第28話 viginti septem

「あの本、先生に差し上げます」

 天弥の声が震え、手足の感覚が消えた。本を手に入れたら、自分は斎にとって何の価値も無い存在になってしまうことを理解していたのだ。だが、無理やり斎を縛り付けることに空しさを覚えたが、生まれた恐怖が急速に心の中に侵蝕して行く。先ほどまで身体を支配していた熱も冷め、微かに身体が震えだす。

「あれは、お祖父さんから貰った大切なものだろ」

 静かに天弥の髪を撫でながら、斎は答えた。

「先生、あの本が欲しかったんじゃないんですか?」

 驚きの声と共に、斎の顔を見上げる。

「まあ、珍しいものだから欲しいといえば欲しいが……。でもあれは、天弥の大切なものだろ」

 それを聞くと天弥は、斎の胸に顔を埋めた。あの本は大切なものではなく、一度も会った事のない祖父から勝手に送られてきた、訳の分からない本だ。どんな物なのか、どんな価値があるのか、何も知らずどうでも良い物であった。

「とりあえず行くか」

 斎は天弥の髪を撫でるのをやめ、その身体から腕を離した。

「はい」

 天弥の腕が名残惜しそうに離れると、斎はメガネを取りに向かう。天弥は、机の上に置かれている本へと視線を向けた。この本が無くとも、斎は自分を受け入れ一緒に居てくれるという事なのだろうかと、本を見つめながら考えだす。

 メガネをかけ視線を移した斎の視界に、机の上にある本へと手を伸ばす天弥の姿が飛び込んできた。

「天弥!」

 思わず声を荒げ、斎は急いで天弥へと近寄る。

「はい」

 名前を呼ばれ、本を手にしたまま天弥は斎を見上げた。斎は手を伸ばし、天弥の頬に触れる。

「天弥?」

 自分の中に混みあがってくる期待を抑え、天弥の様子を伺う。あれから、天弥がこの本を手にする機会は無く、心奪われた相手と再会することはなかった。

 不思議そうな顔で自分を見上げる天弥を、斎は抱きしめた。あの天弥ではないことはすぐに理解できた。そして、この本が切っ掛けで入れ替わるのだと考えていたが、そうではない事を知る。

 圧倒的なその魅力で、意思も感情も何もかも捻じ伏せられ、斎は心を奪われた。それは今もまだ、斎を捉え続けている。

「何を食いたいか考えとけ」

 自分の心を悟られないように、天弥に話題を振ると、その手から本を取り上げた。天弥は斎の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべる。

「僕が決めていいんですか?」

 斎は頷き、期待の表情を浮かべる天弥の身体から腕を離すとすぐに、机の横にある鞄を手に取り、本をしまい込んだ。

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