寺生まれのトリシャはすべてを「破ァ!」で解決する

岡崎マサムネ

寺生まれのトリシャはすべてを「破ァ!」で解決する

 目が覚めたわたくしは、いつものように起き上がれないことに気がつきました。

 唯一動かせる目だけを動かして、周囲を確認します。


 なるほど、身体が動かないわけですね。

 それもそのはず。だって、ものすごいが、憑いていますもの。


 見慣れない天井。視界に入る豪華な照明だけでも、わたくしの自宅ではないことが分かります。蛍光灯でもないし、電気の紐もありません。

 美術の教科書に載っている、外国の美術館のようなお部屋……いえ、お屋敷、でしょうか。


 突然どうして覚えのない天井が広がっているのか。それよりもよほど気にかかるのが、屋敷に充満する瘴気です。まともな人間なら数日もすれば衰弱して倒れてしまうでしょう。


 重い身体を何とか動かして、のろのろと印を結び、そして。


「破ァ!!!!!」


 しました。


 途端にわたくしの身体にまとわりついていた瘴気が吹き飛びました。

 素早く印を結び直して、自分の周りに結界を貼ります。寺生まれで助かりました。


 部屋の中の姿見で自分の姿を確認します。

 金髪の女の子が写っていました。黒髪黒目のわたくしの姿とは似ても似つかない姿。それなのにわたくしが動くと、鏡の中の女の子も動く。


 なるほど、なるほど。

 どうやらわたくしはこの金髪の女の子に憑依しているようでした。


 こうなる直前の記憶を思い出します。

 退治する寸前まで追い込んだあの妖怪、禍々しい気を放っていました。

 魂に触れられそうになって……そこで、意識が途切れています。


 大方魂を掴み出されて、時空の裂け目に放り込まれて、並行世界にでも流れついたのでしょう。

 あの深傷では妖怪の方もほどなくして事切れたはず。魂の抜けたわたくしの身体はきっと、父上の部下たちが回収してくれることでしょうから、心配は無用です。


 とりあえず目下の問題は、この屋敷でしょう。

 ぐるりと首を巡らせます。結界がなければ立っていられないほどの怨霊に、瘴気。そして餓鬼とがしゃどくろがうようよしています。

 これではまともに暮らせるはずがありません。


 おそらくこの屋敷が建っている土地がよくない。早急に浄化して妖怪たちを退治しなくては。

 時空の裂け目を見つければ元いた世界に戻れるかもしれませんが、拠点がこれではとても落ち着いて探せません。


 部屋を出て廊下を歩いて、人の姿を見つけました。

 変わった服装の年若い女性です。


 以前妖怪退治の仕事で行った秋葉原で見かけた、ええと。いわゆる、メイドというやつでしょうか。

 あまり俗世間に触れてはならないと言われて育ってしまったために、世の中のことに明るくないのですが。


「すみません、少しお聞きしたいのですが」

「お、お嬢様!?」


 声をかけると、その女性が飛び上がって悲鳴のように叫びました。まるで幽霊でも見たかのようです。


 お嬢様、ということは、この身体の持ち主は、この屋敷の主人の娘なのでしょう。

 目の前の女性の顔をまじまじと見ます。姿勢が悪くて、背中が丸まってしまっています。


 わたくしと同じくらいの年頃のはずなのに、いくぶんくたびれて見えました。目の下にはクマが出来ていて、怯えているような、驚いているような顔をしていました。


 そしてその肩に、視線を移します。

 それはやつれてしまうでしょう。肩には餓鬼が3匹もへばりついていたのです。


「目を覚まされたんですね!! ああ、よかった……」


 歩み寄ってきた女性の肩に触れました。

 そして。


「破ァ!!」


 しました。


 女性の肩に乗っていた餓鬼が弾き飛ばされ、しゅうしゅうと煙となって消えていきました。

 急に声を上げたわたくしにぽかんとしていた女性が、はっと我に帰って、きょろきょろと自分の背後を振り返ります。


「あ、あれ? 肩が、軽く……」

「憑いていたものを祓っただけです」


 わたくしの言葉に、女性は不思議そうに目を瞬いていました。

 素早く印を結んで、女性の周囲にも簡単な結界を張ります。ですがこの瘴気では、わたくしから離れたら長くは持たないでしょう。


「この近くの龍脈は、どこに?」

「りゅうみゃく?」

「祠や神社があるところは?」

「す、すみません、アリサ、田舎から出てきたばっかりで」


 女性がキツネに摘まれたような顔で首を傾げます。

 ふむ。周囲を見回すと、この屋敷は何となく西洋風の作りのようです。


 となると、この並行世界には祠も神社も、ないのかもしれません。

 あるのは教会でしょうか。


「この屋敷のことに詳しい方は?」

「だ、旦那様が一番、詳しいと思いますが」

「ではその方のところへ案内してください」

「ですが、」


 女性が、言いにくそうに言葉を切ります。

 旦那様というからには、この身体の持ち主の父親のはず。


 出来損ないとして生まれたわたくしも、父上とあまり顔を合わせることはありませんでした。

 この身体の持ち主にも、同じような事情があるのでしょうか。


「その、旦那様は、症状がひどく……病が移るから近づいてはならないと」

「かまいません」


 渋る女性をせっついて、その旦那様とやらのところへ案内させました。

 そこはわたくしが最初に目覚めた部屋よりも広くて豪華で、確かに屋敷の主人の寝室として適切に感じます。


 そこに寝かされている壮年の男は、ひどく痩せ細っていて、額には脂汗が浮かんでいました。顔色も悪く、持ってあと数日という様相です。

 がしゃどくろがその身体を抱きしめて……男が死ぬのを、今か今かと待ち侘びていました。


 あまりに穢れた気に、口元を袖で覆います。ひらひらしていて動きにくい服だと思いましたが、こういう利点があるのですね。


 片手で印を切り、そして。


「破ァ!!」


 しました。


 がしゃどくろがガラガラと崩れ落ちていきます。放たれた呪詛を弾き返すと、部屋の中にいた怨霊たちも蜘蛛の子を散らしたように逃げていきました。


 がしゃどくろも餓鬼も怨霊も、もとは人間だった者が悪しき気によって変容したもの。

 つまり、この土地で多くの命が奪われたことを示唆しています。


 部屋を浄化するための結界を張ったところで、わずかに顔色がよくなった屋敷の主人に問いかけます。


「何か恨みを買うようなことをなさったことは?」

「トリシャ、か?」


 咳き込みながら、屋敷の主人がわたくしを呼びました。

 どうやらこの身体の……今わたくしが憑依している娘の名前は、トリシャというようです。


「わ、私では、ないが……お祖父様は、この領地を手に入れる時に……ここに居を構えていた一族を滅ぼした」


 この壮年の男のお祖父様、ということは、何十年も前の話でしょう。

 長い間十分に対処されないうちに膨れ上がってしまったのが今の有様、ということでしょう。


「ひどい領主で、領民からの搾取や虐殺など、暴虐の限りを尽くしており……国王陛下からの命を受けて、お祖父様が討伐を成し遂げたと」

「なるほど」


 わたくしは頷きます。

 おそらくその領主への恨みがこの土地に染み付く悪い気……瘴気となり、さらに多くの血が流れたことでより物怪や怨霊が生じやすい環境を作ってしまった、ということです。


 しかし、通常であればここまで悪い気が溜まるとは考えにくい。気とは本来流れていくもの。

 風化も移ろいもせずに溜まっていくのは、何か原因があるはずです。


「この近くに気の流れる場所や、聖域とされるような場所は?」

「そ、そんなもの、……」


 ない、と言いかけて、屋敷の主人がはっと息を飲みました。


「遠い昔、川を埋め立てた場所があると」

「場所は」

「その者に案内させる。君、地図を」

「は、はいっ!」


 ◇ ◇ ◇


 メイドの女性の案内で、屋敷の裏の森、その行き止まりに案内されました。


 そもそも行き止まりというのは風水上よくありません。本来であればどんな土地でも、必ず行き違うように道が作られているはずなのですが。


 地面に手を当てます。

 確かにここには、気の流れがあった、のでしょう。それを屋敷と森が堰き止めて、吹き溜まりになってしまっている。

 だからこの龍脈を活性化させれば……


 すばやく印を結ぶと。


「破ァ!」


 しました。


 地鳴りが聞こえたかと思うと、地面が大きく揺れました。

 そして地割れが起き……その中から、巨大な蛇のような姿の龍神が、姿を現します。


「ぎ、ぎゃー!!!!!」


 女性が叫びました。


 この並行世界、どこか西洋風だと思っていましたけれど、妖怪も怨霊も龍神も、姿かたちはわたくしが日本で見てきたものと同じです。

 修行の折、わたくしに見えているのはあくまで、そこにある気や念をわたくしが知覚しやすい形に置き換えたものだと聞きました。

 だからこそ視覚だけに頼ってはならないと、それが父上の教えでした。


 ですからもしかすると、わたくしとこの女性とでは、見えている景色が違うのかもしれませんね。


 女性がわたくしの前にまろび出て、まるでわたくしを守るように両手を広げました。その手には、拾ったと思しき木の棒が握られていました。


 思わず目を瞬きます。だってわたくしは、妖たちから街の人を守るための存在で――こうして誰かに守られることなど、ありませんでしたから。


「落ち着いてください。龍神です」


 龍神は空に向けて大きな咆哮を上げると、わたくしの横をすり抜けて、屋敷の向こうのほうへと飛び立っていきました。


 ここの龍脈が埋め立てられて苦しんでいたのでしょう。これで溜まっていた悪い気も流れ始めるはず。

 あとは家の中の妖と怨霊を追い出して、屋敷を清めれば問題は解決するでしょう。


 家に戻ってお祓いを済ませ、屋敷の鬼門に盛り塩をすると、予想通りあっという間に気の流れが出来上がりました。


 瘴気が晴れて、やっと結界なしでもまともに呼吸できるようになります。

 状況を説明するために屋敷の主人の元へと向かうと、そこには先ほどの壮年の男性と、同じくらいの年頃の女性が寄り添いあっていました。


 わたくしと……このトリシャという娘と、どこか、似ている女性です。きっと、屋敷の主人の妻……トリシャの母親なのでしょう。


 わたくしの姿を見つけると、二人はわたくしに手招きしました。

 一瞬、身体がこわばりました。

 手順は間違えていないはずだけれど……父上が見ていたら、一体何と仰るか。それを考えると、気分が落ち込みます。


 覚悟を決めて歩み寄ったわたくしを、屋敷の主人とその妻が、やさしく抱き寄せました。


「おお、トリシャよ……よくぞこの領地を救ってくれた」

「ええ、本当に」


 二人は涙を流しながら、わたくしを抱きしめました。やさしく背中を撫でて、ありがとうと、そう言いました。

 わたくしは驚いてしまって、何も言葉が出てきません。


 父上に褒められることなど、ついぞありませんでしたから。

 母上に抱きしめられることなど、ついぞありませんでしたから。


 生きている人間があたたかいのだということを、わたくしは初めて知りました。


 ◇ ◇ ◇


 わたくしは、気づいたらベッドに寝かされていました。

 どうやら両親に抱きしめられたまま、気を失っていたようです。


 聞いたところによるとここ数日ずっと寝込んでいたそうで、そこで急に動いたものだから肉体の限界が来たのではということでした。


 修行では何日も寝ずに山の中を歩いたというのに、この体はずいぶんと軟弱のようのです。

 まぁ、あれだけの瘴気の中にいたのだから、衰弱するのはやむを得ないかもしれません。


「トリシャ様ぁ、よかったですねぇ!!」

「え、ええ。ありがとう、ございます? ええと」

「アリサですよぅ!」

「はい、アリサさん」


 メイドの女性……アリサさんが、わたくしのベッドに食事を運んでくれました。

 細かく刻んだ野菜のスープと、パンです。


 それを口に含んで、咳き込みました。

 この、スープ、味が濃い。


「だ、大丈夫ですか?! 消化に悪いといけないので、具にはチキン入れないでもらったんですけど、」


 その言葉に、口元を覆います。

 精進料理しか口にしてはいけないと、厳しく言われていたのに。


 子どもの頃の記憶が蘇ります。

 友達の家に招かれて、夕飯をご馳走になって。

 それが食べたことがないくらいおいしくて、嬉しくなってついその時のことをお手伝いさんに話したら、食べたものを戻すように言われて……一晩中、蔵から出してもらえなかった。


 ただでさえ低い霊力が、弱まるからと。


「トリシャ様!」


 気づくと、アリサさんに抱きしめられていました。

 アリサさんはやさしくわたくしの背を撫でます。

 そうすると、身体の震えが徐々におさまっていきました。


「大丈夫ですか?」


 アリサさんが、わたくしの瞳を覗き込みます。

 そしてそっと肩を支えながら、言いました。


「急に食べて、身体がびっくりしちゃいましたよね。昔弟が風邪引いた時もそうでした」

「いえ、わたくしは」

「もししょっぱいのがダメなら、甘いものはどうですか?」


 アリサさんがエプロンのポケットから、小さな紙の包みを取り出しました。

 そしてそれを、わたくしの手のひらに載せます。


「ヌガーです。貰い物ですけど」

「あの、わたくし、嗜好品は……」

「?」


 アリサさんが不思議そうに首を傾げます。

 嗜好品なんて口にしたら、穢れが溜まる。常に節制して、己を律して、修行に励まなくてはならない。そう言われて育ったのです。


「嗜好品を口にすると、神聖な力が、弱まると」

「ちから?」

「神仏がくださる、ご加護のような……」

「何だ、そんなことですか」


 わたくしの言葉に、アリサさんが呆れたようにため息をつきました。


 そんな、こと?

 そんなことだなんて、とんでもない。

 これ以上大切なことなどないくらい、大切なことだと、わたくしは教わってきたのに。


「トリシャ様は今身体が弱ってるんですから、食べれるものをなんでも食べないと!」

「ですが」

「神様だってきっと、トリシャ様が元気な方が嬉しいですよ!」

「え」

「だって神様ですもの、みんなが元気で仲良くしてほしいって思ってるに決まってます!」


 アリサさんが、自信たっぷりに言いました。

 何故でしょう。

 その言葉が不思議と、すぅっと胸の内に、しみ込んだのです。


「あたしはここに来てまだちょっとしか経ってないから元気ですけど、使用人も旦那様も奥様も、みんな元気ないんですもん。これじゃ神様だって心配しますよ」


 だからほら、と急かされて、わたくしはアリサさんに渡された包み紙を剥がして、ヌガーを口に含みました。


「…………甘いです」


 ぽつりと零したわたくしに、アリサさんはにっこり笑って言いました。


「でしょ!」


 ◇ ◇ ◇


 瘴気の影響がなくなり、父上と母上――あくまで、トリシャの、ですが――も、古くからこの家に仕えていた使用人たちも元気になって、屋敷に活気が戻ってきました。

 領民たちが出入りするようになり、どうして急に問題が解決したのかと不思議そうにしていたので、簡単に事情を説明します。


 すると一人の領民が、おずおずとわたくしのところへやってきました。


「トリシャ様。実は近所の川で、どうにも人間の仕業とは思えねぇことが起きててな」


 川、という言葉に思考を巡らせます。

 川や水辺は、この世とあの世の境界になることもあります。古来より、妖怪の集まりやすい場所として知られています。


「川で魚を取ったり水路を舟で通っていると、急に進みが悪くなったり、突然舟底に穴が空いたり」

「それは河童の仕業ですね」

「か、かっぱ?」


 ぽかんとしている領民に案内させて、川に出向きました。予想通り、河原でのんびりしている河童を発見したので、相撲を挑んで。


「破ァ!」


 しました。


 尻子玉を抜いてやると、それから河童は悪さをしなくなりました。

 領民たちはたいそう驚いていましたが、問題が解決したことをとても喜び、わたくしにお礼を言いました。


 面と向かって誰かにお礼を言われることに慣れていないわたくしは、上手に対応できませんでしたが……それからというもの、わたくしのところに次々と、怪奇現象に悩まされる人々が訪れるようになりました。


「子どもを背負う夢を見てから、身体が毎日どんどん重くなっていて……」

「それは子泣き爺の仕業ですね」

「こな、何?」


 その女性の肩にへばりついている妖怪目掛けて。


「破ァ!」


 しました。

 そして子泣き爺をスカーフでぐるぐる巻きに包んでやると、やがて満足げに去っていきました。


「この街道を歩くと何故か足元をふわふわした何かにこすられるような気がして、」

「それはすねこすりの仕業ですね」

「すねこすり!?」


 その街道へ行って。


「破ァ!」


 しませんでした。

 すねこすりはたいして害のない妖怪なので。

 とてもふわふわしているのでひと撫でしておこうと思ったのですが、何故かわたくしが行った日からぱったりと姿を現さなくなったそうです。


 そうしていくつもの相談事を解決していると、わたくしのところに、王城からの召喚状が届きました。


 どうやら妖怪退治の噂を聞きつけてのことのようです。

 ということは、きっとこの差出人である王子様も、何か怪奇現象に悩まされているのでしょう。


 もとより妖怪退治を生業として生まれた身。それ以外にできることは多くありません。

 呼び出しに応じましょうと申し出たわたくしに、父上と母上は渋い顔で反対しました。


「トリシャ、お前は十分によくやってくれている。まだ体も治ったばかりなのに、無理をする必要はないんだよ」

「ですが、そうでなければわたくしには利用価値がありません」

「そんなことないわ」


 母上がわたくしの肩を掴んで、言い聞かせるように言いました。


「貴女は大切な私たちの娘よ。利用価値だなんて言わないで」


 何故だか涙声で言われてしまって、わたくしはすっかり困ってしまいました。


 だってわたくしは妖怪退治をするための、そのためだけの存在で。それすら満足にできない出来損ないで。

 だから人一倍、数だけでも多くこなさなくてはならないのに。

 たとえ危険な環境に身を置くことになったとしても、そんなもの当たり前なのに。


 おろおろしてしまっていると、ふとアリサさんと視線が合いました。

 アリサさんは何やら大きく頷くと、一歩こちらに歩みだしました。


「旦那様、奥様。任せてください。あたしがトリシャ様を守ります!」

「アリサ」

「こう見えても力には自信があるんです! 田舎育ちですから!」

「……父上、母上」


 ぶんぶんと手に持った箒を振り回すアリサさんの隣に並んで、わたくしは言いました。


「大丈夫です。行かせてください」


 ◇ ◇ ◇


 アリサさんと二人で、王城にやってきました。

 道中アリサさんの腕っぷしを披露していただく機会はありませんでしたが、その方が良かったと思います。


 西洋風のお城に入ると、見たこともないくらいきらびやかなつくりの建物に、目がくらんでしまいます。

 目をしぱしぱとさせながら歩いていると、一人の女性とすれ違いました。


 前世のわたくしと同じ、黒く長い髪。どこか暗い表情で俯いて、足取りも重く歩いています。


「ごきげんよう」


 女性が小さな声で、わたくしたちに挨拶をしました。咄嗟にこんにちはと返しましたが、これは間違いだったかもしれません。

 女性は一瞬だけ立ち止まって、今にも消え入りそうな声で、呟きました。


「また、女を呼んだのね」


 内容はよく理解できませんでしたが、その声の響きはどこか、この世ならざるものを含んでいて――咄嗟に振り返ります。

 ですが、女性はもう歩き始めてしまっていて、見えたのは背中だけでした。


「トリシャ様、あの人も何か、取り憑かれているんですかね」


 こそこそとアリサさんが耳打ちしてきますが、その女性の肩には何も、乗っていません。

 いえ、乗っているというよりも、むしろ……


 考えながら、王子様との謁見の間にやってきました。

 王子様は、見るからに衰弱していました。顔色が悪いですし、目の下にはクマが出来ています。話している最中にも、何かに怯えて背後を振り返る様子が見られました。


 相談された症状も、見た目から推測したものと同じです。

 常に誰かに見られているような気がして心が休まらない、夜に嫌な夢を見て何度も飛び起きる。シャワーをしていると背後が気になって仕方がない。


 それもそのはず。肩には、怨霊がしがみついています。


「トリシャ様、トリシャ様」


 後ろにいたアリサさんが、わたくしの袖を引きました。


「何か、ここ、嫌な感じしませんか? お屋敷にいたとき、みたいな……」


 アリサさんの言葉に、わたくしは頷きます。

 わたくしたちのいた屋敷にだっていわくがあったくらいです。王城ともなれば、きっとここにも何か、謂れがあるのでしょう。


 王子様に憑いているそれも、この場に溜まった瘴気の悪影響を受けていることは間違いありません。

 ですが、わたくしは。


「王子様、お伺いします」


 「破ァ!」、しませんでした。


「貴方様には確かに、怨霊が取り憑いています。その怨霊がこの地に溜まった瘴気と反応して、呪いにまで変質している」

「呪い……」

「ですから、お伺いします」


 わたくしは王子様の顔をまっすぐに見上げて、聞きました。


「この怨霊、祓ってしまって、よろしいのですね?」

「え?」


 後ろでアリサさんが小さく声を漏らしました。

 アリサさんは王子様にじろりと睨まれて、慌てて一歩下がります。


 王子様はしばらくわたくしを値踏みするような目で見た後で、口を開きました。


「ヨウカイではないのか」

「ええ」


 その言葉に、わたくしは頷きます。

 王子様を呪っているのは、妖怪ではありません。

 人を呪うのはいつだって――人間、ですから。


「貴女に憑いているのは、妖怪ではなく――人の生き霊です」

「生霊?」

「生きている人間の、魂の一部です」


 わたくしの言葉に、王子様が息を呑んだのが分かりました。


 彼の肩にしがみついている怨霊の姿に目を向けます。

 どす黒い瘴気に飲まれてしまっていますが……真っ黒な、長い髪。

 もしかして、と、わたくしは思いました。


「呪いを祓うことは可能です。ですが呪いは、かけた人間に返ります」


 王子様が、目を見開きます。

 きっとわたくしが想像できていることくらい、王子様にも分かっているのでしょう。


 それが理解できているからこそ、わたくしは王子様に尋ねなければならないのです。


「人を呪わば穴2つ。呪いをかけた人間は、報いを受けることになる。それがこの世の理です」


 居住まいを正して、目の前の男性を――そして、肩に鎮座する女性を、見据えます。


「もう一度お尋ねします」


 わたくしの声だけが、静まり返った謁見の間に響きました。


「祓ってしまって、よろしいのですね?」


 王子様は、少しの間、何かを噛み締めるように黙り込んでいました。

 しかしやがて口を開いて、かすれた声で答えます。


「いや、結構だ」


 王子様の言葉に、わたくしは小さく息をつきました。こんなに甘えたことを言っては父上に怒られてしまうでしょうけれど――わたくしは出来れば、祓いたくないと、そう思っていたのです。

 だってそうしたら――人の命を、奪うことになりますから。


 彼はどこか観念した様子で、くしゃりと髪を掻きあげます。


「自分で蹴りをつけなくてはな」


 ◇ ◇ ◇


「トリシャ、おかえり」

「ただいま戻りました」


 家に帰ったわたくしを、父上と母上が出迎えました。

 二人に抱きしめられて、わたくしはまた、くすぐったいようなむず痒いような、何とも言えない気持ちになります。


 わたくしにとってこの二人は、両親ではない。なのにどうして――こんなにも、安心するのでしょうか。


「トリシャ様、すごかったんですよ! 王子様相手にもぜんぜん、怯んでなくて」

「まぁ! すごいわね」

「いえ、わたくしは」


 まごついているわたくしをよそに、アリサさんがお城での出来事を話します。

 アリサさんはお話が上手で、わたくしはほとんど聞いているだけでした。


「それで、王子様が何でもご褒美くれるって言うのに、トリシャ様ったら『水晶がいいです』なんて」

「あら、お飾り?」

「違うんです奥様、ただの丸い水晶をこう、連ねただけのブレスレットがほしいって」

「なんてことでしょう」


 母上が息を呑みました。

 お城でもアリサさんにも王子様にも散々「それでいいのか」と聞かれましたが、だって、それがいちばん霊力の拡張効率がいいんですもの。


「トリシャ、今まで苦労を掛けたね」

「ええ。本当に」

「もっと我儘を言っていいんだよ」

「きっと貴女が気に入る素敵なお飾りを用意しますからね」


 わたくしがまごまごしている間に、どんどんと話が進んでいっている気がしました。

 我儘というか、だって、今だって十分に。


「わたくし、そんな」


 したいと言ったことをさせてもらえて、心配までしてもらえて。

 わたくしを頼ってくれて、感謝してくれて、やさしく抱きしめてくれて。


「恵まれすぎて、います」


 言葉と一緒に、何か熱いものが頬を伝いました。


 ああ、どうしましょう。泣いてしまうなんて。

 人前で泣いてしまうなんていつぶりでしょうか。


 自分でもどうやって涙を止めたらいいのか分からなくて、わたくしはただ、両手で顔を覆って隠すことで、精いっぱいで。


 肩や背中を摩ってくれる両親やアリサさんの手のぬくもりを感じながら、思い出したのです。

 わたくしにも同じ、あたたかい血が流れていることを。




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寺生まれのトリシャはすべてを「破ァ!」で解決する 岡崎マサムネ @zaki_masa

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