電脳ブライダル
霧ヶ峰リョク
プロローグ
降り頻る雨の下。
体温が下がるのを実感しながら僕は上を見上げていた。
訂正、見上げる事しか出来ていなかったの方が正しいだろう。雨水で濡れた地面に大の字で横になっているのだからそれも当然と言うべきか。
いや、大の字という表現も正しくは無い。何せ僕の左腕はそこら辺に散らばっているのだから。
「…………本当、最悪」
無駄に長く量も多い髪の毛が肌に纏わりついているのが不快。天から降っている雨によって体温が下がるのが不快。左腕の上腕から先の感覚が無いのが不快。
不快なものが多過ぎて考えるのが億劫になる。
考えないようにしていた、思い出さないようにしていた昔の記憶も沸き上がって来て死にたくなってくる。
「ねぇ、きみもそう思うでしょ」
自分の思いに同意を求めるように、僕を見下ろしている彼女に言葉を投げた。
金色の髪に藍色の瞳、人を惹き付けるとても端麗な容姿。
凡そ美人と呼ばれる要素を一通り持っているその人は今話題沸騰中のアイドル黒星愛莉その人だ。
いや、それも少し違う。
彼女は元有名アイドルの電脳愛莉。一応、僕の嫁ということになっている人だ。
こちらもその事実は認めたくないし、向こうも認めていないだろうが。
当然と言えば当然の話だ。何せ、自分達の意志を無視して無理矢理結婚させられたのだから。
「…………」
愛莉は雨に濡れるのも気にせずその場で立ち尽くし、整った顔も様々な感情でぐちゃぐちゃになっているのか歪んでいる。
光を宿していない死んだ魚のような目で、今にもその右手には包丁が握られていた。
呼吸が荒くなって震えているのは雨に濡れて体温が低下しているせいか、それとも持っているその包丁でこれからしようとしている事に恐怖しているのか。
「やれよ」
僕のその言葉に愛莉は肩を大きく振るわせる。
「僕は抵抗しない。するつもりも無い。だから、やれよ」
「…………なんで…………お前は!?」
「生憎、僕はきみと違って未練なんて持ってはいないからね」
むしろようやく死ぬことが出来るとすら思える。
そう思うくらいならとっとと自害でもすれば良かったんだろうが、自殺する勇気なんて持ち合わせていない。ただ死ぬ理由が無かったから生きてきただけのそんなつまらない人間だ。
「だからきみが求めている言葉を言ってやるつもりはない。同情はするけど、それだけだ」
「…………っ」
「最初に会った時にも言った筈だよ。僕はきみのことなんてどうでもいいって」
そう言った瞬間、愛莉は僕に馬乗りになって包丁を高く振り上げる。
震えは治まっていた。
それで良い。なんて口が裂けても言えない。
こうなってしまうって分かっていたのならきっと、もっと早く自分で死んでいたのに。
だからせめて、彼女の手を汚す事に対して謝罪の言葉を告げる。
「…………ごめんね」
「っ、ぁああああああああああああああああ!!」
僕の言葉を彼女がどう受け取ったのかは分からない。
だけど、その言葉を切欠にし彼女は高く掲げていた包丁を振り下ろした。
自身に向かって振り下ろされるのを見て瞼を閉じる。
そして思い返す。どうしてこうなってしまったのかを――――。
+++
三月三十一日の朝時、雪が解けてきて春が芽吹き始めた季節。
まだ冬の厳しさ程寒くは無いが肌を刺すような冷たさを感じる頃。
僕こと電脳アリスは木に登って一冊の本を読み耽っていた。
左手は大きめの指が分かれていないグローブを付けていて持ち辛いし、右手ももこもこの手袋を付けているからページを捲りづらい。最新式の端末を使って電子書籍で読めば良い、態々紙で作られた本を読む必要なんて無い。
そう言われてしまえば反論する事は出来ないし、僕自身も同意する。
紙で作られた本にも良さはあるのかもしれないが、その良さの全てを以てしてでも今の電子書籍には絶対に勝てない。
それでも紙の書籍を好んでいるのは、僕の趣味なだけだ。
本音で言うのなら原本で読みたいものだけど、残念な事にそれに手を出す勇気は無い。
「ふぅ…………面白かった」
パタンと音立てて本を閉じる
何度も何度も読み返している僕の愛読書、枕草子が作られたのは確か西暦1000年ぐらいだったか。
今から1100年以上も昔の人間が残した作品をこうして読むことが出来るのはとても凄い事だ。科学技術が発展していなかった遠い昔の居た人が何を考えて、何を思っていたのかが伝わって来るようだ。
そう思いながら枕草子の中に出てきた文章を思わず口ずさむ。
「春はあけぼの、か…………」
意味としては春は日の出前の空が明るくなる頃、その時が一番美しいということ。
昔の人の言葉は難しいし、意味が分からないのもある。これが100年前とかなら学校で学ぶ機会もあったのだろうが、今の世の中では学ぶ必要が無いという事で教わらなくなった。
だから何度も読み返しているこの本も内容の全てを真に理解しているとは言えない。
でも、この本を書いた人はきっと自然の中にあるそういったものに美しさを見出したんだと思う。
だからこうして日の出前に外に居る。
そして――――。
「確かに、美しいな」
暗かった空も明るくなり始めた、枕草子で言うところの春はあけぼのになった頃。
昔の人が見た空とは違うものなのだろうし、色々と科学技術が発展した今の空に比べたら劣るものかもしれない。
それでも、枕草子に書かれていた通り美しいものには違いない。
「出来れば当時のものを見たかったけど」
過去に行く方法なんていうものは無いから絶対に出来ない事だけど、きっと今の時代のものよりもずっと綺麗なものだったのだろう。
その事実に少しだけ悲しさを感じながら木の上から降りる。
「でも、良いものは見れたから良いか」
態々早起きして日が出てない寒空の下に出てきた甲斐はあったというもの。
これが田舎暮らしの特権というやつだろう。
都会に比べれば物も無いし不便な事は多い。だけど人付き合いとか色々疲れている僕としてはそれくらい不便の方が良い。
中学の修学過程も無事に終わらせて手に入れた一軒家だし、これからはここで悠々自適に暮らそう。
昔と違って高校も態々通う必要は無いのだし、買った古書に目を通していこう。
「…………身体も冷えちゃったし温かいコーヒーでも飲むか」
口から白い吐息を漏らし、自分一人で暮らすには大きい自宅に戻ろうとする。
そして気付く。玄関の前に何かが居る事に。
「…………っち」
思わず舌打ちをしてしまう。
端末を使って何かを買ったとかそんな事はしていない。
そもそもこんな時間に届け物が来る事自体非常識だ。
百年くらい前は手紙やら新聞といった物を郵送していたらしいが、今はそんな物は存在しない。にも関わらずこんな人があまり住んでいない寂れた場所に、それも僕の家の前に何者かが立っている。
今の時代の人間は態々好き好んでこんな田舎に来やしない。
最大限の警戒をして玄関に近付くと訪問者の正体が判明する。
「やっぱり、ロボットか」
玄関の前に立っていたのは上半分は人間の上半身を象った、下半分はタイヤを付けた都会でよく見るタイプの何の変哲も無いロボットだった。
別に珍しくもなんともない。ただ一つ気になる事があるとするならば――――。
「何でこんなド田舎に、しかも僕の家の前に居るんだよ」
『電脳アリス様ですね。おはようございます』
「おはようございますじゃねーよ。こんな朝っぱらから来やがって…………」
無意味だとは思いながらもロボットに要件を問い質す。
本当ならクレームの一つでも入れてやりたいところだけど、大したAIも搭載されていないこのロボットに文句を言ったところで時間の無駄だ。
「それで、何の用だよ」
『本日より人工知能婚姻法が施行されました。電脳アリス様はこの法に選ばれた人間となりましたので、お迎えに参りました』
「…………ちょっと待て」
何だそのふざけきった法律。脳みそに蛆虫でも湧いてんのか?
口に出してロボットを罵倒したい気持ちに駆られるも何とか堪えて、端末でその法律について検索する。
するとこのガラクタが言った通り、今日から施行された新しい法律であるということが検索結果で出ていた。
人工知能婚姻法。
15歳を迎えた少年少女、より正確には中学の修学範囲を収めた人間はAIが選択した相性の良い相手と結婚しなければならないという、自分の意思を放棄したかのようなゴミみたいな法律。
今のAIならば相性の良い相手を選ぶ事も不可能ではないのかもしれない。が、それはそれとして強制的に顔も名前も知らない結婚させられるのは嫌だ。と、いうかこのロボットの言い方から察するに僕とその相手だけしか適用されてないんじゃないだろうか。
「その法律って、僕とその相手以外にも適用されてるの?」
『いいえ。現段階では電脳アリス様ともう一人の方以外、適用されておりません。この法律はまだ試験段階ですので、結果次第では廃案になる事もありえます』
「って事は僕とそのもう一人はモルモットって事か。はっはっは!」
ロボットの説明を聞いて思わず笑ってしまう。
当然、内に燃え上がるこの激情は愉快な気持ちになるようなものじゃなく、むしろその逆。
「ふざけてんじゃねぇぞ!!」
意味の無い事だと分かっていてもこれ以上は聞いていられない。
激情に駆られて左腕を振るおうとするも、それよりも先にロボットの胴体から煙が撒き散らされる。
「ぐっ、これは…………薬………!?」
『申し訳ございません。抵抗するようなら薬を投与してでも連れて来いと命令されてますので』
途中で呼吸を止めたが時既に遅く、散布された煙を吸い込んだ瞬間には凄まじい眠気が襲いかかってくる。
自分の身体を自分の意志で動かせない不快な感覚を味わいながらその場に膝をつく。
『おやすみなさいませ電脳アリス様』
「ち、く…………しょう…………」
ロボットから出ている音声に悪態をつくもどうする事も出来ず、僕の意識は闇の中に沈んだ。
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