第26話 僕、親睦を深めるみたいです

 仕事が定時で終わり、実奈さんが予約してあるという店へ向かう。もちろん服は出社した時のものに着替え、化粧も撮影用のものを落として普段用に変えてある。彩子さんに教わったので多少は良くなったと思う。


 メンバーは僕と福江さん、実奈さんと真さん、彩子さん、仕事が終わった後に合流した典子さんだ。


 仕事終わりと思われる人の波に流されそうになりながら、福江さんに手を引かれて歩く。元々人込みは苦手だが、それにしたって人の間を抜けるのが下手すぎるとは思う。都会に慣れてくれば違うのだろうか。

 この時間も初夏になればそれなりに明るく、吹く風もほんのりと涼しい。1年でも過ごしやすい時期だと思うが、こう人が多いと息苦しく感じてしまう。それでもどうにか耐えられているのはしっかりと彼女の手を握っているからか。


「さ、着いたよ」


 実奈さんが振り返って言う。それなりに歩いた気がするが、移動しづらい時間帯であることを考慮すれば会社から近い場所だ。ビルの1階に通りに面して入口があり、そこに暖簾が架かっている。


「ここって居酒屋さんですか?」


 実奈さんに聞いたつもりが、喧噪で声が届かなかったのか返事はない。代わりに隣から声がする。


「そうよ、昔からの行きつけなの。歓迎会の予約がしてあるとか言ってたけど、こんなことだと思ったわ」


 少し呆れたように言う福江さん。


「まぁまぁ。居酒屋で夕飯食べちゃいけないってことはないし、今日はお酒は控え目にするから」


 そう言って実奈さんは引き戸を開け、先導して中に入る。

 ついて行くと、いかにも年期の入った居酒屋といった内装。実奈さんは慣れた様子で店員さんに話し、店の奥にある階段から2階へ。そこには座敷があった。


「そんじゃ適当に座って。あ、鈴君は主役だから真ん中ね」

「は、はい。それじゃあ……」


 まだ料理や飲み物は無いものの、すでにお手拭きや小皿、コップや箸が用意してあるテーブル。靴を脱いで上がり、言われるがまま窓側の真ん中へ座る。


「じゃあ私はここね」


 そう言って福江さんが僕の後ろに、僕を抱えるようにして座る。


「えっ。あの、福江さん?」

「ふふ、いいでしょ?」

「は、はい」


 嬉しそうな福江さんに拒否も出来ず流してしまう。


「新婚だけあってずいぶん仲がよろしいですね」


 典子さんは表情も変えずに言う。今日知り合った僕には、あきれているのか、イライラしているのか、見たままを率直に言っただけなのか判断がつかない。


「それはけっこうだけど、これじゃ夫というより子供かペットみたいじゃない?」


 そう言って実奈さんが肩をすくめる。


「そんなことないわよ。私はただ鈴が可愛くて仕方がないだけ」


 二人の言葉など意に介さず笑う福江さん。


「鈴くんもあんまり福ちゃん甘やかさなくていいからね」


 隣に座りつつ苦笑気味に言う彩子さん。


「はい、大丈夫です……。ちょっと恥ずかしいですけど、嬉しくもあるので」


 かなり照れ臭かったが、福江さんを擁護しなければと思い、何とか言葉を絞り出す。実際擁護にもなっていないが、僕が嫌がっていないということくらい伝わればましか。


「まだ結婚して1週間も経ってないんだし、存分にいちゃつかせてあげなよ。実奈ちゃんだって新婚のころはべったりだったじゃない」


 そう言って真さんは向かいに座る。人懐っこい実奈さんだし、新婚のころ真さんに引っ付いていたというのは想像しやすい。


「ま、半分新婚祝いみたいなもんだし、多少はしょうがないか。ね、典子ちゃん?」

「私は構いませんよ」


 実奈さんに話を振られても声色は変わらずクールな雰囲気。たぶんこの場で典子さんの感情表現が分からないのは僕だけだろうけれど。


「さて、料理はとりあず鈴君にオススメしたいやつ頼んだけど、飲み物は皆どうする?」


 実奈さんがメニューをこちらに広げる。どうみてもお酒のページだ。


「福ちゃんはいつも通りワイン?平日だしとりあえずグラスで赤?」

「いいえ、私はお茶にしてちょうだい」


 福江さんがそう言うとみんなが一斉に彼女を見る。


「は?えっ、噓でしょ?福ちゃんが飲まないなんて明日は嵐でも来るの?」

「失礼ね。これから子供を作る予定だから禁酒するの。まぁカフェインも良くないらしいけどとりあえず今日はお茶でいいわ」


 そう言って僕の頭に顔をうずめる。


「へぇー。あのいつもワイン片手だった福ちゃんがねぇ。まぁ赤ちゃん作るなら仕方ないでしょうけど、ほんとに禁酒なんてできるのかしら」


 実奈さんは驚いているのか呆れているのか。


「人聞きが悪いわね。そこまでいつでも飲んでないわ。それにとりあえず飲むのが習慣になってただけで、別に飲まなくても構わないのよ」


 こちらから表情は見えないがちょっと怒ってるのだろうか。


「まぁ福ちゃんならやると言ったらやるんじゃない?」

「お酒への依存具合は分かりませんが、福江さんが決められたことを簡単に曲げるとは思えません」


 苦笑気味の彩子さんと矢張り表情も声色もそのままの典子さん。信用していると言っていいのだろうか。


「そうだね。目的あっての禁酒ならなんとかなるんじゃない?鈴君もいるし」


 向かいに座った真さんが言う。福江さんの本気具合が伝わったのだろうか。まぁ会って日の浅い僕が言うのもなんだが、福江さんが冗談でそんなことを言うとは思えない。実際、すでに子作りは始めているわけだし、僕からもいつお酒を控えてもらうよう言おうか考えていたところだった。

 福江さんも結婚の条件に子作りを挙げていたのだから、禁酒はするつもりだったのだろう。あるいは昨日が飲み納めのつもりだったのかもしれない。


「そんじゃま、福ちゃんはリクエストどおりウーロン茶で。鈴君は?」

「ええと、僕も同じで」

「あら、遠慮しなくていいのよ?私が飲まないからって。まぁ鈴はあんまりお酒飲まないみたいだけど」


 福江さんの声が頭の上からする。遠慮したかといえばそうでもあるのだが、特に飲みたいと思わなかったのも事実。正直付き合いで嗜む程度で、あまり自分からは飲まない。それに、自分がお酒に弱い自覚もあるし、飲むと次の日寝坊する可能性が高いので平日は特に飲まないようにしていたのだ。


「そもそも普段からあまりお酒は飲まないのですが……」

「そうなんだ。まぁ無理に飲ませたりはしないけど、全然飲めないわけじゃないんでしょ?」

「そういえば家では一度も飲んでなかったわね。外食の時は飲んでたけどそんなに酔った様子はなかったし」


 酔って豹変するとか記憶が飛ぶとかそういった経験はない。かと言ってお酒に強いというわけもなく、1~2杯で足元が覚束なくなり眠くなってしまう感じ。

 しかし、絶対に飲みたくないというわけでもないし、せっかくの歓迎会なのだから1杯くらいは付き合って飲んでおくべきか。


「そうですね。お酒は弱いので明日に響くといけないかと思ったんですが……、じゃあ1杯だけ」


 とりあえず無難そうなレモンサワーにしておく。ほかの皆もそれぞれ飲み物を決めて実奈さんが注文し、一旦席につく。


「それで、鈴は初仕事どうだった?」

「なれない仕事だったのでちょっと疲れてしまいました。上手く出来ていたかも全然わからなくって」


 苦笑して福江さんに答える。実際今までやってきた仕事ほど体を動かしてはいないはずだが、言い知れぬ疲労感があった。


「十分上手だったわよ。変な癖も無かったし、飲み込みも早かったと思うわ。ねぇ?」

「そうだね。可愛らしいしぐさも板についてたし。……本当は女の子だとかないよね?」

「違いますよ。正真正銘おじさんです」


 真さんが割と真剣に聞いてきたので強めに否定してしまった。見た目は服や化粧のおかげで少女のようにしてもらっているが、しぐさが女の子っぽいというのは心外だ。


「疑ってるわけじゃないけど、鈴君の男だった時の写真って無い?」

「免許証でよければありますが。それに今でも男ですよ……」


 そう言ってポーチの財布から免許証を取り出す。


「えっ、見てもいいの?」


 個人情報ではあるが、別に見られて困るものでもないので、どうぞと免許証を渡す。


「あら可愛い」

「えっ……」


 思わず声が漏れる。化粧もしていない、服装も男の恰好の写真である。


「生年月日は確かに39歳だけど、写真は美人すぎて性別も年齢もわからないわね。下手したら10代の女の子でも通るわ」

「さすがにそれはないでしょう」


 苦笑して返したが、存外実奈さんは真剣だ。今までももしや周りからそんな目で見られていた可能性があるというのか。ショックだ。

 実奈さんが周りに見せてもいいか聞くのでどうぞと返す。他の皆にも見てもらって実奈さんが大げさなだけだと証明してほしい。


「これはすごいね。それなりに長いことカメラマンしてるけど、このレベルは女性でもなかなかいないよ」

「ほんとね。アイドルでもなってれば今頃大成してたんじゃない?」


 いやいや。真さんも彩子さんも大げさである。


「なるほど。この写真だけではどこを見てもおじさんの要素はありませんね」


 真顔でそんなことを言う典子さん。いや、元から表情も声色も変わっていないけれど。


「これでも普通のおじさんとして生きて来たんですよ」


 見終わった免許証を仕舞いながら言う。ちょっと泣きそう。


「今までだって美形だって周りから言われなかった?」

「年配の方から言われたことは何度か。お世辞だと思ってましたが」


 正社員だったころの仕事で工場見学に来た老人会の方々を案内したことがあるが、ご婦人方から美人さんとしきりに言われた。片親だったため、小さい時に父が居ない時は、今は亡き祖父に面倒を見てもらっていた。そのおかげか老人受けは良い方だと自負していたしそのせいだと思っていた。

 そもそも鏡で見慣れた自分の顔である。周囲と比べて特段美形だとか中性的だとか考えたこともなかった。


「もしかして鈴君、自分がどれだけ顔が良いか自覚してない?」

 彩子さんが半ば呆れたようにこちらをのぞき込む。


「ええと、主観で美人かどうかくらいは分かるんですけど、正直顔の美醜がどのくらいのレベルかなんて気にしたことも無くて」


 何分活字がメインの趣味で、ビジュアルについてもゲームだの漫画だのアニメだの2次元が主だった。俳優とかモデルとか3次元は守備範囲外だったわけだ。ついでに、自分の顔をそういった人たちと比べるなんておこがましいことは思い付きもしなかった。


「あー。まぁ一口に顔の良し悪しって言ってもいろいろあるからね。でも、自分の顔が良いってのはなんとなくわかってたでしょ?」


 実奈さんが苦笑して言う。


「実は僕、自分の顔に自信がないんですよ。童顔すぎて男らしくみられないって」

「ウソでしょ?」

「ほんとですよ。福江さんと結婚するまで、女性と付き合ったことも1度もなくて。顔のせいで自分に自信もつかなくて、積極的になんてなれなかったもので。だから、顔が良いって褒めていただいても、半信半疑といいますか」


 言っていて苦笑いしてしまう。少し前なら自分からこんなことは言えなかっただろう。こんな風に冗談めかして言えているのは福江さんのおかげである。


「はぁ。なるほどね。確かに中性的な美人だから男らしくはないわ。まぁ、だからこそ今の服だってこんなに似合ってるんだけどね」


 実奈さんの言葉にみんなも頷いている。褒められているのは嬉しいと思う反面、この服が似合ってしまう自分がちょっと悲しくもある。こればかりは気持ちの問題だからそう簡単に変わりはしないと思う。


「ありがとうございます。褒めてもらって恐縮なんですが、男の、しかもこの歳で着ているのはブランドのファンの方に申し訳ないって気持ちもあって。福江さんの言うように、性別も年齢も関係なく着こなすってところにはほど遠いですね」

「福ちゃんそんなこと言ったんだ。ていうか、年齢の話はナシよ。そんなこと言ったらアラフォーに突っ込んじゃった私が着るのも相当ヤバイんだから。女子大生のつばさちゃんだってギリって言ってたくらいだし、服のモデルなんだからその辺は気にしちゃだめよ。それに男でこれだけ似合う人なんて滅多にいないんだからそこは胸張っていいとこよ」

「そ、そうですかね」


 実奈さんは真剣に言ってくれたが、そこを素直に肯定してしまうとちょっとナルシストみたいな気がしてなかなか受け入れ難い。


「鈴はあんまり人から褒められた経験ないのかしら?」

「そうですね。あんまり覚えがないです」


 まったく無いわけではない。が、成功してすごく褒められたことは?と思い返してもちょっと考えつかない。


「うーん、社会人になって面と向かって褒められるってことあんまりないかもしれないけれど、それにしたって鈴君はちょっと自信喪失しすぎな感じだね」

「鈴君なら顔も性格も良いし可愛がられそうだけど、逆に嫉妬されていじめられちゃうのかもね。真面目すぎて要領良く立ち回れなさそうだし」


 真さんと彩子さんが心配そうに言ってくれる。


「それではちょっとした事でもたくさん褒めるというのはどうでしょう?自己肯定感も上がるのでは」

「いいわねそれ。鈴なら褒めるとこなんていっぱいあるし」

「や、やめてください。あんまり褒められすぎても居心地が悪いです」


 典子さんの提案に福江さんが乗り気すぎてあわてて止める。放っておいたらとんでもなく甘やかされそうだ。


「まぁ身内がめちゃくちゃ褒めるよりもうちょっとやりようがありそうだけどね」


 実奈さんが苦笑する。

 その時実奈さんの後ろの襖から声がして、開くと店員さんが飲み物と料理を持ってきてくれていた。実奈さんと真さんが受け取り、みんなでテーブルへ並べていく。

 飲み物がそれぞれに行き渡ったところで実奈さんが口を開く。


「さて、それじゃ福ちゃんと鈴君の結婚と、鈴君のWitchwinck入社を祝って、カンパーイ!」


 みんなでグラスを掲げた。なんだかこんな賑やかな集まりに居るのは新鮮な感じがする。

 一応、正社員だったころの仕事で、会社の飲み会に行くこともあったにはあったが、自分は接待役、年齢的に出来て当たり前で出来なければお説教という楽しいとかそういう雰囲気とは無縁のものだった。

 まぁ今回は会社の同僚というより友人の集まりといった感じなので違って当たり前なのだが、自分がこういう場で楽しくお喋りしているのは不思議な感覚だ。

 それから各々食事に手を付け始める。どれも良い味だ。福江さんと二人で行ったディナーも美味しかったのだが、やはり自分はこういう庶民的な料理のほうが性に合っている気がする。


「鈴君、これオススメだよ。食べてみて」

「はい。……、ん。ほんとだ、おいしいです」

「鈴、私にもちょうだい。あーん」

「あ、えっ。は、はい。どうぞ」


 言われるがまま、福江さんに食べさせる。


「ん、おいしい。ありがと」


 そう言って僕の頭をなでる彼女。


「鈴さんはしぐさも可愛らしいですね。そういう感じが男性受けするのでしょうか」

「えっ!?い、いえそれは分かりませんけど、僕そんな風でしたか?」


 驚いて典子さんの方を見る。


「ええ。鈴さんはそういった振る舞いも練習されたのですか?」


 そう言われてとっさに首を振る。


「ま、まさか。無意識で……。すみません、気持ち悪いですよね」

「全然気持ち悪くなんてないわよ。むしろ自然でまったく違和感なかったわ」


 彩子さんが笑う。そんな風に言われてもどう反応したらいいのかわからない。


「ええと、恐縮です」

「そういうのは性格とかが出るもんだからね。鈴君はおとなしくて控え目なのが可愛らしい見た目とマッチしてるんでしょ。無理に作ろうとするとかえっておかしくなるし、モデルのポーズじゃないんだから意識するもんじゃないと思うわ」

「そういうものでしょうか」


 実奈さんの言葉に典子さんは腑に落ちないといった感じ。いや、表情や声色は変わらないけどなんとなく。今のは会話の流れから多少わかりやすかったかも。


「典子ちゃんの婚活の手伝いも本腰入れて考えないとね」


 頭の上から声。


「ええ。ありがたいのですが、その……」


 典子さんにしては歯切れの悪い返事。


「何か心配な所とかある?好みとか要望があったら聞いておきたいわね」 

「探していただけるのはありがたいのですが、その、福江さんが連れてこられる方というと癖が強そうな気がしまして。私が言うのもなんですが」

「あー。なんかわかるかも」


 実奈さんが苦笑する。自分は会社の人とも今日初めて会ったばかりなので、癖の強さというのがどれほどかはよくわからない。まぁ、男でこの姿の自分は外見的には相当な癖の強さだと思う。我が身ながら、客観的に見ると少し引いてしまう。

 もっとも、今一緒にいる方は個性的ながら優しい人ばかりなので、福江さんの人を見る目は確かなのだろうとは思う。


「別に癖とか個性とかそんなとこで人を見てはいないわよ。誰だってその人の持ち味ってものがあるでしょう。私はのびのびやってほしいって方針だから、普段人に見せないとこまで出ちゃって癖が強いって感じちゃうんじゃないの?」

「たしかに。福ちゃんは人の個性引き出すのが上手いよね。社会人ならなんだかんだ我慢しなきゃならないとこ多いけど、ガス抜きというか、そういうストレス減らしてくれる感じというかさ。起業してまだ5年とはいえ離職者無しってのはすごいと思うよ」


 そう言ってグラスに口を付ける真さん。離職者が居ないというのは初耳だ。自分は何度か転職しているが、どこもそれなりに離職者はいた。早ければ1年持たずに人が辞めていく会社もあったくらいだ。5年も離職者がいないというのは相当すごいと思う。


「ま、最終判断は典子ちゃん自身だからさ。よさそうな人探してみるから見つかってから判断してみて」

「そうですね。まだお相手も居ないのに悩んでも仕方ありませんよね」


 そう言ってグラスを煽る典子さん。ちょっと深酒しないか心配だ。

 ふと気づくと自分も思ったよりお酒が進んでいたらしく、グラスが氷だけになっている。


「あら?鈴、飲み物無くなってるわね。おかわりもらう?」

「ええと、そうですね。それじゃあ……」

「オッケー。じゃあおかわり頼むね。ここはレモンサワーおかわりだと同じグラスに作ってくれて、レモンの輪切りが増えてくのよ。あ、他になんか頼む人いる?」


 そういって実奈さんは僕のグラスを取り、みんなから追加注文を聞く。


「すみません。先ほどから注文をお願いしてしまって」

「ふふ、いいのよ。こういうの好きだし。遠慮しなくていいからね」

「鈴、気をつけなさい。実奈は仕切るの好きなのは本当だけど、注文受けながらみんなの飲む量計ってたりするから。油断すると酔わされて言わなくていいことまで喋らされたりするから」

「やぁね。そこまですることなんてそんなにないわよ」


 表情は見えないが福江さんが冗談めかしたように言ったことを笑って返す実奈さん。しかし、そんなにということは実際にすることもあるのか。場慣れしていない上に押しに弱い自分などひとたまりもなさそうだ。

 注文したものは間もなく届き、僕も2杯目に口をつける。実奈さんが言っていたとおり、グラスのレモンが2枚になっていた。しかし、まだ月曜日で、明日も仕事なのだ。ここらで止めておかないと明日寝坊確定になりそう。


「と、とりあえずお酒はここまでにしておきますね」

「遠慮しなくていいよ?どうせ支払いは福ちゃんだし」

「あなたねぇ……。まぁ払うけど、鈴とは夫婦なんだから鈴の財布でもあるんだからね」

「あぁ、そういやそうか。しゃあない。今日は鈴君のぷち歓迎会だしうちで持つわ。ね、真君」

「あぁ、うん。大丈夫だよ」


 急に振られてちょっと驚いた様子だった真さんだが、すぐ指でOKサインを出す。


「あぁ、ええとすみません。支払いの心配ではなくて、僕お酒弱いので明日に響くとまずいですし」


 なんだか支払いを押し付けたみたいになってあわてて手を振って言う。


「そっか。で、鈴君って酔うとどうなるの?」

「前飲んでた時はそんなに変わった様子はなかったわね。顔は赤くなってたけど態度とかはそのままだったし」

「まぁ、性格が変わるとかはないですね。ちょっとふらついたりすぐ眠くなっちゃったりする感じで。あと、次の日寝坊しちゃうので仕事がある時はあんまり飲まないようにしてるんです。もしここで寝ちゃったら大変ですし」


 そう言ってグラスに口をつける。思ったより喋っているせいか、つい無意識に飲んでしまう。この調子で3杯、4杯と行くとまずい。


「別に気にしなくていいわよ。寝ちゃったら私がおぶって行けばいいし。鈴が私を運べって言ったら大変でしょうけど、私が鈴を運ぶ分にはそんなに大変じゃないから」

「いえ、福江さんにそこまでしてもらうわけには……」


 少し振り向いて言う。表情が見えないと少し不安になる。


「いいじゃないの、夫婦なんだから」


 そう言ってぎゅっと抱きしめてくる彼女。体格的には福江さんのほうが圧倒的なのだから彼女が自分を背負う方が楽なのはわかる。男としてはなさけないが納得するしかない。


「そういや、ちょっと気になったんだけど、鈴君ってしゃべり方とか福ちゃんの呼び方とか、普段からそんな感じなの?二人の時も?」


 ビクリと体がこわばる。実奈さんの何気ない言葉に、背筋に冷や汗が。


「そうね。会った時からこんな感じだったわよ」


 福江さんは気にしていないよう。


「そっか。普段から敬語使っちゃうタイプ?典子ちゃんみたいに」

「ええと、まぁそうですね」

「そっちのが喋りやすいって感じ?でもちょっと他人行儀だし砕けた喋り方でもいいんだよ。特に福ちゃんとは夫婦なんだし、私らも鈴君より年下だからね」


 そういわれるとより、後ろめたい気持ちが湧いてくる。僕が砕けた話し方をする相手は父と親友くらいだ。年下だろうが、後輩だろうが、敬語で話してきた。

 別にどんな相手でも敬意を払おうとか丁寧に対応しようというわけではない。親しくない相手だと精神的に距離感を感じてついそういう話し方になってしまうだけだ。

 それが、今親睦を深めようとしてくれている皆や、出会って1週間とはいえもう夫婦になった福江さんに、言葉で距離を置いているようで悪いことをしているような気になってしまう。


「別に私は気にしないわ。鈴の話しやすいようになさいな」


 福江さんがそう言ってくれる。砕けた話し方は慣れないこともあるのだが、歩み寄るタイミングを逃していたのも事実。踏み出すなら今か。


「それじゃあ、あの……。僕も、福ちゃんって呼んでも……?」


 少し後ろへ首を上げつつなんとか言葉を絞り出す。よわい39にもなって情けないが、こんなことは初めてなのだ。


「もちろんよ。嬉しいわ鈴」


 そう言って僕の頭を優しく何度も撫でる。表情は見えないが本当に嬉しそうな声。


「おぅ。福ちゃんが見たことないくらい笑ってる」


 なぜか実奈さんは若干引き気味。他の皆も頷く。


「あの、ええと、喋り方も変えていきたいけど、あんまり慣れないから、おかしかったらごめんね」

「いいのよ。鈴の話したいように話して。おかしいなんて私が言わせないから」


 実に嬉しそうに言いながら撫で続ける彼女。


「いやぁ、鈴君はすごいねぇ」


 そうつぶやいた真さんに皆がまたしても頷く。


「ええと、僕の何がすごいんで――のかな?」

「そりゃもういろいろ」


 今度は実奈さんの言葉に頷きが返ってくる。

 妻の撫でる手は止まらない。

 なんだか腑に落ちない自分だけ取り残された気持ちのまま、夜は更けて行った。

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