第3話 三女 蓬莱蕗愛(ほうらいろあ)

「おい透花、それじゃでかいって」

「いやいや、これくらいで大丈夫だって!それにデカい方がボリュームあるように見えてお得感あるべ?」

「お得感って……にしても適当過ぎだろ」

「適当とは失礼だな!結構、手先器用だぜ?今度見せてやるよ、私の繊細な手付き」

「……バカな事言ってないで、ここで見せてくれよ」

 貫太郎の隣で、中指と人差し指をクイクイと軽く曲げながら、ほくそ笑む透花。

 透花の様子に呆れながら貫太郎はざっくばらんな大きさに切られた野菜をしぶしぶ鍋へ入れていく。


 年頃の男女が、台所に共に立ち、料理を作る。


 まさに『新婚生活』のような甘いシチュエーションであるものの、透花相手に全くそんな気は起きず。貫太郎は透花を無視し、鍋をかき回していた。


「てか、なんで私も手伝わなきゃいけねーんだよ〜。カンタローに全部丸投げしようと思ってたのに」

「……文句言うならもう作らねぇぞ」

「よ〜しっ、トーカちゃん頑張っちゃうぞ〜!」


 そもそも、蓬莱家の夕飯を貫太郎が作っている時点で可笑しな話ではあるが、世話焼きが当たり前になっている貫太郎にとってそれはもはや気になる部分ではない。


 互いに苦言を呈しながらも、夕飯は順調に完成していき、リビング一帯にスパイスの良い香りが漂う。


「あ〜、匂い嗅いでたらめっちゃ腹減ったわ」

 鼻をすんすんと鳴らしながら透花は、食器棚から皿を取り出している。

「姉さんおいて、先食べちゃおうぜ」

「まぁ、よそうだけよそって……って、何で俺も食べる前提なんだ」

「え?食べねーの?」


貫太郎は「いや、まぁ……」と濁しながら、皿に出来たてのカレーを盛り付ける。


「あれ、そう言えば──」


 出された3人分のカレー皿を見て、貫太郎はふと口を開いた。


蕗愛ろあちゃんは?」


 ……グウゥ〜。


 すると、どこからともなく聴こえてきた空腹の合図。


「ったく。どんだけ腹減ってたんだよ、透花」

「は?」

 

 そう言って貫太郎は透花へ物笑いを向けるも、透花は頭上に『?』を浮かべていた。


 グウゥゥ〜……。


 再び音が鳴る。

 無論、貫太郎の腹の虫が鳴いた音でもない。


「……カレー、いい匂い」


 すると突然、鼓膜を揺らす淑やかな声。


「うぉッ!ろ、蕗愛ちゃん!?」

 

 貫太郎が声を上げた先、台所のカウンター越しに立っていたのは、蓬莱家三女、蕗愛ろあだった。


「いつからそこに!?」

「……とおねぇとかんにぃが……イチャついてた時から」

「やめてくれ、断じてイチャついてない」


 あらぬ疑いを否定する貫太郎に見向きもせず、蕗愛はマイペースに冷蔵庫から麦茶を出し、自分のマグカップに注ぐ。


 栗色のロングヘアに、後ろ髪と同じくらい長い前髪。隙間から覗く丸みを帯びた瞳とぷっくり膨らんだ頬が姉2人よりもあどけない。より細い体躯が、彼女がまだ14歳だと強調し、右手に持つ1.5ℓの麦茶のボトルが余計大きく見える。


「蕗愛、いつ帰ってきたんだよ」

「…………ずっと前」

「ったく、帰ってんなら挨拶くらいしろっつーの」

「…………別に」


 途端にピリつく空気。透花と蕗愛、2人の間に不穏な雰囲気が漂う。


 蕗愛は杏菜と透花の2人とはまた違い、随分と無口な少女である。特に年が近い透花とは昔から馬が合わないこともあり、ギスついた空気が流れる事もしばしば。

 

「あ〜……なんだその、とりあえず2人とも一旦──」

 

「うわぁ〜、めっちゃ良いにお〜い♪なに?今日、カレー?」


 貫太郎が歯切れ悪く言葉を吟味していたその時。

 温い水蒸気と共に、風呂から上がった杏菜やって来た。


「あれ?とーかに、ろあちゃんも。帰ってたんだ。じゃあほら、みんなでご飯食べよ!」


 それぞれの肩を叩くと、杏菜は我が物顔でダイニングテーブルの席に着いた。


「って、あれ。カレー3人分しかなくない?早くよそって!かんちゃんも食べるでしょ?」


 食べるか?と誘っておきながら自分は準備をしないのはどうなのか、また杏菜らしいと言うべきか。

 しかし、こんな事は貫太郎にとって常日頃。貫太郎は、小さなため息を吐き、「準備するから待ってくれ……」と、自分用にもう1枚皿を準備する。


 杏菜の登場で透花と蕗愛のいがみ合いも休戦し、ちょこんと席に座る。

 

 食卓を囲むように座る4人。杏菜の横には貫太郎が、そして彼の対面に蕗愛が座り、その隣には透花。


「んじゃ、いただきま〜す♪」

「いっただきまーす!」

「…………いただきます」


 三姉妹がそれぞれ手を合わせ、各々カレーを口に運ぶ。


 「いただきます」


 貫太郎も少し遅れて手を合わせた。

 

 4人掛けのテーブル。

 4つ目の席が、初めから貫太郎のものだった訳ではない。


「………懐かしい」

 蕗愛が静かに呟いた。


「確かに、4人で一緒にメシ食ってると、母さんが生きてた頃を思い出すよな」

「へ〜、ろあちゃんもとーかちゃんも、お母さんがいた時のこと覚えてるんだ?ろあちゃんに至ってはまだ幼稚園だったでしょ?」

「………覚えてるけど」


 懐かしむように優しく微笑む透花の横では、蕗愛が、ぶっきらぼうに頬を膨らませる。杏菜も揶揄うような口調だが、視線はどこか遠くを見つめる。


 貫太郎は、会話に参加することなくただ静かに咀嚼を繰り返す。


 

 今から10年前──

 事故で蓬莱三姉妹の母が亡くなった。

 

 昔はここまで手はかからなかった。

 そして、三人が母親を母親を失った時も、彼女たちは自分たちだけで生きていこうともがいていた。

 その心意気に周りからの同情は得られた。だが同時に三姉妹は周りから孤立した。


 丁度その頃からである。

 

 貫太郎が彼女たちの世話を焼くようになったのは。


 彼がかけたのは同情の言葉ではなく、余計なお節介だった。


 勿論、余計なお世話を焼いたのに深い意味はなかっただろう。ただ、家族を失って暗くなっていた三姉妹幼馴染みの笑顔を見たい──なんて単純なもの。

 だが、その単純が、彼の行動が甘える場所家族を失った彼女たちの心を救ったのは確かだ。


 今となってはもう、本人は覚えていないだろう。

 

「……貫にぃ」

「ん?」

「………あーん」

「ぇッ、ごぁッ!?」


 食事中。蕗愛が貫太郎を呼ぶ。

 その瞬間、貫太郎の口に何かがねじ込まれた。


「「!?」」


 その光景に、杏菜と透花も目を見開きあんぐりしていた。


 貫太郎は必死に口に入った何かを噛み砕いていくうちに、蕗愛にねじ込まれたのがカレーのジャガイモであること、そして、蕗愛と不可抗力の間接キスをしてしまったことに気が付いた。

 刹那、蕗愛の桜色の唇がやけに目について、貫太郎は耳を熱くする。


「ちょッ、ろ、蕗愛!?おまえッ」

「ろあちゃん?かんちゃんになーにしてるの?」


 杏菜と透花はあからさまに動揺し蕗愛に詰め寄る。


「……貫にぃは、かっ、家族だし」


 やっておいて照れ臭くなったのか、蕗愛は顔を背けた。

 蕗愛の隣では、透花がわなわなと震えている。


「あとは…………


 そして蕗愛は、姉2人に目配せした後、悪戯っぽくぺろりと舌を出した。


「お〜ま〜え〜ッ!」


 すぐさま透花が怒号を上げる。


「かんちゃ〜ん?あたしからも、あ〜ん♡」


 すると今度は杏菜が、隣から貫太郎を抱き自身のスプーンを貫太郎の唇へ近づけた。


「おいッ!?姉さんも!?」


 三姉妹の口論が貫太郎の眼前に飛び交う。


 何故自分が姉妹喧嘩に巻き込まれているのか。その答えを貫太郎は知る由もなく。


「いい加減にしてほしいのは、俺の方だが……」


 冴木貫太郎は今日も三姉妹の事情に手を焼くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る