第5章 非情屍鬼

「あ、多分あの方ですか? 」

 エントランスの自動ドアを見つめながら、南雲が四方にそっと囁いた。 

「そうです」

 四方は、自動ドアの前で、黒っぽいバックを担ぎ上げて右往左往している杉沢の姿を見て取ると、言葉短に答えた。

 彼はロックの暗証番号が分からず、入りたくとも入れない状況に慌てふためいている様子だった。当たり前の話だが、そうなれば、解除するには中から誰かがドアに近付かなければならない。が、タイミングよく、少し前に外出した青年が買い物袋を手に帰って来た。

 彼がロックを解除すると、ドアが開くなり杉沢は四方達の基に駆け寄った。

「四方さん、すみません。他にも入り口があって、場所、間違えました」

 四方達に何度も頭を下げながら弁明を告げた。

 四方の予想通りの展開に、宇古陀がニヤニヤと笑みを浮かべている。

「では、参りますか」

 南雲が四方達に声を掛けた。

「あのう、僕が行く事は彼女には伝えられたんですか? 」

 杉沢が不安げに四方を見つめる。

「さっき電話したんですけど、繋がらないんですよ」

 四方に代わって南雲が杉沢にそう答えた。

「そうですか・・・」

 杉沢はそれを聞くと表情を強張らせながら俯いた。

 付き合っていながら居場所も告げずに本人の前から姿を消していた――今、確認できている事実から察すると、乾と杉沢が、本当に恋人同士で会ったかどうかも疑わしい。もしそうだとしても、二人の間に何かがあって、乾があえて避けている様に考えるのが自然だ。

 杉沢の今のその表情が、二人の関係の疑念を物語っているようにも見えた。

 だが四方達はその事には触れず、杉沢を従えたままエレベーターに乗り込んだ。

 南雲が六階のパネルを選択する。

 エレベーターは静かに上昇すると、六階で停止した。

「こちらです」

 エレベーターから出ると、南雲は通路を右手に折れて進んだ。通路の外側を覗くと、眼下に公園と東屋が見える。開放的ではあるが、周囲を建造物に囲まれており、薄暗いイメージは避けられない。

「着きました」

 南雲はとある部屋の前で歩みを止めた。

 618号室。ここで乾は生活しているはずだった。

 南雲の指がインターフォンに触れた。

 反応が無い。

 少し間をおいてから、もう一度鳴らす。

 やはり反応が無い。

「おかしいですね」

 南雲は眉を顰めると、ドアの取っ手に触れた。

 ドアが開いた。

 南雲の顔が緊張に強張る。

「なっ・・・!? 」

 驚愕が彼の言葉を強制消去していた。

 ドアの向こうには,床に俯せで倒れている女性の姿があった。

「美夏! 」

 呆然と佇む南雲を押しのけて、杉沢が玄関に飛び込む。

「触るなっ! 」

 乾にすがり付く杉沢に、四方が叫ぶ。

「死んでる・・・誰か、警察をっ! 」

 杉沢は四方の忠告を無視して乾を抱き抱えると、沈痛な叫びを上げた。

「畜生! 誰がこんなことをっ! 」

 杉沢は嗚咽を上げながら乾の亡骸を抱き締めた。

「よく言うよ。畜生はあんただろ」

 四方達の背後から、杉沢を揶揄する声が響く。

 このマンションの住民――杉沢と同時刻にマンションのエントランスに入って来た青年だった。

「俺、見てたぜ。最初にここの入り口で擦れ違った時、見たことない顔だなって思っていたんだ。買い物をして戻ってきた時、東の入り口から出て来たかと思うと、マンションの駐車場の陰で、鬘を取って今の格好に着替えてたよな。それって、何かおかしくね? 」

「何訳の分かんない事をっ! 」

 杉沢が顔を真っ赤にすると不満気に激高した。

「動画取ってあるし。それに、マンション内外の監視カメラをチェックすれば、あんたの行動は完璧に追えるんだけど」

 青年は静かに語りながら、確実に杉沢を追い詰めて行く。

 杉沢は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべると、観念したかのように無造作に美夏の身体を床に落とす。

 同時に、奴は体勢を低くすると四方達の足元を小動物の様にすり抜ける。

 通路に出た瞬間、奴はバックからスプレー缶を取り出し、四方達に吹き付けた。

 まともに吸い込んだ宇古陀を筆頭に、皆、激しく咳き込み始める。

 催涙スプレーだった。

 杉沢は、咳と涙と鼻水でのたうち回る四方達を尻目に、不敵な笑みを浮かべながらエレベーターに乗り込んだ。

「守衛達に連絡しました。エレベーターから降りて来た人を捕まえてくれって」

 南雲が咳き込みながらも必死に叫ぶ。

 漸く四方達がエレベーター辿り着いた頃には、エレベーターは階下へと向かって動き始め、二階まで来ると停止した。

「奴はここから非常階段で一階に行き、駐車場に抜けて外に逃げるつもりだな――予想通りだ」

 四方の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。


 



 

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