第13話 duodecim

「吸ってもいいか?」

 机の上にある煙草の箱を手に取ると、許可を求める。頷き答える天弥を確認すると斎は、煙草を咥え火をつけた。揺らめく紫煙と共に室内に広がる音と香りに、天弥は興味を惹かれる。

「先生の匂いって、それだったんですか」

 天弥の言葉に、斎は思わず自分の白衣の匂いを確認する。

「匂うか?」

「何か甘い香りがしました」

 答えながら、その香りが分かるほど近づいていたことを思い出すと、斎の体温とすぐ間近にあった端整な顔が鮮やかに蘇り、天弥の鼓動が騒ぎ出し身体が熱を帯びていく。

「ああ、これ中に丁子が入ってるから、その匂いだ」

 斎が手にした煙草を少し掲げた。

「ちょうじ?」

 天弥は興味を惹かれ、さらに斎へ近づく。微かに聞こえていた何かが弾ける様な音が、ハッキリと耳に響いた。

「お菓子とかに使われる香辛料だ」

「それで甘い香りなんですね」

 すぐ目の前で真っ直ぐに自分を見上げる天弥に、斎の鼓動が早くなる。雰囲気はまるで違うが、心惹かれた相手と同じ顔が目の前にあるのだ。

「その煙草、音がするんですか?」

 斎は、興味深げな表情で自分を見上げる天弥の顔を見つめた。同じ顔なのだがやはり違うと感じる。雰囲気とかいう以前に、この天弥とは根本的に存在そのものが違うように思えてならない。

「丁子が弾ける音だ」

 そう答えながら自分へと視線を向ける斎を、天弥は見つめ続ける。お互いの視線が静かに絡まりあい、互いに言葉を発する事無く相手を見つめ続けた。斎が手にする煙草の、丁子の爆ぜる音だけが室内に響く。

 斎を見つめる天弥の胸が切なく締め付けられ、鼓動が高鳴る。今まで、味わった事のない感覚に戸惑いながらも、斎がすぐ傍に居る事に対して湧き上がってくる喜びや嬉しさに、少しずつ心が侵食されていく。元々、好感を持ってはいたし、面白い教師だとも思っていた。だが、今のような甘く切なくなるような胸の痛みを覚えたのは、初めてだった。しかもそれは昼休みの時からで、どこか自分が変になってしまったのではと不安を覚える。

 これ以上、斎を見つめていると何かおかしなことを口走りそうで、天弥は思わず視線を逸らす。逸らした視線の先には、机の上に置かれた古い本があった。それは、今、天弥と斎を結び付けている祖父から贈られたものであった。

 斎の様子を見ていると、この本はそれなりに何かの価値があるのだろうと思うが、なぜ祖父はこれを送ってきたのか皆目見当も付かなかった。

 この本が届いた時、初めて祖父の名前を知った。送り主は住所も何も無く、ただ羽角恭一郎という名前だけが記されていた。中には古い本と手紙、そして写真が一枚入っていた。手紙には、自分は祖父であるという事と、この本を贈るという内容が記されており、写真には天弥とよく似た十代半ばの少女が写っていて、それは写真でしか知らない母親のものであった。

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