Jet Black Witches - 1萌芽 -

AZO

第1話 わたしはマコト

 時は1987年頃、舞台はアフリカ南部に位置する、とある国 (以降、S国と呼称)の小さな集落。


―― わたしはまこと

―― 日本のアニメやマンガをこよなく愛するイケてる5歳の女の子だ。


 夕飯の支度が整い、炊事場から母ソフィアが呼び掛ける。


「マコちゃ、ご飯よーっ! パパを呼んで来てくれるー」

「はーい」


 返事しながら、マコトは父ジンの作業場の区画に向かう。


―― えーっと、何がイケてるかって?

―― まだ学校というところに入ったことはないから、いずれ習うことではあるけれど、新聞や雑誌くらいなら、すでに問題なく読み書きOKってこと。


 マコトは到着し、作業場の仕切りをめくる。


―― あれぇ?

―― うーん、パパいないみたい。

―― さっきいたのにな。


 キョロキョロ見渡すが、付近にもジンの姿は見当たらず、マコトは首を傾げる。


「って、ママー、パパいないよ?」

「あ! そういえば……パパはたぶんお風呂のところよ。何か作業するって言ってたの思い出したわ」


 作業と聞けば、何かを作る的な思考が浮かんだマコトは目を一瞬大きく見開く。


「え? 何か作るのかな? 呼びに行ってくるー」

「はーい。お願いねー」

「はーい」


―― 何作ってるのかな?


 ジンが何を作ってるのかとても気になるマコトは、ワクワクしながらパタパタと裏庭に早足で駆けていく。


―― なんか楽しみだな。


―― あっ、そうそう。

―― これから先、自分と家族を誰かに紹介するときのプラクティスだった。

―― いつか誰かと友達になるときに備えて練習しとかなきゃだね?

―― えーと、難しい漢字はちょっと自信ないものもあるから、「読み」は大体OK? って言った方がいいのかな?


 物心付き始めてから、ここアフリカに越してくるまで、マコトはアニメなどの様々なエンタメコンテンツに没入する日々を繰り返す。幸いマコトは記憶力と認識力が優秀だったため、繰り返すほどに知識は蓄えられていく。


 アニメでは、言葉や会話、いろいろな感情表現などを自然に理解し、隙間時間にひたすら読みまくったマンガでは、丁寧にルビも付いているからか、文字・漢字の読み書きを自然に習得する。


 最近ハマり始めた小説などは、文字だけで表現できることの凄さと、文字だけなのに頭の中で彩られた世界の中をキャラクターが各々動き出すサマに驚き、豊かな想像力も醸成されていくマコトだった。


 そうして日本の中学生程度の文章の読み書き、読解力が養われていく状況にあった。


―― そう、書かれている文章を読むことも、その意味を理解することも、難易度の高い表現じゃなきゃ、たいてい問題ないから、大人とも自然な日常会話ができる自信はある。

―― でもちょっとアニメやマンガ寄りな、気の利いたセリフ回しっぽい傾向があるみたいだから、お年寄りとの会話では、よく踏まなくてもよい小さな地雷をポコポコ踏んじゃったりして……、まぁそこはご愛敬ということで。。


―― ただ、頑張って日本語力を高めたのだけれど、肝心のアフリカの現地語はまったく手つかずなんだよね。

―― アフリカの現地語のアニメなんかがあるとやる気が出るのだけれど……。

―― うーんと、逆にこれから現地で覚えていけばよいのだから、ま、いっか。

―― ひとまず今はかんたんな会話レベルは身に付けているけど、文字の読み書きはさっぱりな状態なんだよね。


 そんな考え事をしながら、そそくさ歩いていると、マコトは裏庭のお風呂スペースに到着。辺りを見渡すと、マコトはお風呂の脇のスペースでなにやら作業しているジンの姿を見つける。


―― あ! パパ見っけー!


「パパ、やっと見つけたぁ。ママがご飯だよーって」

「わかった。すぐ行く」

「了解。で、何してるの?」

「あぁ……うん。今はまだ内緒」


―― えー、内緒なの? お風呂関係かな〜?

―― 日本のときみたいに瞬間湯沸かし器なんてあると、いつでもお風呂に入れて便利だよね? それとも……。

―― うん、でも途中のものを中途半端に見せるの、マコだっていやだよね。

―― うーん、仕方ないか。


「ふーん。知りたいけど、まぁいいや。早く来てね」

「おぅ!」


 伝えることは伝えたからと、マコトはゆっくり戻り歩く。


―― そんなわたしの名は、理科の「」の一文字で「まこと」と読む。

―― は「ことわり」、変わることのない法則などを意味するお気に入りの漢字らしく、日本人であるパパが付けてくれた名前だ。


―― 意味合いは置いといて、マコは、という漢字自体の字面も、書きやすさも気に入っている。

―― けれど、なによりも、「マコト」という読みとその響きは大好きだ。

―― でも普段使いの呼び方として、一息で呼ぶにはちと長い。

―― だから自分のことは短くマコって呼んでるし、呼ばせてる。

―― もちろん仲良しさんだけだけどね。


「ママー、行ってきたぁ。すぐに来るって」

「わかったぁ。じゃあ、手を洗ってらっしゃい」

「はーい」


 そのすぐ後に姿を見せたジンの姿を捉えると、ソフィアは二人一緒にと声を掛ける。


「あ、パパも来たのなら、マコちゃと一緒に手洗いしてきてね」

「おぅ、わかった」

「ありゃ、パパ早いね。うーん……コンパスの差かぁ」

「まぁ歩幅、3倍くらいはあるからな」

「ふーん。ズルい気がするけど、マコだっていずれ大きくなるし、まぁいいや」


 そんな親子のやりとりをしていると、よく知る匂いが鼻孔を刺激してくることにジンは気付く。


「ん! あれ? なんか香ばしい匂い。コレは秋刀魚さんま?」

「当たりぃ! コレ、みんな大好きだよね?」

「うん! マコも大好き」


 なんとなく芳しい香りに気付いてはいたが、考えないようにしていたマコトだった。しかし一度思い浮かべてしまうと、味の記憶が舌先を刺激し、後から後から唾液が溢れてくる。


「パパぁ、ほら止まらないで行くよ? ひゅ……じゅる……ふぃっ」


 堪えていたところで立ち止まるジンに、先を促す言葉をかけながら、マコトはその場駆け足でジンの背中を押す。


「マコのお口はもう秋刀魚食べれるつもりでよだれ零れそうなんだからぁ。早く早くぅ。じゅるじゅる……ふぃっ……危ない危ない」


 そんな振動で思わず溢れる涎をマコトは慌てて吸い込む。そんなマコトの様子に微笑ましさを憶えながらジンは返す。


「ふふっ……わ、わかったから……そんなに押すなって」

「あ、ごめんなさい。じゃあ行くよ?」


 ソフィアは二人を一緒に行かせる意味を言いそびれていたため、マコトを呼び止める。


「あ、マコちゃ、パパと一緒に、って言ったわけは、パパのことよく見てて欲しいからなの。ほら、パパってものぐさでしょ? 作業なんかが絡むと、あちこち抜けるところがあって、ほら、パパの髪や顔、汚れが凄いでしょう?」

「おー、ほんとだね。うん、理解した。マコはパパのお目付け役! マコの目で綺麗になったかチェックしろってことだね?」

「流石、マコちゃ」

「な、なに? オレは子どもか?」

「ふふん。違うよ? でもマコは試験官。厳しい目でジャッジメントしてあげるね」 


―― マコの呼び方、ママだけは、最初のころは「マコちゃん」だったのが、「マコちゃ」と少し短めで呼んだり、最近やることが立て込んで忙しさそーなときは「マコち」と、どんどん短くなっている気がする。

―― と思ったら、3文字は語呂が悪いのか、ごく、最近「マコっち」と呼び始めたり。

―― あれっ?

―― でも、なんかいいかも?

―― 「マコっち」かぁー、うんうん。

―― ママと友達みたいな、距離感がちょっといい感じな気がして、なんだかるんるんっな気分。。

―― これで落ち着くといいなぁ……。


 そんな記憶を思い出しながら、洗面所に到着すると、蛇口をひねり、直ぐにジンは顔を洗い始める。


 きゅっ、きゅ、ジャーーーッ、バシャバシャ


 そんなジンの姿を左後方から見つめるマコトは、ジンの揺れる髪に意識が向いて、髪色の違いについていつも考えていたことを思い起こす。


―― マコは髪と瞳の色が真っ黒だ。

―― もぅ漆黒。

―― とわざわざ言葉にしたのは、ママが外国人で、瞳が碧くてクルクル・フワフワの金髪だからだ。

―― それに加えて、すらっとしてるから、カッコカワイーのだ。


―― ただマコの場合、髪と瞳が黒いは黒いのだけれど、同じく黒髪のパパと同じかというと、びみょーにちがってて……

―― マコの髪は本当に真っ黒で、ずっと見つめていると吸い込まれそうな気がするってパパがいってた。


―― パパの名前はジン、26歳。

―― 中肉中背のむかしちょっとイケメンだったかもな容姿だ。

―― パパの髪は黒いけれど、真っ黒じゃない。

―― すこしだけ栗色っぽい感じがしていて、ママにいわせると、人なつっこい感じに見えて、ちょうどいい塩梅あんばいなんだとか。


 ジンの洗い終わりを見計らって、マコトはフェイスタオルをジンに手渡す。


「パパ? はい、タオル」

「お! サンキュ」


 ジンは手渡されたタオルをとって、顔をゴシゴシ拭き始める。その様子を見ていたマコトは顔が綺麗になったことを確認すると、今度は頭に目を向ける。


「うん。顔はバッチリ。だけど髪にホコリがけっこう付いてるね。今髪を洗うわけにはいかないから、ちょうどその湿ったタオルで拭き取るといいかもね?」

「お、そうか? どの辺?」

「あー、よくわかってないならそのタオル貸して! マコがやったげる。そこに座って」

「お、おぅ。頼むわ」


 小さいマコトは頭のてっぺんから見下ろせるように椅子の上に立って見渡し、上部は問題ないことを確認すると、椅子を降りて周囲から髪を見透かすように念入りに見ながらの作業を開始する。


―― 確かに柔らかそうな栗色の髪は、初めて会う人にも、優しさがにじんでくるような印象が見て取れるから、長所といえる特徴ではあると思うし……。

―― パパ自身はそれ以上に優しさのかたまりのような人だから、ママにとっては見目と中身が何倍にも掛け合わさった魅力にいちころなのかもしれない。


―― あっ、パパのやさしさって、甘やかしてくれるようなやさしさとはちょっと違ってて……。

―― いつもことばや行動が伴って、その結果が後からズシーンって心に響き渡るような優しさなんだよね。

―― 嬉しかったりしたときのその素を、時間や人や物をたどって振り返ると、数珠繋ぎのように繋がったその先には、いつもパパが言ってくれたり、してくれたことがそこにはあった。

―― パパには先の先の先のもぉ~っと先が見えるみたいだ。

―― まるで神様か魔法使いみたい。

―― だけど、ものぐさらしいから、妙なギャップがあるのもおもしろいよね。


 そんなことを思い浮かべながら、風呂上がりではないから、髪をゴシゴシするわけではなく、髪に付いたホコリをそぉーっとタオルの湿った部分に付着させるように取り去る作業をマコトは繰り返す。


「大体こんな感じかなぁ。うん、大丈夫。パパできたよ。鏡見てみて」

「おー、サンキュ。うん。たぶんバッチリ。じゃあ夕飯に戻ろうか」

「うん? 返事返すの早いけど、ちゃんと見たぁ? まぁいいや、ママにチェックしてもらおう。急ごう急ごう!」


 ジンとマコトは早足で食卓に戻ると、もう食べ始めるだけの状態でソフィアが待ち構えていた。


「あら? 意外に早かったわね。マコちゃ? 上手に取れた?」

「うん。大丈夫だと思うけど、ママも見てくれる?」

「そーね。うーんと。うん。まぁ大丈夫そうね。じゃあ、いただきますしましょうか?」

「うん。やったぁ。「「いただきまーす」」」


 マコトの箸の向かう先は、当然秋刀魚さんま。そそくさとほぐしやすい部位を摘み取り、お口に直行すると、箸をくわえたまま一噛み。口の中で広がる旨味に、思わず目をつむり、頬が釣り上がる。


―― そうそうコレコレ! 滲む秋刀魚の脂? 独特の旨さだね。特に今日のコレは格別じゃない?


 そんな秋刀魚の旨さを上手にいなしさらなる高みの味わいにいざなうもの、それは白ご飯。マコトの目がそれをロックオンすると、直ぐにもちもちの白ご飯を頬張り、秋刀魚の味の余韻をご飯に広げながらマコトはご満悦の表情を見せ、その感激の一言を零す。


「うっまぁーぃ……」(……噛み噛みもぐもぐ……)


 そう零した後はもぐもぐと堪能しながら、目を軽く瞑り幸せな表情で一口目の最後の一噛みを飲み込むまで、マコトは余韻に浸る。


「ゴクン……ふはぁ」


「ふふ。旨いか? そういえば秋刀魚は久しぶりだからな。どれ? オレも……もぐもぐ……あれ? でもこれ、干物じゃ味わえない旨さ。……もぐもぐ……それに見た目から鮮度なのかな? 明らかに違うね。……もぐもぐ……ソフィア? どうしたのコレ?」


 ジンは、その旨さや見た目の違いから、秋刀魚そのものの出自をソフィアに問う。


「うふふん。わかった? さすがはジンね。マコちゃも理屈抜きに違いを感じ取ってくれたのか、反応が抜群に違うわね。これはもう、苦労した甲斐があったというものね? ふふっ」


 マコトはただ黙してその味わいを堪能しつつ、そんな美味しさの提供に苦労してくれたらしいソフィアを讃える回想にふける。さきほどのジンの髪色周りの回想に続くソフィアのターンのようだ。


―― ママの名前はソフィア。

―― N国生まれ。

―― ほくおーというところらしいけど、なんだろっ?

―― その「ほくおー」って響きもよくわからないカッコよさがあってとてもよいし、そちらに多いらしい「背が高く金髪碧眼」。

―― そのうえすごく優しいときた。

―― マジ美人なママ。

―― おそるべしほくおーそんなすごくきれいなママの金髪と違って、マコの髪は真っ黒なのだ。

―― すごくすごくすごくママがうらやましい。

―― パパも優しくて大好きだけど、髪と瞳の色だけはママに似たかったなぁ~。

―― しかも、ママの場合は、髪が金髪だからなのかな、なんかキラキラしていて……、うーんと、違うね。

―― このキラキラは金髪だから、というだけの理由とは違う気がする。

―― だって目の前を通り過ぎる他の金髪美人や、テレビで見る美人女優さん? とか見ても、ママみたいなキラキラも、キラキラを除いた素顔美人も、たぶん見たことがない。


―― どんなにすごくきれーに見える人でも、ママにはかなわない。

―― ママ大好き。


 マコトが何やら回想している傍らで、含みたっぷりに話すソフィアは直ぐには明かさない。どうやら秋刀魚とその入手方法よりも、その手前に苦労? いやおそらくお手柄的な何かがあるのか、その苦労の甲斐の経緯いきさつを尋ねてほしいようだ。すると、秋刀魚の漁獲状況について、ジンが説明を加える。


「秋刀魚って他の魚と違って似た魚もほとんどいないから、実質太平洋でしか捕れないらしいんだよね。だからうちで新鮮な秋刀魚が食べられるのは日本からたっぷりのドライアイスで冷凍して持ってくるしかなかったのに、ソフィアにそんな友達いたっけ?」

「ううん。少なくともこの近辺に日本人はもちろん、アジアやアメリカなどの友達なんていないわ……」


 ソフィアはアジア・アメリカの伝手つてはないことを告げたあと、笑みを浮かべ、ここからが本題とばかりに語り始める。


「ふふっ。実はね。うちはお魚をよく食べるから、市場でもそれが珍しいのか、直ぐに覚えてくれてよくお話をするのね。ときには通り過ぎようとするとワザワザ振り返って大声で呼びかけてくるくらいよ? ちょっと気恥ずかしいのだけど、みんな一生懸命に話しかけてくれるの。それで秋刀魚の話を時々するのだけど、やっぱりこっちじゃ珍しいらしくてあまり知らないみたいね。でも私があまりにも話すせいか、秋刀魚のことを覚えて、何人かは調べてくれたみたい。」


―― あれ? 秋刀魚の美味しさに浸りつつ、髪色を含めてママのことを回想してたら、何やらこの秋刀魚の入手の話をしているみたい。うん? でもその人達……。


 マコトはソフィアの語りの中にある親切な人達について、引っかかりを憶え、疑問をぶつける。


「ママ? その人たちって、親切心はもちろんあると思うけど、多分、ママの美しさ、話し口調やその声に惹かれての行動だよね? 大勢に取り囲まれるでしょ?」


「あら? そそ、そうなのかしら?」


 ソフィアは自身の容姿は自覚している。しかしそれに対する自意識は薄く、誰に対しても別け隔てのない自然体で接するから、相手も気後れすることのない自然な会話を為せている。そのためざっくばらんなただの顔見知り的関係性の上で皆と意思疎通を図ることができていると思っている。


「そういえば話し始めてふと振り返るといつの間にか囲まれちゃっていたような……」


 実際もそうであることは間違いないのだが、相手からすれば、見目麗しいソフィアに対して、容姿に関する好感を持って接していることは否めない。特に初顔や会話を為す関係性よりも遠い人たちも、そのときの自分の周りにいることは確かで、そのような人たちは美しい見た目から興味を抱いて寄ってきていることは間違いなさそうだ。


「でもみんないい人よ? 我も我もって、こぞって意見をくださるの。すごく助かってる……」


 そして、マコトの言により、ふとその事実を認識させられたソフィアは、自身に対して綺麗だと思ってくれている輩の存在と、その心持ちに意識が向く……と、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。


「でも、うーん。そういうこと? ……なの……かなぁ? ……って、え? つまり……」


 マコトの指摘を受けると、その認識の深まりに伴い、ソフィアは次第に頬を紅く染め上げ、ふるふると打ち震えながら俯いていく。マコトは溜息をひとつ漏らし、想像される情景を続ける。


「やっぱりね。普通はみんなそのまま通り過ぎるけど、その愛らしい声に誘われて、声の主の身振り手振りに癒やされつつ、それでも前に出るのはおこがましいのか、自然と後ろが膨れ上がるみたいだよね? 美しすぎるのも困ったものだね、パパ?」


「オ、オレか? あ、まぁ、そうなんだけど……これは贅沢過ぎる話で、美しすぎる妻、身に余る幸せではあるけど、みんながみんな振り返るから、ヤキモキしちゃうのも事実ではあるかな」


 ジンは、日頃思っていたことだが言えなかった内容を告げる。もちろん隠していたわけではなく、ワザワザ話す内容でもなかったからだ。しかし、聞かされるソフィアにとっては、自覚がなかったとはいえ、見方によっては美貌をひけらかし相手の好意に付け入っているようにも捉えられなくはないことで、まるで厚顔無恥にも思える自身の振る舞いがよりいっそう恥ずかしさを極めるようだ。羞恥のあまり戦慄わななきながら俯き加減は最大に、ソフィアは額をテーブルに押し付ける。それを見かねたジンがフォローの言葉をかける。


「あ、まぁその、ソフィア? そんなに気にすることはないよ。実際ソフィアは絶世の美女だと思うし、そんなソフィアからもしも妖艶に微笑みかけられたら、今にも天に昇りそうなほどの喜びや心を射抜かれるくらいの衝撃を受けるかもだけど、そう感じさせないほどの屈託のないソフィアの天真爛漫な笑顔と振る舞いによこしまな他意がないことくらい、ほとんどの人が感じ取っていると思うよ。稀に変な思い違いをする輩がいるかもしれないから、それには注意を払ったほうがいいけど、そうじゃないなら、友人的な好意に対して、ソフィアもこれまで通りの友人的な好意で返してあげる、でいいんじゃないかな」


「マコもそう思う。ママが綺麗なことは、そこにいるみんなの共通認識だし、それを変えることなんてできるわけないもん。ただ、何も気付かずに振る舞うことは思わぬ結果を招きかねないけど、キチンとわかった上で、好意を適切に捉えて、関係性を保った適切な好意で返してあげるのなら、何も問題ないんじゃない?」


「そうだな。マコトもいいこと言うなぁ。オレもマコトと同意見だ。それで、その、なんだっけ? 誰かが秋刀魚のことを調べてくれたんだっけ?」


 思わぬ意気消沈ぶりのソフィアに向けて、話が整ったところでジンは話題を振り戻す。話題を振られたソフィアは、我を取り戻しつつ、元の話題の次の話を思い起こし、やや臆しつつも話を切り出す。


「そそそ、そうよ。秋刀魚のことを調べてくれた人がいて、漁獲業者さんが言うには、秋刀魚は確かにこの辺りでは捕れないらしいのだけど、その、太平洋にいるはずの秋刀魚が数匹だけど、こちらの海域に時々紛れ込むことがあるらしいの。私が秋刀魚を欲しがっていることを話したら、もしも紛れ込むことがあったら分けてくれることになって、先日入手したばかりの新鮮な秋刀魚だったわけなのよ」


「お、マジか。それはありがたい。いやぁ、ソフィアのお知り合い、凄い人脈が築けたものだな。さすがソフィアだね」


「あははは。そうでしょ? そのことが凄いでしょ? って言いたかったことだけど……でもなんか今は、私も浅はかだったかなぁ〜って思い始めて、喜びとそうじゃない部分で、なんかどっこいどっこいだね」


「ああ、さっきは変な言い方をしちゃったからアレだけど、豊かな人脈は人生を渡り歩く上でとても強力なものだから、確かな人脈なら多いに越したことはない。そんな確かな人脈はお互いに好意を抱ける相手じゃなければ築くことはできないと思うんだ。その意味で見目、発言、振る舞い、声などの魅力があることは強力な武器でもあるし、ただ望んだだけでは手に入れることができないものが資質として備わっていることは誇りでもあると思うんだ。だから、ソフィアもこれまで通りのソフィアらしさを振りまいていく、で問題ないと思うよ?」


「マコもそう思うし、綺麗で賢いママの姿は絶対誇らしい。それに何よりマコが大好きなところでもある。素敵なママの子に生まれてこれて本当に幸せだよ?」


「あああ、ありがとう。二人とも。なんか気が抜けちゃったなぁ。少し繰り返しになっちゃうけど、市場で知り合う人たち、みんないい人で、わたしが結婚して子どもがいることも知っていて、生活を応援してくれている感じなの。だから、これまで通り、お知り合いの和として大切にしていくことにするわね」


「そうだね。それでいいと思う。あと、その懇意にしてくれた友人の関わる業者さんの名前、会社名かな? それがわかるなら調べといてくれる?」

「え? ジンが何かをしてくれるってこと?」


 自分には懇意にしてくれるお知り合いたちに、何かを返すことまでは考えが浮かばなかったところに、ジンが名乗りを上げてくれているように思え、ソフィアはそれを確かめるように問う。


「うん。たぶんその業者さんは問題ないと思うけど、特に貿易系の会社が絡んでいる場合、どこかで別の悪い業者に繋がっていて何か火の粉が飛んでこないとも限らないし、ソフィアを含むおれたち家族を護るだけじゃなく、その業者さんだって、影響を受けないとも限らないから、調べるだけはやっておきたいと思っているんだ」


 ジンの機転と内容を聞き、良いアイデアであると、目を輝かせるソフィアは、心が満たされることで顔の表情も柔和する。心から素直に滲み出る感謝をソフィアは還付したい思いとともに素直な言葉で返す。


「なるほどね。わたしたちの生活を応援してくれる人たちだから、わたしたちにできる応援で返してあげるってことね。さすがね。頼りになる旦那様でよかったわ」


 すると、先程までの会話の流れをなぞるようにジンは言葉を綴りだす。


「ソフィアが声を掛けて、ただ嬉しそうに笑顔で返すだけで、好意を寄せてくれるその人たちは満足に思ってくれるかもしれない……」

「あー、もう言わないでぇ〜。反省してるしそんな不敬な考えはしてないから〜」


 皮肉のつもりではなく、ジンはソフィアスペックによる効果の再確認の言葉を並べただけだが、未自覚さを懲りているソフィアは大慌てで触れてほしくない旨を乞う。しかし、話を持ち出したジンの意図はその続きにあるようだ。


「あはは。でもそれだけじゃなくて、見えないところだけど、心を尽くしていることがあるとしたら、今じゃないけど、それはいつか何かで伝わることもあるかなってことなんだ。それは何かが起こることを期待するわけじゃないけど、そんなときにもしも助けてあげられるとしたら、そこで得られる信頼感はそれこそ青天井。堅い絆で結ばれる人間関係って素敵なことだと思う。日本人って簡単に他人を信じちゃうけど、外国人から信頼を得ることは難しいことだからなおさらね」


―― そうそう、こんなときに裏でいろいろなことを調べてくれて、表では何もなかったかのように振る舞うのがパパの信条っぽい。

―― 何をどう調べて判断しているのかはよくわからないけど、いつもどこかでいつの間にか救われているんだよね。


 そこからは様々な話題に飛び火しながら、夕食の幸せな時間はゆっくりと過ぎていく。マコトはそれぞれの話題に興じながらも、脳裏ではジンに関わる記憶を振り返る回想が展開していく。


―― なにやら難しいほーりつてきな問題が絡むときには「いんがかんけい」みたいなことばも零れてきたりする。

―― なんのことだかマコにはさっぱりなのだけど、そこから少したった頃には、立ちはだかっていた壁のような問題事もいつの間にか乗り越えていて……。

―― そんなときには、笑顔咲くきらきら未来にそーぐーすることができるって、ママが幸せそうに言ってたな。


―― とくに算数や理科? 的なことにもむちゃくちゃ詳しいらしくて、とても頼りになるらしい。

―― なんだかとってもあたまのよい優しさみたい。

―― あたまをつかって誰かをしあわせににできるなんて、すごくスマートでカッコよすぎる~。

―― そんなところにママもズキューンってきたのじゃないかなぁ?


―― 法律関係ってやたら難しそうだから、マコは好きじゃない。

―― だから将来お嫁さんになるときは、小難しい人は嫌だけど、パパみたいに優しく頼れて、ほーりつ関係は、ぽいっと丸投げできる人がいいかな。あははは。


 美味しい食事と、楽しい語らいの時間はあっという間に過ぎていく。


「「「ごちそうさまでした!」」」


 夕食を終えると、ジンはやり残している片付けに戻る。


「じゃあ、オレは作業の片付けをかたしてくるから、ソフィア? 夕食の片付けよろしくね。その後で、皆でお風呂に入ろっか?」


 お風呂タイムもこの家族の大切で楽しい語らいの時間だ。

 身体が温められて程よくほぐされるこの時間は、のんびりとして特別な話題などのない、心の零す気持ちよさの発露の声がほとんどとなるが、疲れも一緒にお湯で流した綺麗な身体で、何も考えず裸を寄せ合い息を吐く。そんな日本人ならではのお風呂文化に異国生まれのソフィアもすっかり慣れ親しみ、ただただ息を吐くだけが堪らなく気に入っているらしい。


 だから、毎日のことだが、今日も一日を締めくくるこの時間のことを、示し合わせる言葉を聞くだけで、予測される幸福感から、皆の顔の表情に幸せの笑みが宿る。まるでパブロフの犬のように。


「わかったわ。任せて。マコちゃは自分のお風呂のお着替え準備できる?」

「はーい。大丈夫。皆のバスタオルも準備しとくね」

「お! マコちゃも少し気が利くようになってきたわね。じゃあお願いしようかしら」

「任せて! マコだって日々成長してるんですーっ!」

「ふふっ、そうよね。じゃあ任せるわね」

「はーい」


 マコトは夕食の片付けをするソフィアの背中を見ながら、お風呂の準備に取り掛かる。ビデオを見たりする以外のそんな合間の時間は、マコトにとっては専ら回想タイムとなる。

 一般的には妄想ともいうが、幼いながらも時間は有限であると感じているマコトにとって、何かの作業をしながら思考が止まっているのはもったいないと考えているから、隙間時間があるときも常に思考は止めない考え方のようだ。

 今は夕食の片付けで背を向けているソフィアを見ているが、いつもありがとう、という思いから回想は展開されていく。


―― ママはパパよりもっと優しい。

―― って言い方したらパパは拗ねちゃいそうだけど、ママのやさしさって、ほかの誰ともくらべようがない、そう、偉大なの。

―― いつも包まれているような安心感で、まるで女神さまみたいな……。

―― って、ほんとうの女神さまがいるのかはわからないけど、パパじゃなくても一目惚れしちゃうよね~。


―― マコもお話しするときは混ぜてほしいけど、難しすぎることばはまだ苦手だから、話についていけないこともたまにある。

―― そんなときは、わかってるふりをして、心の中にメモメモ。

―― あとできっちり調べておくのだ。

―― あはははぁ。

―― 知らないことは恥ずかしいことかもしれないけど、こういう機会学習のほうが一番学習効果があがるんだよね。


―― というわけで、マコはハーフなんだけど、生まれたときに真っ黒な髪と瞳だったから、名前も日本人の名前で「まこと」になったんだって。

―― もしもママみたいな金髪碧眼だったら、どんな名前を付けてくれたのかなぁ?

―― なんとなく興味があるから、こんどママに聞いてみよぉっと。


 そうして夜は更けていき、今日も一ノ瀬家の一日が無事幕を閉じるのだった。

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