質問。ほうきに跨がるとき、ほうきに接するところが支点だとすると、重心はどの辺になるかな?」
「えーと、人の体型にもよるけど、大体お尻の位置くらいかな?」
「うん、まぁ、そうだな。そうなんだけど、あることをすると重心位置が変わるんだけど、わかる?」
「立つとか、ぶら下がるとか?」
「あぁ、それもあるけど、跨がったままで」
なぞなぞのようなジンの問いかけに、マコトは楽しそうに思い付くものを次々と挙げていく。
「足を広げるとか、閉じるとか?」
「あぁ、惜しい。けど、たぶん違う」
惜しいと言われれば俄然、心は前のめりとなり、足に関連する変化に絞って、マコトは思考を集中していく。
「あっ! わかった。足を曲げて縮める」
「うん、縮めるとどうなる?」
すっかりジンとのやりとりに夢中になってマコトはさらに思考を振り絞る。
「あー、えーっと、縮める、ということは重心位置が上がる?」
「うん、そうだね。足を縮める以外で重心位置を変化させるには?」
「えーと、上半身を丸めるとか? 手をバンザイするとか?」
「あぁ、まぁ、それも効果はあるね。でも、バンザイは危ないね。ふーむ。ちなみにマコトは、てこの原理って知ってる?」
「知識的には知ってるよ。でも、実践が伴わないから、理解がなんとなくで自信を持って知ってるとは言いにくいけどね。ただ、パパが言いたいのは、回転の、力のモーメント? の話ではないの? これは、滑車を使った例で理解したつもりだけど、応用できるほどの理解ではないの。その延長線上にあるものをパパは求めてる気がするんだ。違うかな?」
「うん。いや、その通り。合ってるよ、マコト。そういえば、まだ未就学児なんだよな。なのに何を話しても受け答えできるもんだから、うっかり中学生くらいのつもりで話してしまってた。申し訳ない」
「あ、ううん。謝らないで、パパ。そのつもりで接してくれて大丈夫だよ。マコはまだまだたくさん知りたいの。ただ、そうすると、知識だけ溜まっていって、経験が追い付かないんだ。経験するには、それに合った状況下であることが必要だから、例えば今が貴重な経験が得られる「その時」なの。だから、遠慮なくしごいてくれると嬉しい。あっ、でも優しくおしえてくれると、もっと嬉しいよ。誉めてくれると、すんごく嬉しい。よろしくね、パパ」
「お、おぅ、わかったけど、やっぱり恐るべきキャパなんだな。ママの驚異的な高校・大学の飛び級の話。疑ってはいないけど、おっちょこちょいなママを見てると、国によって基準が違うからとか、いくらか差し引いて考えてたけど、マコトを見てると思い知らされるよ。これが漆黒の魔女の本領的スペックなのかもしれないな」
普段の何気ない会話からも少しは気付かされることがあるが、今のように少し掘り下げた特殊な話をする場合には、マコトやソフィアの記憶するスペックの優秀さが浮き彫りとなり、ジンの中ではいろいろな記憶が脳裏を駆け巡る。それが普通であるマコトにとっては、立ち止まるジンの思考が気になり、前に進めようと投げ掛ける。
「パパぁ、脱線してるよ?」
「あぁ、すまんすまん。マコトも滑車がわかるのなら、あとはわかったも同然だよ。てこも弥次郎兵衛も滑車も、直線的な力と、回転軸を支点とする回転力との力交換に過ぎないんだ。支点、力点、作用点でいうところの支点からの距離による影響の違いだな。重心に話を戻すと、支点の近くに重心を持っていくと、回転への影響力がその分減少するから、足を縮める場合は不安定さが増す。これは回転軸との距離が問題なのだから、上半身の場合、お辞儀するように、軸に沿わせるくらいに近付けるだけで、軸との距離は縮まるから、グッと重心を下げることができるワケなんだ」
「なるほど、重心の位置はそういう観点で変えられるんだね。それと、力のモーメントは、うん。確かに。直線と、回転との、力交換の仕組み、って聞けば、うん。たったのそれだけなんだね。そう考えると、スッと頭に入ってくるよ」
頭の中に理屈としてスンナリと受け止められたことで、マコトの理解しているものの中で類似するものが浮かび上がる。
「そういえば、変速機付き自転車がそうだよね? ペダルを踏む、直線的な力を回転に変えて、チェーンで繋がる別の歯車? ギア? の大きさを変えることで、踏む重さや回転する速さを変えてるんだもんね。チェーン自体も前後のギアの回転と、直線的な力の交換だもんね」
「おぉ? そうだな。そういう例のほうがわかりやすかったか? そうなんだよな。理解するためにこういう系の解説書を見ると、やたらと小難しい数式が並んでて、見るだけでも気が滅入るからなぁ。こういう方程式なんかは、受験のための勉強や、完全理解・研究をする人たちにはとても重要な内容だけど、本質的概要を知りたいだけの人には、かなりハードル高いからね」
ここまで理解を進めてきたが、今の話が大きな要となる内容であることから、ジンはさらに補足し強調するとともに、マコトに問いかける。
「でもね、この重心とモーメントにの概念については、呼吸するくらい、自然な理解をしてほしいんだ。数式なんかじゃない、目に見える世界で、ここを踏むとヤバいとか、壊れて崩れたバランスを直すにはこうしたほうがいいとか、をイメージできる概念的理解かな? それができないなら、特にエアボードは諦めたほうがいいくらいだよ」
「わ、わかった。エアボード、乗りたいもん。マコ頑張るよ」
「あ、そうそう、重心っていうと、引力に引っ張られる、物体の重さの総合的な中心、って理解していると思うけど、これから言うことが同じなのか違うものなのか、オレもよくわかってないけど、例えば浮力に対するときも同じような考え方になるんだ」
「浮力?」
「そう、海やプールにサーフボードを浮かべて、それに乗りたいとき、何も知らない子どもじゃなければ、端っこに乗る人はたぶんいないよね。これは本能に近い感覚で、端に乗るとボード面が傾いて転覆して落ちてしまうことを認識してるんだと思う。そうならないためにはどうすればいいと思う?」
「あぁ、こういう面でも重心っていったほうがいい気がするね? 同じなのかな? で、面の重心位置を見つけてそこに乗れば転覆しないってことだよね?」
「うん。そういうことだね。で、その面が丸や四角だったら、その中心点はわかりやすいけど、歪な形だったり、例えば2人以上で同時に乗る場合とか、その適正位置は、重心とモーメントの考え方が適用できるんだ。まぁ、実際には浮力以外の様々な影響も受けるから、それだけではだめなのだけど、一番考えなければならないところはそこだな」
「あ? もしかして、エアボードを選んだから、パパはしきりに重心とモーメントを強調して教えようとしてくれてるんだね」
「あぁ、まぁな」
「あぁ、この小うるさい感じは、優しさと思い遣りの裏返しだったんだね。ニヘッ」
「こ、小うるさい?」
「あ、失言。パパ、愛してる」
―― パパに抱きつくと、パパは顔をそむける。
―― ……けど、耳が赤い。
―― たぶん顔は真っ赤かな?
「お、おぉ」
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