第六話

 しばらくそんなことをしていると、村長が家にやってきた。

 村長は、父と旦那様が肩を叩き合いながら笑っているのを見て、ひどく慌てふためいた。


「な、何を親しげにしてるなだ!? この方はァ、東京の高官さまでいらっしゃるなだ。そだな風に気軽に接してよいお方ではない!」

「あ……」


 その言葉を聞いて父が顔を青くした。

 すると、旦那様が眉を顰めた。


「村長」

「はい!」

「なぜ、俺が世話になっている秘書のご両親と親しくしてはいけないのだ?」

「は?」


 旦那様は声を低くして村長を睨んだ。


「は、しかし……」

「貴殿は、留殿のご両親に対し随分と無礼だな。何か勘違いしておらぬか? 此度の視察は留殿の育った環境を知ることも大事な目的だ。留殿は頭がよく、読み書きが出来るだけでなく、字もとても美しく、おかげで俺の仕事もずいぶんはかどっている。この上もなく優秀な助手なのだ。日本にとって、なくてはならない人物なのだぞ」

「え、そ、そうでございましたか。私はてっきり、その……」

「その顔を見るに、俺が妾と旅行に来たとでも思っていたな? ……下衆な想像をする男だ」


 旦那様は屈辱に怒りを露わにした。


「いいか? 留殿は、この俺が、身の回りの世話も出来る優秀な人材を探させ、ようやく見つけた助手なのだ。東京の女では、政敵の息がかかっているかもしれないからな」

「は、はいっ!」

「それが今や、いなくてはならぬ優秀な秘書になった。今も、国のために身を粉にして働いてくれている! 決して貴殿の想像するような間柄ではない! この無礼ものめが!」


 旦那様は嘘八百を並べ立てた。

 しかし、村長はすっかり恐縮してしまって、ただ鳥のように頭を下げ続けた。


「そのように育てたのが、こちらのご両親であろう? 留殿が、生まれの土地の村長がとても教育に理解のある者だと言うので、こうしてはるばる視察しに来てみれば……とんだ不興だ!」


 旦那様は顔を真っ赤にして怒り狂った。

 あたしはといえば、旦那様があまりに嘘がお上手なので、すっかり呆れてしまっていた。


「この分だと、ご両親もずいぶん苦労されたのだろう。気に入らん。貧しい国民の為の政治家ではないのか」


 旦那様はそう言って、父に向かって言った。


「お父上、大変申し訳ないのだが、この土地に滞在する二日間、この家のご厄介になりたいのだが、構わないだろうか」

「ええっ、しかし、鳴滝様、私の家はごらんの通り、決して綺麗どは言えねのですが……」


 父がそう言って慌てて断ろうとする。


「鳴滝殿! お泊まりになるのなら、私どもで、この村で一番立派なお宿をご用意しでおりますがら!」


 村長もそう言って旦那様を引き止める。

 しかし、旦那様は首を振って言った。


「俺に立派な宿など必要ない。政治に必要なのは、国民だ。そうやって俺のような政治家に無駄な金を使うくらいならば、なぜもっと貧しい者のために使わない?」

「し、しかし、鳴滝様……」

「俺は、ここに泊まると決めた。貴殿の世話にはならぬ」


 あたしはさすがに申し訳なくなり、旦那様に申し上げた。


「鳴滝様、どうかお気を悪くなさらないで下さい。この村では、女子供が売られてゆくことがとても多かったのです。留がそう見られるのは無理もないことですし、それに……村長様は、留がこの村にいる間、とても親切にしてくださったのです」


 すると旦那様は、他の者に見えないように、あたしに「にっ」と笑いかけた。


 ──そんなことはわかっている。これはすべて演技だ。


 目だけであたしにそう仰った。


「む……そうであったか。留殿が言うのならば、間違いないのだろう。旅の疲れで気が立って、申し訳ないことを言ってしまった。村長、非礼を詫びる」


 そう言って、旦那様は村長に横柄な態度で謝罪してみせた。

 村長は慌てふためいて、頭を下げた。


「とんでもないっし! ただ私は、鳴滝殿に少しでも喜んでいだだごうど……」


 すると旦那様は言った。


「それなんだが、村長」

「はっ」

「俺は、ずっと、こんなに素晴らしい人材を育てたご両親はどんな立派な方なのだろうと想像していたが、実は今少し話して、すっかり意気投合してしまってな」

「はぁ」

「良ければ、貴殿の用意したという歓迎会とやらに、留殿のご両親や弟君も一緒に行っても良いだろうか」

「は、それはもう!」


 村長が何度も頭を下げて言った。


 それでなくとも恐ろしげな旦那様が怒りをあらわにしたのだから、きっと先ほどまでの村長の恐怖は並みのものではなかっただろう。

 その分、こうして態度が柔らかくなると、もう何もかも言いなりだった。


 何度も頭を下げながら村長が去ってゆくと、あたしは小声で旦那様に言った。


「……本当に、旦那様は恐ろしいお方です」


 旦那様はそれを聞いて、大笑いされた。

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