第27話 発声 〜 Makoto ep6

「おぅ。ふん (ヌ)! 護るぞぉ!!」


 急遽ではあるが、新たな家族として娘が加わった、という理由で生まれ守り抜こうとする決意。それだけでなく、それを超える特殊事情からより強く護らなければならない使命感を胸に刻むジン。半端な気持ちでは護り通せない、そんな思いから、全身全霊をかけて向き合う必要があることを肝に銘じ、気持ちの昂ぶりにまかせてつい大声で唸ってしまう。


「ちょ、こら、ジン、声大きい……」

「ふぇ?」


 ジンの声にびっくりして眠りから覚めるマコト。


「あ、すまん……」

「ふみゅにゅ、ふ、ふ、ふぇぇぇん」


 まだ眼は閉じたままだが、寝起きの混乱の中、驚きと恐れの感情のまま泣き出してしまう。


「ほらぁ、起こしちゃったじゃない」


 護る、と誓ったばかりなのに、その大切な娘の睡眠すらぶち壊してしまったこと、迂闊すぎて目も当てられない自身の不甲斐なさ、そんな間抜けすぎる行動に落ち込むジン。


「マコト、ごめん! あちゃ~。早速ダメダメだぁ」

「ダメなパパでしゅね~」


 ソフィアの放った『パパ』の言葉にマコトはピクリと反応を示し、泣き止み呼応する。


「ふぇぇ……!? ぷ、ぷぁぷぁ? ……」

「ふふっ、そうよ、あっちがパパ。そしてわたしはママ」


 反応を示すマコトを可愛らしく思い笑みを零すソフィアだが、ジンに人差し指を向け、自身もその呼称とともに指さしアピールする。すると、マコトもそれにも呼応する。


「……むぁんむぁ?」

「そうよ~、よくできたわね~、ママよ、すごいわマコちゃん」


 傍らでその様子を見てふるふる感動に浸りながら様子を眺めるジン。ジンとマコトを交互に見るソフィアだが、ふと違和感に気付く。オーラを感じ取り、その感覚で胎内から外界を捉えていたマコトにとっては眼を開かずともある程度の様子が掴めていたからか、不安も少なくその必要性も感じなかったこともあったのだろうが、ソフィアにはまだ眼を開くことすら知らなかったように思えたことだ。


「あら? そういえばこの子のまぶた、まだ開いたところを見てないわね」


 先ほど泣いた涙が付着するまぶたをソフィアが人差し指の第2関節部分でそっと拭う。すると、その動作でわずかに開く目の隙間から光が飛び込みびっくりするマコト。


「うちゃぷぁちぃぁひゅぅぁ!!!」


 ふつうの赤ちゃんがもしも同じような状況でびっくりしたような場合、ただただ泣き声をあげるところだが、まだ言葉は知らなくても少し知能が進むマコトは、泣くのではなく、あまりの驚きでわけのわからぬ言葉が声となって飛び出す。


 また、ふつうの赤ちゃんなら、生後しばらくの頃の眼はあまり見えていなそうだが、マコトの場合は勢い余って急成長したからか、既に視力は正常に機能している状態だった。目を閉じてオーラで気配感知する所作が自然に身についていたこともあり、ひとまず周囲に対する不安がなかったことが視るという能力への気付きを遅らせたのだろう。


 オーラで捉えていた輪郭のようなビジョンよりもくっきり明瞭な視界が拓け、遠近感まではっきりとわかる。そんな現実世界の見え方のリアルな美しさに驚き、瞳をまんまるいっぱいに開き、その一瞬ののち、感動ともいえる感情が心いっぱいを埋め尽くす。言葉を失う、そんな状態だが、まだ言葉を知らないマコトの思考そのものが停止する状態……そう、眼に飛び込んでくる立体的リアル世界の情景はどこまでも高解像度でただひたすら圧倒されるのだ。とはいえ、少しの時間経過で、眼も慣れていく。そうしていったんの落ち着きを取り戻した頃、漠然とした範囲から小さな範囲に注意を切り替える。瞳は最初は真正面あたりを、少し経つと見える範囲の上下左右に黒目が動き出し、さらにその外側を見るために少しだが頭も動かし始める。


 ここがお腹の外の世界であること、ジンとソフィアがそこにいてやっと会えたこと、その思いが叶ったことに自然に頬が緩み、笑むような目つきとなるマコト。それ以外でも、見える世界があまりにも明瞭であることに驚き、『うわぁぁぁぁぁぁぁ』っと心のうちで呟きながら、何もかもの真新しさに心が揺らされる。マコトの瞳はキラキラと少し潤みを帯びた状態となり、それに呼応するように纏うオーラが僅かに膨れ、ひとつひとつのきらめく感動ごとにそのオーラの片鱗が弾けたようなチラチラとしたきらめきの残滓が振りまかれる状況となっていた。


 そんなマコトの状況を見たソフィアとジンは顔を見合わせ、互いに、数時間前の出産と魔法発動の状況が脳裏にフラッシュバックする。あんな状況は今後はできるだけ回避したいとの共通認識だが、ジンは何をしたらよいかわからず狼狽え気味に視線と手をあたふたさせる。しかしソフィアはすぐにマコトを抱き上げ、顔に頬を押し当てる。そして、体全体を包み込むように胸にふんわり抱き寄せ、背中を撫でながら優しく囁く。


「大丈夫よぉ……ママもいるしパパもいるし、きっと初めて見る世界にびっくりしたのね? ゆっくりだよ。ゆっくりでいいんだよ」


 胎内に届いていた声よりも少し柔らかく優しいソフィアの声でなだめるように声をかけられたマコトは、その声の響きに安心するのか、眼を閉じて、落ち着いた心をゆっくりと取り戻していく。すると、その気持ちよさにウトウトとする手前の状態まで安らいでいく表情の変化を見せる。いつの間にか、纏うオーラもその一部が弾けた残滓のようなきらめきも、マコトの心が落ち着くことで収まっていった。


「よーしよし、いい子ねー」


 なんとかマコトの様子も収まったと思える頃、落ち着いた心持ちのマコトは、眼を見開き、視線と右手人差し指をジンに向けて声を放つ。


「ぷぁ……ぷぁ?」

「お!? そうだぞ、マコト。パパだよ」


 娘に呼ばれることが嬉しいジン。生まれたばかりなのに言葉としてもう発声できてしまうことは脅威的だが、そんなことは今はどうでもよいと、娘を愛でる気持ちを最優先する。


 幼子特有の発音の難しさは誰もが経験していくもので、そういう過程としての可愛らしさをジンもソフィアも感じていたが、肝心のマコトの認識は違っていた。


「ぷ、ぷ、ぷぷぁ……いぃぃぃぃ……」


 苛立ちの表情を見せたのだ。マコトにとっては、ソフィアやジンの話す言葉としての『パパ』と同じ響きでないこと、うまく発声できないことが我慢できなかった。マコトは、手で口を触ろうとするが、うまく手が動かせず、断念して口そのものだけで動かせる範囲に注目する。口を開けては引き締めたりして、口の操り方を探る。ちょうど『い』と『う』を交互に発声する感じだ。


「どうしたんだ? マコト。すごいぞ。ちゃんと『パパ』を呼んでいることがわかるよ」


 マコトの目線の向き先の変化から、ジンやソフィアが話すときの口の動かし方にも注目して、ひたすら自分との違いを探しているようにも見えた。


「あらあら、今はまだうまくできなくてもいいのよ? そのうちできるようになるから慌てなくても大丈夫」


 ソフィアはマコトのできるようになるための懸命な様子を見てなだめようと試みるが、当然まだ言葉は伝わらない。マコトは引き続き発声にチャレンジする。


「……ぷはぁ……ぷぁぱ?」


 すると、何か要領を見つけたのか、『パ』の発音方法にたどりついたマコト。満面の笑みを浮かべ、右手人差し指をジンに向けて『パパ』と呼んでみる。


「ぱぱ! ぱぁぱ! きゃっきゃっきゃ」


 すっかり『パパ』の呼び方をマスターしてしまったマコト。


「す、す、すごい! マコト。天才か!」


 ジンは、これ以上ないくらいの感動に浸る。と、ソフィアはこのタイミングで呼ばれないとジンに遅れをとってしまうと考え、ソフィアアピールを開始する。


「いやぁ、驚きね。ホント天才児よね? でもパパだけずるいわ。マコちゃん、ママは? ママよ?」


 ソフィアは自分を指さし『ママ』を連呼する。やや必死だ。すると直ぐにマコトは『ママ』プラクティスを開始する。


「むぁんむぁ……む……むあ……むぁま?! まま、まぁま! きゃっきゃきゃ」


 今度はそれほど苦もなく、人差し指を向けながら『まま』と言ってのけるマコト。


「やったわ、マコちゃん。偉いわねー。ありがとう」


 飛び上がりそうなほどに喜ぶソフィア。しかしマコトは既に次の問題にぶつかり難しそうな顔付きに変わる。ジンとソフィアを指さし呼称したその次に自分を指さしてみるが、自身を何と呼べばよいのかがわからなかったからだ。マコトは胎内にいたときに聞こえていた自分を指す言葉、一人称、『おれ』『ぼく』『わたし』をハッと思い起こし、自分を指さしその呼称にチャレンジする。


「ぉぃぇ……おぇ? ……ほく……ぷぉく……ぼく? ……ゎたち……ぁたち? ……むぅぅぅ」


 マコトにとって、この一人称の発音はやや難しい感じだったが、『ぼく』はなんとなくうまく言えているようにジンやソフィアには聞こえた。


「あら? まぁ? 可愛いわ、マコちゃん。『おれ』『ぼく』『わたし』を言ってみたのね? 『おれ』はちょっと違うけど、『ぼく』は響きが可愛いわね。『わたし』か『あたし』みたいな感じで言えるのが一番だけど、マコちゃん? あなたの名前から『まこ』というのでもいいのよ? 言える? 『ま・こ』って」


 それを聞いてマコトは聞き返す。


「まくぉ? ……ま、まこ?」


「そうそう『まこ』、上手よ、マコちゃん」


 ソフィアから褒められたことがなんとなくわかると、すっかり上機嫌となるマコト。自分を指さし『まこ』を連呼する。


「まこ、まこ、きゃっきゃ」


 すると続いてマコトは指さしながら、3人の名前を呼称し始める。


「ぱぱ……まま……まこ、きゃっきゃきゃっきゃ」

「ぱぱ……まま……まこ、きゃきゃきゃきゃ」


「そうよ、すごいわマコちゃん」

「さすがだマコト、すごいすごい」 


 この問答のようなやり取りは暫く繰り返されるが、マコトはもちろん、嬉しくて堪らない親ばか状態のジンとソフィアも飽きることなく続けられた。しかし生まれたばかりのマコトにとってはそれだけでもエネルギーを消耗し、お腹が減っていることに気付くと、それを何と言っていいかわからないまでも、右手の親指を口で咥える仕草を見せる。


 何かを口に入れたい仕草なのだと一瞬遅れて気付くソフィアはすぐに行動に移す。


「ああ、お腹すいちゃったのかな? おっぱいね? 出るかなぁ? ちょっと待ってて」


 そう言いながら上着を脱ぎ、服がはだけた状態から左胸を露わにして、母乳が出そうかを確認してみるソフィア。


「ああああ、今日、急に産まれちゃったから、体の準備は今一つなのかな? 少しなら出そうだけど、そんなんじゃ足りないわよね? ジン? さっき買ってきた粉ミルク作り方わかる?」


「ああ、分量と要領はもう一度確認するけど、昔甥っ子のミルク作る手伝いをしたことがあるからたぶん大丈夫」


「あら、心強いわね。わたしはいったんあげられるだけ母乳をあげてみるから、その間に準備お願いね?」


「わかった、任せて!」


 そんなやり取りの後、ソフィアはマコトをもう一度抱き直し、左胸の先にマコトの口を寄せると、待ってましたとばかりに吸い付くマコト。産んだ直後はおっぱいが出にくいこともあり、また出産予定はずっと先だったのが急遽の繰り上がりで産んでしまったことから、授乳できるかの心配をしているソフィアだった。


 しかし、そんな心配は杞憂に終わる。勢いをもって急成長したマコトと同様、それに合わせて癒しの力で強引にも間に合わせたソフィアもまた妊婦としての成長に勢いがあったようで、初授乳ながらも十分な量のおっぱいをあげることができ、げっぷをさせた後は、マコトは満足げにそのまま眠りについたようだ。


「ジン? おっぱい出るか心配だったから、せっかく作ってもらったけど、粉ミルクで作ったものは取っておけないから、捨てるしかなさそうね。ごめんね。これからも母乳主体で育てるつもりだけど、これからは出ないときにサッと作るようにしたいけど、それでいい?」


「ああ、OKだよ。今回は少しもったいなかったかもしれないけど、母乳のほうがマコトにも絶対いいし、オレの練習に使ったと思えば安いもんだよ。実際作る手際もよくなかったから、これ、あげなくてたぶん正解。次からはお湯さえあればサッと作れるよ」


 こうして、マコトの誕生初日の夜は無事に終わる……わけもなく、夜中にミルクやオムツで何度も起きる羽目になるが、睡眠不足はさておき、母子ともに健康で何のトラブルもないめでたい一日が幕を閉じる。


 赤ちゃんだから誕生日ケーキも、クリスマスイブのケーキもないが、多くのことが今日一日に凝縮されて起こったため、へとへとになりながらもなんとかやり遂げられた達成感とたくさんの幸せが封入された濃厚なこの一日だったことをジンもソフィアも深く心に刻むことだろう。

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